キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

二次創作は癒しなんだ!

2015年12月14日 |   └─再燃!ベルばら
今、「ベルばら」の二次創作ものを読み漁っています。
ネット上には、ファンが書いたおびただしい量の「二次創作」作品があるようなのです。
二次創作、SS(サイドストーリー)とかfanficとかいうようですね。
ここにもコメントいただいたKHSさんに教えていただきました。


「SHERLOCK」の時も、正典ホームズものも、その手のモノにはずっと距離を置いてきたのですけど、なぜか、「ベルばら」でそこ(二次創作の大海原)へ足を踏み入れました。


そしてSSが自分にとっては一種の「癒し」なのだと気がつきました。


「ベルばら」という作品を思い出す時、いつも「恥ずかしい、人に語れない、なんかもやもやする・・」というよくわからない感覚が生じていました。
この正体がどうにもわからなかったのですが、「恥ずかしい」と思う裏には、どうやら少女の頃にベルばらに出会って受けた傷のようなものがあったようです。それが何十年も心に引っかかって、原作を読めば涙がぼろぼろ流れるのに、その涙がちっともカタルシスになってなくて、もしかすると余計に傷ついて、でも漫画ごときで傷ついてるのを認めたくなくて、「恥ずかしかった」という表現になったのかもしれないな~と。
なぜ傷ついたのかは今もってわかりませんが、ベルばらってそもそも悲しい話ですよね。悲しいからドラマチックなわけですが、少女の心には、あの悲劇がショックすぎたのかもしれません。

果たしてそれが「傷」と呼べるものなのかどうかも判然としませんが、「ベルばら」はなんかほかの漫画と違うんですよ。
この間ずいぶん久しぶりに何巻か読んだんですけど、読みながらぞわぞわするんです。ときどきページが直視できず、はたっとページを閉じたくなるんです。
SS作品のお約束なのかはわかりませんが、なぜかところどころに原作のセリフやト書きがそのまま登場する箇所があるんですが、その箇所を読むときに「ぞわっ」と鳥肌が立つんです。
絶対なんかあるんです、これ。

そんな感じで、いつもベルばらに対して妙な反応が出てしまう私でしたが、二次創作を読んでいくうちに、なぜか癒されてきてるんです。何かが融け出してる感じ。

そしていろんな作品を読みながら感じたのですが、二次創作する人の中には、私と同様にベルばらを読んで傷ついた自分自身を癒すために書いている人がいる様な気がします。少なくとも私が読んで面白い!と思った作品にはそういう要素があるはず。その要素があるから面白いと思ったし、読み進められたのでしょう。




トラウマの解消には「傷ついた自分を認める」という過程が不可欠とも聞きます。
私も自分でも全く気がついてなかった、ベルばらを読んで傷ついた自分(あるいはまだわからないけど、ベルばらを読んでいたころに受けた傷なのかも)を認めることが、ベルばらを楽しく楽しめる(変な日本語!)第一歩になるのかもしれません。



ホームズもので二次創作を受け付けない(パスティシュでアイリーンにスポットが当たると、ちょっと不機嫌になってしまうわけですよ)のは、その辺に理由があるのかも。
なんというか、ホームズでは私は傷ついてないんでしょう。
純粋に物語を読むのが楽しいから何かで補う必要がなかったんでしょうね。


ベルばらで英語~ロザリーの「あたし」

2015年12月10日 |   └─再燃!ベルばら
いま、「ベルばら」熱再燃中なのですが、はまり始めるとのめりこむ自分の性格。あまりにもいろんな情報を取り込みすぎてまだ全然整理がつきません。整理ついても書かないかもしれないですけど(なにせ「ベルばら」は恥ずかしいので・・・照)、ちょっとした話から、書けるところから、書いてみようと思います。(カテゴリも新設した!)


ベルばらのアニメをNHK-BSで放映中なのが再燃のきっかけですが、録画をひまなときにさーっと見て、見た後はすぐに消去してたんです。はじめのうちは。・・・・・ところが、ジャンヌの首飾り事件のあたりから、「どうもこのアニメ版は原作とテイストが違うぞ。別の話みたいだ・・」と感じるようになり、面白くて、本腰入れて見るようになりました。そうなると、録画を消したのが悔やまれます。

でも今は便利な世の中ですね。ネットに(違法かどうかわかりませんけど)上がってるんです。それで録画を消した部分の復習をしたりしてます。で、よく見ると字幕がついてるんです。英語の。どうやら海外でアップロードされてるようですね。スマホの小さな画面で見てるのであまり鮮明には字幕見えないのですが、面白いのがありました。



ロザリーが育ての母の仇をうつため貴婦人修行してるシーン。


「あたし」というロザリーの一人称を、オスカルが「わたし」と言え、と指導します。
こういうの、英語だと難しいですよね。一人称の言い方で「お里が知れる」なんてのは。





英語字幕では、ロザリーが「I ain't~~」というのを、オスカルが「 I haven't~~」と言えと指導する形になってました。

なるほど~!
「SHERLOCKで英語」の時もこういうことの面白さを感じてはいたのですが、「ベルばら」はそもそも日本の作品。これが英語に翻訳されたものを見るのは、また別の興味で見られますね。

中国語なんかだとこの部分どう訳すんだろう?やっぱり一人称は「我」なわけで。言葉遣いのノーブルさを中国語ではどう表現するかな?

「お母さんが一緒」 ブス会

2015年12月08日 | ☆エンタメー舞台


先月末にお芝居を見に行ってきました。
これも夫の付き合い。
最近彼は仕事が死ぬほど忙しいのに、遊びにも全力になってるご様子。



会場は下北沢のスズナリ。
おなじみですね。

ペヤンヌマキという方の作品で「ブス会」というシリーズ。
見に行くのは2回目ですが、前回とは役者さんがかなり変わってました。
同じ人は、内田慈(うちだちか)さんだけ。夫のお目当てはこのちかちゃんなのでいいのです。

あ、内田慈さんというのは、朝ドラ「まれ」で能登に移住してきた癖のあるシタール奏者の役でちょっと出てましたね。
なかなか個性のある女優さんです。


内容は、女三姉妹がお母さんを連れて温泉旅行にやってくる・・・というお話なのですが、女の情けなさ、汚さ、どうしようもなさ、かわいさ、たくましさ。どんどん本音で語ってくるちょっと「痛い」お芝居でした。特に30代の女性が見たら、かなり「痛い」んじゃないかな~。私はおかげさまでもうそこは乗り越えてきてるので、ダメージは少なかったです。

終演後、内田慈さんとお話しできた夫はとっても嬉しそうでした。
2ショット写真も撮らせていただきました(もちろんカメラマンは私)
舞台はいいですね。
役者さんのパワーがダイレクトに伝わってきて。

今度は男性の舞台を見に行きたいな^^
「東京印」またやらないかな?

見田村千晴ライブ@名古屋

2015年12月06日 |   └─POPS日本


夫の誕生日。
彼のリクエストにより名古屋までライブ見に行ってきました。
ちなみに本人は仕事があり、ほんとにライブ見る時間しかなくとんぼ返り。
私は休みだったので少し早めに行って名古屋の友人と食事しました。


この見田村千晴さん、自作自演型の歌手です。
夫が最近にわかに気に入っているらしい。先日も私が台湾に行ってた時に急に思い立って名古屋までライブ見に行ったんだそう。東京でもあるのになぜか名古屋。
そして今回もまた名古屋。
今とっても仕事が忙しくて、休みも取れない中でもどうしても聞きたかったのだそうです。


「とってもいいからぜひ一緒に聴きに行こう。チケット買っといたから」

と誘われて、「名古屋か~遠いなぁ、東京でやるときでいいんじゃないかな~」なんて思ったのですが、当日は誕生日でもあることだし、(チケットも買ってあるし)付き合ってみました。


夫に「聞いて聞いて」と、前回のライブで買ってきたCDを否応なしにかけられる。

取り込まれてしまうのもちょっと癪なので、興味ないふりしながら「ふーん、結構いいじゃないの」なんて言ってたらそのうち夫が用事で席をはずす。うっかり、歌に集中してしまったたら、なぜか、涙がポロポロ出てきました。

私を泣かせるとは!
お主、なかなかやるのぉ。(上から目線でお送りしておりますよw)

参りました。






歌もうまいけど、歌詞も良い。
ストレートで時々「うっ」と思うフレーズに出会ってひきこまれる。
そんなアーチスト。

例えば、「生まれてきたが最後、どこまで愛せるか。」なんて歌詞、印象的ですよね。

今夜のライブでも、一曲涙がポロポロ流れてしまった歌がありました。
この歌聞くと泣くことになってしまったのか?この歌です。↓

"見田村千晴 - もう一度会ってはくれませんか【MV (short ver.)】" を YouTube で見る


泣いてるのが恥ずかしく、夫に顔を見られないように横向いてた。
外タレ志向のワタクシですが、やっぱり日本語の歌詞はいいなぁ。
いや、むしろ逆か・・・そもそも私がなぜ外タレが好きかというと、日本語の歌は歌詞が邪魔に感じることが多かったからなんです。

でも時々、こういう風にストレートにしみじみ来たり、ドスンと来たり、じわじわ来たりする歌、確かにありますね。




今夜のライブはクリスマス先取りってことでトナカイの角なんかつけてクリスマスソングを歌うコーナーもありました。このコーナーだけは撮影オッケーだったので写真をどうぞ。




来年東京でやるライブのチケットもさっそく買ってましたよ。
私の分もあるらしい。
また付き合うことになりそうです。

井上陽水コンサート@東京国際フォーラム

2015年12月05日 |   └─POPS日本


久しぶりにチケットが取れたので行ってきました。井上陽水さんのコンサート。
今回は有楽町の東京国際フォーラムホールAです。
どうも新譜が出たばかりらしい。
カバーアルバムの二枚目なんだって。
例によってなんの予習もせず、会場へ。


過去の陽水コンサート記事
井上陽水@神奈川県民ホール(2007)
祝!40周年 井上陽水コンサート@東京国際フォーラム(2009)
井上陽水コンサート 2012



今夜はブラタモリのテーマが聞けたらいいなあ。
あのエンディングテーマすきなんですよね。
席は一階席の44列目。
ステージからはかなり遠いですが、中央だったのできっと音は聞きやすいことでしょう。



一曲目は「コーヒールンバ」から。
かなりジャズっぽいアレンジで大人なコンサートの幕開け。

2曲目は「ダンスはうまく踊れない」。
懐かしい曲ですね。
これがすごくよかった。陽水さんも還暦をすぎて更に半分より向こうへ行ってらっしゃる(本人談:つまり60代後半ってことなんでしょう)せいか、声に一段と味が出て何とも言えないカッコよさでした。

新譜のカバーアルバムから数曲。
カバーした経緯などを語りつつ歌います。大橋純子の「シルエットロマンス」、吉田拓郎の「リンゴ」。

あと、カバーではないけど最近の曲としてブラタモリのテーマ。なんと、オープニングテーマもエンディングテーマも両方歌ってくれました。テレビと全く同じだった。やっぱりすごい。
フルコーラスで聞けて大満足。
曰く「NHKさんの方から話がありまして、どうですか?陽水さん、ヒマでヒマでしょうがなかったら、テーマ曲書いてみませんか?って言われたんですよね。で、その時とってもヒマだったのでエンディングテーマも作りました」だそうです^^

それから、いつもの陽水オリジナル作品のコーナーになり、聞かせてくれました。
もうライブに行くのも6回目か7回目くらいなので、知ってる曲が増えました。
中でもアンコール前の最後の曲、今夜の「とまどうペリカン」は最高でした!

「とまどうペリカン」は独特の歌詞世界があって、ちょっと訳の分からない歌なんですが、昨日は映画館で映画を見てるような感覚になりながら聞いてました。ライオンもペリカンも私の頭の中で動いていました。


アンコールは「なぜか上海」、「夢の中へ」、「傘がない」、「結詞」の4曲。

この中では「傘がない」が圧感でした。
これで終わってもいいな~と思ってたんですが、「結詞」というエピローグのような歌が最後にあり、締めくくりとなりました。お客さんは最後は立ち上がって拍手拍手でした。


セットリスト


カバー曲が多かったし、私みたいなファンじゃない人でもとても楽しめるコンサートでした。
9月から始まったツアーですが、これから4月までまだまだ全国ツアーで回るようです。3月の神奈川県民ホールのチケットとれたらいいなぁ。

オスカル「様」?

2015年12月04日 |   └─再燃!ベルばら
ベルばら話つづきます。
主人公のオスカルフランソワをときどきファンは「オスカル様」と呼ぶみたいですね。
作中でも、その地位の高さ故か、様付けで呼ばれることは多いのですが、なぜファンまで様付けなんだろうと言うのは割りと前から抱いているギモン。

作中のロザリーのようにオスカルに憧れていてそれが様付けにつながるのかな?

オスカルって憧れるかなぁ。
憧れの対象になる人もいるのは理解できるけど、多数派なんだろうか?
あるいは、オスカルに「様」をつけて呼ぶのは、一種の「いじり」なんだろうか?

とか言ってますけど、もちろん私はオスカルが好きで、だからペルバラ好きなんですけどね。でも、少女の頃に読んでた時も、「オスカルさまぁ~」というふうに憧れることはなかったかな。

オスカルみたいになりたいとは思ってた。あくまでも対等な感じでオスカルと入れ替わるみたいな感覚で。オスカルになってどうしたいかといえば、好き勝手に生きてそれでもやっぱりアンドレに愛されるっていうのが良かったんでしょうね。


いい機会なので分析していくと、ベルばらの何が好きかと言えば「アンドレ」となり、それもよく分析していくと、「オスカルを好きなアンドレ」が好き。ってところに落ち着きそう。

これって、かなり王道ファンの姿なのかもしれない。・・・しれないと思うけど、ベルばらファンの皆さんとあまり交流がなかったのでよくわからない。みんな、どういうところが好きなんだろう??急に覚醒してしまっていろいろ考えてる(笑)




私の中国語歴 2

2015年12月02日 | ☆中国語の話題
私と中国語のかかわりについて、ちょっとまとめておこうかなと思います。

1997年

初台湾旅行 ※この時点で知ってる中国語「ニーハオ」「シエシエ」。
香港映画をいっぱい見ていたので、北京語より広東語に親しみを感じていた。


1998年

インターネットを始める。
陳昇ファンサイトのチャットルームに出入りし始める。使用言語は英語だったけど、人々の書く中国語を「心の目」で読み始める。同時に台湾へ通い始め、友人できる。現地では英語使用。中国語は数字や「我要這個~これが欲しいです」程度。


1999~2000年

このころ台湾からの留学生の友人に中国語を習う(半年くらい?)。いわゆるカフェレッスン(台湾師範大学の教科書1課~9課あたりまで)先生が友人だったので、馴れ合ってしまいあまり身につかず。
それでも台湾へ行く度、少しずつ中国語を使い始める。
相変わらず簡単なこと以外は英語。
陳昇関係の新聞記事など「心の目」で読む。
中国語カラオケにはまる。ピンインわからず、カタカナでルビを振っていたのが致命的だった。


2001年~2008年

中国語での飲み会や食事会へもいろいろ参加。旅行会話は一通りマスター?
買い物はできてもそれ以上の会話のできないもどかしさを感じ始める。
慣れもあり、友人らの話す中国語はなんとなく理解できるようになる。でも自分のしゃべってるのが正しいのか間違ってるのか、ぜんぜんわからない。耳から覚えた中国語に限界を感じていた。まわりからも「ちゃんと勉強したら?」の声多数。


2009年

一念発起、中国語個人レッスン開始(カフェレッスンでなくちゃんと教室へ)。ピンインを覚える。師範大学の教科書10課から。文法も勉強し始めた。そり舌音が理解できた。夏に台湾で1週間の語学レッスンを受ける。中国のタイピング(ピンイン入力)を導入。メールを書き始める。


2010年

レッスンがちょっと中だるみし、中検に挑戦しようと思う。簡体字の勉強開始。文法詰め込み勉強で3級と2級を取得。英語がすっかり使えなくなる。

アウトプットはまだまだ訓練不足だと感じるが、会話中わからない単語があったときに聞き返したりできるようになってきた。以前なら「聽不懂」しか言えなかったのに。かなりの進歩だと思う。


---------------------------------------------------

以上は2010年12月22日にアップした記事でした。
それから5年以上が経過したので、更にまとめておこうかと思います。


---------------------------------------------------

2010~2013年

2013年4月まで、週に一回の個人レッスンに通い続けました。
教科書は師範大学の「実用視聴華語5」の途中まで進みました。

でも、教科書の4巻以降は内容がかなり難しく、週1で1時間だけのレッスンでは全く内容をこなせなくなりました。
2012年からSHERLOCKにはまってしまい、ひまさえあれば英語のセリフを読むようになってしまったことも、中国語学習が進まなくなった一因でした。

4年強個人レッスンを受けたことで、中検2級にも合格したし、日常会話もなんとなくできるようになり、新聞記事なども芸能記事程度なら流し読みで意味がわかるようにもなりましたし、友人にあててなら中国語のメールも書けるようになりました。


2014年~現在

レッスンを受けなくなったことで、教科書の勉強はストップ。
日常で中国語は、フェイスブックなどで台湾の友人たちが書き込んでいるのを読んだり、それにコメントしたり。
また、旅行先で使ったり。
時々思いついたように中検2級の和文中訳問題に挑戦したりしていますが、どんどん衰えてます。

さてこれからどうなりますやら。



YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
台湾旅行一覧 ただいま64回
海外旅行一覧 ただいま123回?