女子会のベルばらトークが、はからずも何十年も前の心の傷のようなものを明らかにしてくれました。
客観視すれば、これは成長の過程で誰もが通るところで、「傷」なんて言わなくてもいいくらいのものだと思いますが、あまりぴったりした言い方がないのでここでは「傷」としておきます。少なくとも、前に思い付いたような、単に「ベルばらが悲しい話だから」とかいうことではなかったようです。
ところで、「二次創作は癒しなんだ!」という記事を書いたとき、トラウマ云々と書いてしまいましたけど、私は「トラウマ」という言い方があまり好きではありません。心理学には詳しくありませんが、「トラウマ」なんていうものは、有ると思えば有り、無いと思えばないものではないかと思いたいからです。
聞くところによると、そういう立場をとる心理学者もいるそうですね。
そうそう、アドラー心理学。アドラーさんのこともよく存じ上げませんが、「過去が今に影響はもたらさない。今に影響を及ぼすのは今の気持ちだけ。」というのはなんとなく私がこの人生の今の段階に差し掛かるに当たり、実感していることです。トラウマをかかえている=過去に囚われている というのも今の自分の気の持ちようだと思ってます。
でも、今回自覚した「傷」。
「トラウマ」で説明した方がうまくいきそうな気もしますが、やはり過去は現在に影響しないとも言えます。つまり、今の私も「女性」「男性」という性の問題をずっと抱えているということです。子どもから大人になり、自分が女性だということも納得して受け入れているように見えて、そうでもないということです。それが、「ベルばら」によって浮き彫りにされてしまい、居心地が悪いんでしょうね。
まさか、この年になってこういうことを考えることになろうとは、思ってもみませんでした。
でも今まで考えないようにしてきたから、いつまでも問題として抱え続けたのでしょう。
面白いものです。
実はほかにもうっすら自覚しつつも見ないようにしている問題があります。コンプレックスにつながることです。このことをちゃんと具体的に口にできる日が来たら、また私は一段階成長するんだろうという思いもありますが、今は、公言することはもちろん、正面切って自覚することもちょっと無理ですね。
そんな問題、きっと誰しも持っているんでしょう。大人と言っても完全な大人じゃないのです。ベルばら再燃がこういう考察まで私を運んできました。とっても面白いと思います。
ところで、この問題に関連して、1年半前にも取り組んでいました。
「赤毛のアン」にからめて。
少女時代のジェンダーについて書いてました。
でもこの時は、まだ問題を直視できてなかったので、曖昧にしかとらえてないですけどね。
私がアンに感じてた居心地の悪さもベルばらでいたたまれないのも、根っこは一緒ですね、きっと。
快読「赤毛のアン」 感想
客観視すれば、これは成長の過程で誰もが通るところで、「傷」なんて言わなくてもいいくらいのものだと思いますが、あまりぴったりした言い方がないのでここでは「傷」としておきます。少なくとも、前に思い付いたような、単に「ベルばらが悲しい話だから」とかいうことではなかったようです。
ところで、「二次創作は癒しなんだ!」という記事を書いたとき、トラウマ云々と書いてしまいましたけど、私は「トラウマ」という言い方があまり好きではありません。心理学には詳しくありませんが、「トラウマ」なんていうものは、有ると思えば有り、無いと思えばないものではないかと思いたいからです。
聞くところによると、そういう立場をとる心理学者もいるそうですね。
そうそう、アドラー心理学。アドラーさんのこともよく存じ上げませんが、「過去が今に影響はもたらさない。今に影響を及ぼすのは今の気持ちだけ。」というのはなんとなく私がこの人生の今の段階に差し掛かるに当たり、実感していることです。トラウマをかかえている=過去に囚われている というのも今の自分の気の持ちようだと思ってます。
でも、今回自覚した「傷」。
「トラウマ」で説明した方がうまくいきそうな気もしますが、やはり過去は現在に影響しないとも言えます。つまり、今の私も「女性」「男性」という性の問題をずっと抱えているということです。子どもから大人になり、自分が女性だということも納得して受け入れているように見えて、そうでもないということです。それが、「ベルばら」によって浮き彫りにされてしまい、居心地が悪いんでしょうね。
まさか、この年になってこういうことを考えることになろうとは、思ってもみませんでした。
でも今まで考えないようにしてきたから、いつまでも問題として抱え続けたのでしょう。
面白いものです。
実はほかにもうっすら自覚しつつも見ないようにしている問題があります。コンプレックスにつながることです。このことをちゃんと具体的に口にできる日が来たら、また私は一段階成長するんだろうという思いもありますが、今は、公言することはもちろん、正面切って自覚することもちょっと無理ですね。
そんな問題、きっと誰しも持っているんでしょう。大人と言っても完全な大人じゃないのです。ベルばら再燃がこういう考察まで私を運んできました。とっても面白いと思います。
ところで、この問題に関連して、1年半前にも取り組んでいました。
「赤毛のアン」にからめて。
少女時代のジェンダーについて書いてました。
でもこの時は、まだ問題を直視できてなかったので、曖昧にしかとらえてないですけどね。
私がアンに感じてた居心地の悪さもベルばらでいたたまれないのも、根っこは一緒ですね、きっと。
快読「赤毛のアン」 感想