9/23(水) 21:23配信
創
〔はじめに〕20202年9月23日ナオキ逮捕の報を受けて 編集部
かつてのヒスブルのファンクラブ会報。一番右がナオキ
ここに掲載するのは元「ヒステリック ブルー」のギタリスト、ナオキが2016年、刑務所出所を前にして書いた手記だ。なぜ改めてネットで公開しようと考えたかと言うと、2020年9月23日、彼が再び性犯罪容疑で逮捕されたという報道がなされ、私のところにもマスコミ取材が入るなどしているからだ。メディアによっては実名を伏せているものもあるが、元ヒステリックブルーと報じられているから、今後報道が大きくなるだろうと思われる。
性犯罪者の再犯とあって、既にネットでは性犯罪で出所した人間の情報は開示せよとか、一生刑務所に閉じ込めておけといった、身もふたもないコメントが書き込まれている。性犯罪を巡ってこの10年ほど、治療プログラムの導入など、様々な努力が重ねられてきたのに、それが全く水泡に帰しかねない雰囲気だ。
ナオキには近々接見して事情を聞こうと思うし、ヤフーニュースなどで報告したいと思うが、とりあえず2016年の彼の手記をこうして再度公開することにした。彼は出所を前に自分の将来について思い悩み、更生を誓うために敢えて手記を公開したのだった。そういう動機で書かれた手記だからだ。
ヒステリックブルーは98年にメジャーデビューして「春~spring~」などヒットを連発、99年にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、人気を誇ったにもかかわらず、03年に突然の活動休止。そして04年3月には、ナオキが突然、強制わいせつ容疑で逮捕された。バンドは解散となったが、さらにその後、余罪が明らかになり、女子高校生らを含む9名に対するわいせつ・強姦の容疑で起訴。06年に懲役12年の実刑判決が確定した。ファンにとっては、信じがたい衝撃的な出来事だった。
その後、ナオキの消息はわからず、いったい何故そんな事件を起こしたかもファンに知らされることはなかった。1審では情状証人として出廷した妻ともその後離婚し、かつての知人ともほとんどやりとりはなかった。
『創』はそういうナオキから手紙を受け取り、やりとりが始まった。かねてより書いているように、判決が確定すると事件について全く報道しなくなってしまうマスコミのあり方には疑問を感じている。有期刑の受刑者はいずれ出所し、社会の中での更生が始まる。再犯性の高い薬物依存や性犯罪においては更生がとりわけ大きな意味を持つ。ナオキの場合は、生きがいだった音楽活動の行き詰まりといった事件の背景があると思われるから、今後の生き方が大事になる。
現在、刑務所などで性犯罪者に課せられている治療プログラムが導入されたきっかけは、2004年に起きた奈良女児殺害事件だと言われている。死刑が確定し2013年に執行された小林薫元死刑囚は06年、『創』に1年近くに渡って手記を連載していた。そのこともあって、性犯罪者の更生をめぐっても関心を寄せてきた。薬物依存とともに性犯罪をめぐっても今、再犯防止をめぐって大きな動きが出始めている。
事件は刑の確定で終わるのでなく、そこからどう更生させ、社会の側が対策を講じていくかが大事な問題だ。
ナオキの事件も悲惨な犯罪で、被害を受けた女性の中には、犯人が二度と社会に戻ってこれないようにしてほしいと訴えた人もいた。その女性たちの生涯にわたる心の傷を思うと胸が痛む。その悲惨な事件について改めて思いを馳せ、処罰や更生とはどういうことなのか考えるためにも、今回、2016年に書かれたナオキの手記を再掲載することにした。 (篠田博之)
山形刑務所での「観桜会」
山形刑務所では毎年4月に「観桜会」が実施される。もっとも、その名称ほど大仰なものではなく、運動場の片隅に数本生えている桜の木の下にブルーシートを広げ生菓子を喫食するという10分15分の行事だ。
冬の間ずっと不機嫌だった太陽がようやく顔を出した昨年の観桜会。春風にあおられた花びらが小躍りする様を眺めながら、「交談禁止」のため黙々とプレミアムスイーツ『ふんわりワッフル(4ケ入り)』を食していた。脳内再生されていたBGMはオリビア・ニュートンジョンである。その瞬間、私は確実に小さな幸せを噛み締めていた。生クリームとともに。
税金で犯罪者にそんな贅沢させるなという意見もあるだろう。しかし、単調な生活を送る毎日にあって、このような行事が受刑者に与える心理的影響は決して小さくない。幸せを感じると同時に、改めて気付かされるのである。
――ああ、幸せだ。社会からは忌み嫌われるべき存在でしかない犯罪者のオレが、こうして美味しいお菓子を食べさせてもらいながら桜を眺め幸せを感じている。でも、オレの被害者の人たちは事件以降こんな幸せさえ感じることができなくなってしまったのかもしれない。彼女たちは事件の傷とどう向き合い、どう乗り越え、あるいは乗り越えられず今も苦しんでいるのだろうか。本当に、本当に申し訳のない、取り返しのつかないことをしてしまった……。
逮捕から12年……受講した更生プログラム
2004年3月4日、私は建造物侵入及び強制わいせつ容疑で逮捕された。事案は、マンション内の共用廊下に立ち入り、その場で女性にわいせつ行為をしたというもの。その後、余罪を自供し、強姦1名を含む計9名に対するわいせつ・強姦事件で06年6月に実刑判決が確定した。
〈そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。〉(太宰治『人間失格』新潮文庫)
逮捕から12年、受刑者としてはちょうど10年の節目を迎える。償いとは何か。被害者の方々に罪を償うにはどうすればよいのか。それをずっと考えてきた。……いや、ちょっと待てよ。その問いの背景には、何らかの方法によって償うことができるとの前提が隠れているのではないか。「償える」と思うことが被害者の苦しみを過小評価した加害者側の傲慢さの表れではないのか。そもそも、加害者(しかも性犯罪)が被害者に対し償うこと自体可能なのか。答えは否である。たとえ死んでお詫びしたところで被害者の傷が癒えるわけでもない。ならば私は償うことさえ叶わない大きな罪を犯したのだという自覚を持ち、一生それを背負って生き続けなければならないのだ。
懲役刑に服するということはあくまで社会治安を乱したことに対する国家への償いでしかなく、むしろ服役を終え自由を手にした後こそが真の償いの始まりである。自分の被害者に対して償えないのであれば誰に対して償うのか。まずは「未来の被害者」なのだと思う。今はまだ被害に遭っていないが将来何らかの事件に巻き込まれるかも知れない存在。つまり私自身が再犯に至らないことを大前提として、その上でなお、新たな犯罪を防ぐことができないだろうか。
統計数字を見る限り、そして私自身の経験からも、刑務所とは「矯正施設」ではなく「再犯者養成所」である。適切な運営と教育により大きく再犯率を下げることができるにも関わらず。
加害者も被害者も、受刑者も刑務官も、市民も政府も、それぞれ立場は異なるものの「新たな被害者や加害者を生み出さないために何ができるのか」との一点においては同じ目的を共有できるのだと信じたい。
こうして私が自分なりに罪と向き合うことができているのには、ふたつの大きな要因があるからだろう。ひとつは通称「R3」と呼ばれる更生プログラムを受講したこと。そしてもうひとつはキリスト教の信仰を得たことだ。
全員というわけではないが、多くの性犯罪者は服役中にR3の受講を義務付けられる。これは認知行動療法に基づいたプログラムで、週2回、半年かけて実施される。受講者8名(固定メンバー)と臨床心理士・教育部門スタッフなど計10名前後で行われ、各自が課題として作成したワークブックの内容について発表し、ディスカッションするグループワークだ。私はこれを2009年に受講した。
このプログラムの効果は昨年度版『犯罪白書』で明らかにされ、出所後の再犯率はR3受講者が9・9%、非受講者は36・6%とのことである(出所者全体では47・1%)。
R3では感情統制方法など様々なスキルを学ぶこともできるが、私にとって最も効果があったのは「心を開くことができるようになった」ということだ。
リストカットと性犯罪
元来私はそれができず、常に本音を隠して生きてきたように思う。その結果、親友なるものができたことはなく、また、人に弱音を吐くことができないためひとりでストレスを抱え込むこととなる。それが極限まで高まったのは2002年だった。
「頭のおかしい自称映画監督」を名乗る男が、多摩川に現われたアゴヒゲアザラシのタマちゃんを食べる計画を立てていた頃、私は鬱病を患いリストカットを繰り返していた。深夜に救急搬送され週刊誌に報じられたこともあった。死にたかったわけではない。そういう病状なのだ。おそらく周囲に対し全身でSOSを発していたのだろう。ストレスを抱えたままどうすることもできず、破滅願望や破壊衝動のようなものが生まれ、それが内側に向いたのがリストカット、外側に向いたのが犯行(の一因)なのではないかと考えている。
女性に困っていたわけでも特殊な性癖があったわけでもない。もしかしたら性犯罪ではなく薬物や暴力だった可能性もあったかもしれない。今更ながら身勝手極まりなく、被害者の方々にはお詫びのしようもない。
二度と犯罪に関わりたくないというのは、多くの受刑者が持ち合わせている願いだ。私も、自身の再犯防止のため、R3の効果を最大限享受したいと思い受講に臨んだ。そしてそのために、これまでずっと閉じてきた心の扉を常時オープンにする必要に迫られた。なんせこれまで本音を見せずに生きてきた人間が、幼少期から現在に至るまでの自分史や当時の感情、性の芽生えや性的嗜好などを人前で発表するのである。
しかし受講を重ねるうちに気付いてきた。自分を晒け出すことに何の不都合もないのではないか、と。むしろこちらが心を開けば相手も同じように接してくる。距離が縮まる。そんな当たり前のことや対人関係の築き方を30歳(当時)にもなって初めて知ったのだ。逆に、なぜこれまでの人生においてあんなにも頑なに心を閉ざしてきたのか疑問にさえ思った程である。
心を開く対象は他人だけではなく自分自身をも含む。本当は傷付いて生きてきたにも関わらず傷付かない振りをして、あるいはそれを認めたくないから意図的に目を逸らしていたのだろう。自分の痛みに向き合えない人間が他人の痛みを想像することなんて決してできない。だからこそ簡単に人を傷付けることができた。
15年のヤクザ生活、そのうち半分を塀の中で過ごした牧師の進藤龍也氏は自著でこう述べている。
〈自分の人生を振り返るとき、過去に受けた心の傷が、今の自分にどう影響しているか、目をそらさずに、まっすぐ見つめていくことが大切です。気付くこと、それを認めることから回復が始まります。回復が進めば進むほど、意識した、しないにかかわらずこれまで自分が犯してきたすべての「罪」を憎むようになります。そして、とても胸が痛みます。これが「救い」つながる「悔い改め」なんです。〉(『極道牧師の辻説法』学研)
音楽とキリスト教─迎え入れられた世界
R3の受講を通じて自分にも他人にも心を開くことができるようになった。これまで無視し続けてきた過去の傷を直視し、受け止めることもできた。その結果この手で犯した罪と真摯に向き合うことができたのだ。
初めて聖書を手にしたのは10年以上前、まだ未決囚として東京拘置所にいた頃だ。きっかけは佐藤優氏の『国家の罠』である。(余談だが佐藤氏と私は、入所時期こそ違うものの東拘の同じフロアで生活し、同じ担当刑務官の世話になったという縁を持つ。)
当時の私にとって聖書は、あくまで教養や好奇心の対象でしかなかった。刑務所に来てキリスト教の集合教誨にも参加していたが、やはり信仰を持つには至らなかった。
回心の体験が訪れたのは、受刑生活丸8年となった一昨年の6月。大きなトラブルもなく(もないが)、多少の理不尽はありつつもそれなりに平穏に過ごしてきた中、短期間に相次いで他者からの悪意や刑務所の不条理が押し寄せ、私は完全に憔悴しきっていた。
そんな折、それは不意にやってきた。
在るべきものが在るべき場所に収まり、全身が何かあたたかなものに包まれ満たされる感覚。
──強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ神と共に動いていると云いたい。あらゆる神の色、神の風、神の物、神の声を打って、固めて、蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。──
望むと望まないとに関わらず、気付けば私は「そこ」にいた。
短期間のうちに聖書を通読し、百冊あまりのキリスト教書を読み漁り、あたかも昔からそうであったかのように私はすっかりキリスト教徒になっていた。そして、(半知性主義の私の主観ではあるが)数学的な美しさを持つ教義や伝統に惹かれ、現在はカトリック教会の典礼に沿って聖書を読み、祈りの日々を過ごしている。
実は、この呼び起されるような体験は今回が初めてではない。
14歳のナオキ少年が初めてギターを手にした瞬間、天から啓示のようなものが降りてきて、私は音楽のためにこの世に生まれてきたのだと悟った。そしてその時、プロミュージシャンになることやヒット曲を出すこと、紅白歌合戦に出場することなどを「望んだ」のではなく「決めた」。近い将来それが実現することを「知っていた」のだと思う。事実、大手レコード会社と契約したのはその4年半後。紅白出場まではデビューから約1年後だった。
ある小説の主人公が作中でこんな言葉を語っている。
〈芸術にしろスポーツにしろ、その世界で生きていくべき人間はどんな道を辿っても最終的にはその世界から迎え入れられるものだと思う。〉(中山七里『おやすみラフマニノフ』宝島文庫)
音楽とキリスト教。それこそ私が迎え入れられた世界である。
逮捕によってバンドは解散
デビューから5年が経過し、一旦バンド活動を休止していた時期に私は犯罪に手を染めた。逮捕によって活動再開の目途が立たなくなり、バンドは解散となった。私の愚かな事件によってメンバーやスタッフの仕事がなくなった。ファンの信頼も裏切ってしまった。そして、音楽を手放すこととなった。悔やんで悔やみきれるものではない。だからこそ、もう二度と私を迎え入れてくれた世界に背中を向けたくない。
大人になってから信仰を得るということは、根底からの価値変革を伴うことでもある。「更生」という字を漢字一文字にすると「甦」。罪に死んで人として甦る。その過程を私は、十字架から甦ったイエス・キリストの支えによって歩むことができている。
刑期も終盤になると仮釈放が見えてくる。再犯率を比較すると、満期出所者よりも仮釈放者の方が遥かに低い。それゆえ、法務省側も極力仮釈放決定を出す傾向が強い。身元引受人さえ決まっていれば余程のことがない限り多少の仮釈放が与えられるようだ。
仮釈放期間中は原則として身元引受人と同居する。2週間に一度、保護観察官や保護司との面談で、求職・就労状況や金銭面も含めた生活全般について報告し、助言を仰がなければならない。R3受講者は、保護観察所で実施される更生プログラムの受講も義務付けられる。
そもそも「更生」は英語で「リハビリテーション」。つまりは損なわれた機能を回復させ元の生活に復帰する作業だ。
出所後の生活は一切考慮されず、ただ刑務所暮らしへの過剰適応だけを求められる受刑者は、拘禁期間の長さに反比例し社会復帰力が低下する。仮釈放とは「社会生活」に適応するためのリハビリ期間であり、他方、満期出所者はその機会が一切与えられないまま、文字通り塀の外に放り出される。
〈出所の際に受け取る刑務作業報奨金は、(労働の対価ではなく懲罰の一環との理由から)信じられないくらいに安い。迎えてくれる身内はまずいない。当然ながら帰る家もない。たった一人だ。社会復帰したくてもできるはずがない。〉(森達也『「テロに屈するな!」に屈するな』岩波ブックレット)ちなみに森氏が指摘している作業報奨金だが、私の場合10年間の平均は月額で約3300円。「日額」ではない。「月額」だ。
今年2月、私の仮釈放審査のため東北地方更生委員会との「委員面接」が行われた。2回実施されるうちの一回目だ。これまでに予備調査が行われているので、ここまで辿り着けば事実上仮釈放確定である。(その後反則行為を繰り返したり身元引受人側に特段の事情が発生しない限りは。)経験上、私は遅くとも6月中の出所が見込まれることとなった。
今週来週あたりにも2回目の面接があるだろうと予想していた3月29日、突然私は本部棟に呼び出され刑務所幹部からこう告げられた。
「東北地方更生保護委員会から仮釈放不許可の決定が通知されたので告知する。以上」
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