家人の長電話

2021年04月14日 12時45分48秒 | 日記・断片

阪神タイガースが絶好調である。
セリーグ内では、得点が一番多く、失点が一番少ない。
理想的な打撃である。
しかも、盗塁数も一番多いのだ。
何十年に一人の逸材とまで高く評価されている大物ルーキーの佐藤効果であろうか。
他のルーキーも好調で、ベテラン選手たちにも相乗効果が及んでいる。
家人の兄さんが毎日、電話で阪神のことを話すのだ。
それも1時間以上の長電話である。
家人の携帯電話は、音量が高いので聞きたくもないのに聞こえてしまう。
耳が悪いので、携帯電話を最高の音量にしているようだ。
だから、家人の友人の通話も全部聞こえてくる。
各友人は皆、長話だ。
株の話まで、聞こえてくる。
エヌビティアの株を勧められ563ドルで買って、少し上がったら売って別の株を買えと証券会社の営業マンが勧めているそうだ。
家人は、「現在627ドルでしょ。まだ上がるよ」と説得する。
昨年、4月13日時点で、298ドルだった。
その時点で、エヌビティアの株を勧める営業マンは、まず居ないだろう。
株価格が上がってきて、563ドルの時点で、勧められたのだ。
実は当方はテラの株が135円の時に目をとめて、テラの株を家人に勧めた。
だが1800円を越えたところで、即売りだったのに、2000円まで上がると引きとめていたら、株価格がどんどん下がる。
皮肉なもので、週刊誌の記事が、テラの株価格暴落の引き金となった。
家人が買った株が10倍以上にもなったのは、実に稀なことだ。
結果的に欲をかき過ぎた。
売り時は、昨年の7月25日前後だったと非常に悔やまれる。
持ち株が仮に200万円まら、2000万円以上にもなっただろう。
家人はテラ株を何株買ったのか教えない。
思えば、月刊誌のアルバイトで、兜町に行っていたころ<賢くあったなら>別の人生もあったかな、と思うのだ。
あの時の金・2000万円余が、何億も金になったもしれないのだ。
知人の社長は、反対に仕手戦で闘い敗れて、結局は24億円を失ってしまう。
仕手戦(してせん): 仕手株をめぐって、売方と買方が激しい攻防戦を展開すること ...


首の痛みが治まる

2021年04月14日 12時45分48秒 | 日記・断片

首をひねると「コキン」と金属音が頭に響き、不気味だ。
それも左側の首で、右の首はなんでもない。
先日、駅ビルの4階で突然、首が痛くなり、左側が振り向けなくなる。
首の痛みは気になりだしたら、眠れなくなる。
寝違えた時のような強い痛みだった。
「これから、どうなるのか」と不安にもなる。
「治らないまま、悪化するばかりなのか」

横に寝たり、仰向けに寝たり試すがどうにもならない。
ところが突然、東洋医学のツボのことを思いだしたのだ。
東洋医学の研究グループ歯科医師たちのことが懐かしい。
そこで、首のツボを押してみた。
信じられないが、首の痛みが治まり、後ろを振り向けことができたのだ。
ツボの存在を改めて確信する。


競輪人間 学習能力の問題

2021年04月14日 11時32分12秒 | 未来予測研究会の掲示板

学習能力の低い人の特徴
人の失敗から学ばない人。
人の話や助言に対して、聞く耳を持たない。
毎回、スタートを取るなど、同じパターン。

競輪ファンとして、常に納得しないのは、選手たちが負けるべくして負けていることだ。
例えば、先行争い。
または、下がらず中段に外並走のラインに押し込まれたまま捲りが不発になることだ。
一端、下がって外から仕掛ければいいのに、その機会を失うことだ。
つまり、臨機応変に立ち回れないのだ。
また、意地の張り合いは<愚の骨頂!>
さらに、仕掛けの遅れで後方に置かれてしまい、本命なのに3着にも届かないケース。

F1 宇都宮競輪人間学問 報知新聞社杯

4月13日2日目 10レース

並び 5-1 6-2 4-7 3(単騎)

レース評
山本が特選シード組の自力脚を繰り出そう。鷲田が付けて近畿コンビの争い。単騎の成田だが軽視は禁物。長尾の気配もいい。

5-1(5・7倍)
5-3(7・9倍)
3-5(7・6倍)
1-5(10・0倍)

5-1-3
5-1-2
5-1-4
5-3-1
3-5-1
の3連単を買う。

押さえは
5-2
5-4
の2車単

結果
2-3 3,850円(14番人気)
2-3-7 3万2,900円(90番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 岡田 征陽   14.9   番手で差す
× 2 3 成田 和也 1/2車輪 14.8   迫るも流込
3 7 大洞 翔平 1/2車身 14.6     最後突込む
4 1 鷲田 佳史 微差 14.4     目標が後手
5 5 山本 伸一 3/4車輪 14.5     6番手不発
6 4 長尾 拳太 3/4車輪 14.8     中団で不発
  7 6 矢野 昌彦 1車身 15.3   B 先行掛かる

 

競輪ファンにとっも当然、学習能力が問われるのだが・・・

思うに平原康多選手のことだ。

学習能力が高い選手なのだ。

競輪・平原康多選手の強さは?
常に試行錯誤しながら、練習や戦術に柔軟性と取り入れるようにしているそうだ。
また、強靭な「捲り」だろう。
自在性の強いその捲りはレースの展開によっては、先行にも差しにも化ける。
一瞬のチャンスをつかむ思考法とトレーニングの成果だろう。

競輪は、単純なスピード勝負ではない、駆け引きが重要なレース展開を左右する。
一瞬のチャンスをつかむ目を、平原はどのように養ってきたのだろうか。
レースの駆け引きを身体にしみ込ませてきた。いつ前に飛び出し仕掛けるか、感覚を磨き続けている。

向上心が途切れた瞬間、強さへの歩みが止まる

自らをトップアスリートだと思ったことはない――。平原康多はそう強く言い放ったそうだ。


競輪人間学 全くの想定外のレース展開

2021年04月14日 10時55分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

3番選手は内側追い抜きで<失格>ではないだろうか?
納得できないレースだった。
まさか、1番選手が内側から来た3番選手に競られて負けるとは?
あれが許されるなら、どの選手でも、<内側から追い抜けば良い>ことになるのではない。
我孫子の勝負師は「直線の長い宇都宮、1-4で固いだろう。勝負」と強い口調で言うのだ。
「そうだろう」と納得して、1-4からの3連単車単で勝負にでる。
まさかの内側追い抜きまでの展開は読めない。
「落車は読めないな」と3着おじさんが言ったことがあるが、本命の1番が内側から3番に競られる展開も全く読めない。

金を賭けているので、3番選手の走行には実に不愉快になる。
一歩譲って、本命を背負って競り負けた1番選手が弱かっただけなのだろうか。
全く想定外のレース展開だった。


4月13日宇都宮競輪 2日目

9レース準決勝戦


4-1-7 2-6 3(単騎) 5(単騎)

レース評
初日特選スタートの松坂−山賀が再度連係。松坂が押し切り南関本線だ。ただ中井のスピードは脅威。地元磯田が連穴。

1-4(2・8倍)
4-1(4・8倍) 

結果
4-5 4,270円(14番人気)
4-5-3 2万9,670円(79番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 松坂 洋平   14.4 B 正攻法逃切
  2 5 三好 恵一郎 1車身1/2 14.3   脚溜3角捲
3 3 磯田 旭 1/2車輪 14.5     番手斬込む
× 4 2 中井 太祐 1/2車輪 14.1     後手踏んで
5 7 土屋 裕二 3/4車身 14.5     3番手被り
6 6 武田 哲二 1車身 14.2     中井と共倒
7 1 山賀 雅仁 1/2車身 14.7   S 番手奪われ

「学問のない人間は、未完成である」 

2021年04月14日 10時22分27秒 | 事件・事故

シモン・ボリバルの言葉

学び、向上しゆく青春は、美しい。そこにこそ、未来の勝利の道が輝いてい
る。 

「大切なことは、行動を起こすことだ」
「強さのない所に徳はなく、勇気のない所に栄光はない」
「栄光とは命令することではなく、偉大な善徳を実践することである」
「勇気によって、不幸に終止符を打つことができる」
「勝利することだ」と同志を鼓舞した。


19世紀初め、ラテンアメリカ諸国の独立を指導し、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ペルーの独立を実現した。

シモン・ボリバル
Simon Bolivar 1783-1830
 「南アメリカ解放の父」と言われるラテンアメリカの独立運動の指導者。ベネズエラのカラカスの富裕なクリオーリョに生まれた。彼が独立運動に関わった国は、スペインの植民地ヌエバ=グラナダ副王領から独立したコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビアからペルーに及ぶ。
ベネズエラの独立運動
 まず1810年、ベネズエラのカラカスで独立運動が起こると、イギリスの協力を得ようとしてロンドンにわたっが失敗し、カラカスに戻って1811年7月、独立宣言を行った。ところが12年3月26日、カラカスで大地震が発生、約2万人犠牲が出たのに乗じてスペイン軍が反撃し、ボリバルは敗れ、以後いくつかの地を経てジャマイカに逃れる。
大コロンビアの独立
 1816年、兵力を整えたボリバルは南米大陸に上陸、各地を転戦し、1819年にボゴダ付近のボヤカの戦いでスペイン軍に勝利し、12月に大コロンビア(グラン・コロンビア)共和国の独立を宣言し大統領となった。その後もスペイン軍(ペルー副王軍)と戦い、1822年にはエクアドルに進撃し、キトを解放した。
ペルーの独立確保とボリビアの独立
 そのころ、アルゼンチン出身でチリの独立を実現したサン=マルティンが、北上してスペインのペルー副王軍との戦い、1821年にペルーは独立を宣言をしていたが、スペイン軍の反撃で苦戦に陥っていた。サン=マルティンはボリバルとの共闘を申し出てきたので、1822年7月、両者はグアヤキルで初めて会見した。しかし、ボリバルは独立国家の形態をあくまで共和政と考えていたが、サン=マルティンは君主政を構想していたため、ボリバルは協力を拒否した。そのためサン=マルティンはペルー独立の闘いから手を引き、ボリバルは単独で闘い、1824年にはアヤクチョの戦いでペルー副王軍を破り、ペルーの独立を確固たるものにした。さらに最後の残ったアルト=ペルー地方には、部下のスクレ将軍を派遣、その地は1825年8月にボリバルの名にちなんだ国名のボリビアとして独立を宣言した。
ラテンアメリカの連帯を目指す
 また1826年にはラテンアメリカの新たな独立国に働きかけ、ヨーロッパ諸国の干渉に対する共同防衛のための集団的安全保障体制をめざしてパナマ会議を招集したが、批准までは至らなかった。ボリバルは失意のうちに1830年の12月にチフスにかかり死去した。ボリバルの働きかけは後のパン=アメリカ主義につながる。
大コロンビア分裂
 しかし、ボリバルの構想した大コロンビアは、現在のベネズエラ・コロンビア・エクアドルを含む広大な地域であって、それぞれの地域の対立があり、1830年に分解してしまった。


自分の可能性に気付くこと

2021年04月14日 09時02分44秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

いかなる時も、可能性は無限であるとの信念を失わず、果敢に自らの目標に挑んでいく。
誰にも可能性があるのだから、<自分はダメだ>と卑下してはいけない。
大事なことは、「自分の持てる力を、全部、出し切っていこう」と情熱を燃やし、たゆまず努力を重ねることだ。
力を出し切れば、昨日の自分より必ず一歩前進できる。
自分の可能性に気付くことで、「やればできる」と自信がもてる。
要は心を定めれば、可能性は広がるだろう。

「要は」の意味:大切なことはのこと。