遙か紀元前の昔から数千年の伝統を有し、<舞踊の始原>と称されるインド古典舞踊。
広大なインド亜大陸の各地で育まれた流派の数は万を超えるとも。
中でも代表的な舞は四大古典舞踊として知られている。
体は小柄だが、変幻自在のパフォーマンスが場内の視線を奪い離さない。
流麗かつ複雑な表現が特徴であるインド古典舞踊は、信仰に深く根ざし、舞踊芸術として発展を遂げてきた。
インドと日本では信仰や宗教観が異なる。
神々の間で生まれた南インドを発祥とするバラタナティヤムの起源は、寺院に仕える巫女が神々に捧げた踊りにあるという。
バラタナティヤム(英:Bharatanatyam)は、インドのタミル・ナードゥ州を発祥とするインド古典舞踊。インド四大古典舞踊のなかで最も古い伝統を持ち、紀元前1000年頃からヒンドゥー教寺院の儀式で行われていたデーヴァダーシー(巫女)による奉納舞踊だった。バーラタ・ナーティヤムとも表記される。
「舞」は「平和」である。
幸福と喜びの象徴である。
その対極が「戦争」だ。
戦争は残虐・無残な地獄の姿だ。
<我々はこの世に、舞を舞うために生まれてきたのだ>
「中国に仏教が伝わった時、「天空を舞う天女」—「飛天」の逸話がある。
だが、中国では女性が躍る姿を描いていない。
儒教の影響であろうか。
それが法華経によって、踊る女性を描くことが認められるようになった。
その姿が飛天となったと思われる。
中国において仏教の思想が理解されるようになったのは、「芸術の美」を通してであった。
経典も、表現が美しくなければ、人の心を打たないだろう。
「文化」と「仏教」は表裏一体。
「仏法運動」は必ず「文化運動」となっていくものだ。
人生の本当の「幸福」とは、どこまでも自在に、自分らしく、わが生命の舞を「舞い抜いて」いくことではないだろうか。
「文化」とは―生命を開花させるためにある。
人間を最高に高めるのが文化である。
文化・教育運動で、世界を結びつけるソフト・パワーで、世界を結びつけ、各国の友好の絆を築くのである。
生命の高まりこそが自身の可能性を開き、芸術の創造の源泉になる。
人生と苦悩、信念と創造、芸術と信仰—世界にあまたある文化・芸術は、人類は不屈の精神闘争の中で育み、磨き上げてきた遺産ともいえる。
そこから、我々は何を学び取っていくべきか。
そこに文化交流の眼目の一つがある。
人間は文化を通じて真に結ばれる。
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