今日の「 お気に入り 」は 、今読み進めている翻訳
本の中から 、 備忘のため 、抜き書き 。
このように面白いと思ったところは 、ところどころ 、
書き写し 、読み返し読み返し 、読み進めているので
なかなか はかがゆかない 。
引用はじめ 。
「 僕らはアフリカで不帰順のムーア人たちと接触を
持っていた 。彼らは立入禁止地区 、つまり 、僕
らにとっては飛行機で飛び越えるほかない地区の奥
から忽然と姿を現し 、キャップ・ジュビーやシズネ
ロスの砦で大胆にも砂糖の塊や茶葉を買うと 、また
神秘の中に戻っていった 。僕らは彼らが通りかかる
ときを見計らい 、その何人かを手なずけようと試み
た 。
相手が影響力のある首長格の男だった場合は 、と
きに航空会社の上層部の承認の下で飛行機に乗せ 、
世界の実態を見せてやった 。その狙いは彼らに傲慢
さを捨てさせることにあった 。」
「 そんなわけで 、僕らには彼らを連れ出す必要があ
った 。実際に未知の国フランスを訪問させてやっ
た者も三人いる 。以前 、僕と一緒にセネガルに行
って 、生まれて初めて緑の木を見て思わず感涙に
むせんだ連中がいたが 、その連中と同じ種族の三
人の男だった 。 」
「『 おまえは知っているか ・・・ フランス人の神は
・・・ フランス人に対するフランス人の神は 、我
らムーア人に対するムーア人の神より気前がいい 』
僕らがこの三人にフランス東部 、サヴォワ地方を
訪問させたのはその数週間前のことだった 。ガイド
役の男は彼らを大きな滝の前に連れていった 。だ
が 、彼らには何かが縒(よ)り合わさってできた円
柱のようなものが唸(うな)りを上げているとしか思
えなかった 。
『 飲んでごらんなさい 』
ガイド役にそう言われて試してみると 、はたして
それは真水だった 。水! 砂漠では最寄りの井戸に
辿りつくのに何日歩かなければならないだろう 。
そして運よく井戸まで辿りついたとして 、その井
戸の底に 、ラクダの尿の混じった泥を見つけるだ
けのために 、どれだけの砂を掻きださなければな
らないだろう 。」
「 僕が彼らと再会した晩 、彼らが滝の話に触れた
がらなかったのはそのせいだ 」
「 とはいえ 、僕は彼ら未開の友をよく知っている 。
たしかに彼らは信仰を揺るがされ 、狼狽し 、今
やほとんど服従しかねないありさまだ 。彼らが夢
みているのは 、フランスの行政府から大麦の支給
を受け 、わがサハラ部隊に安全を保障してもらう
ことだ 。服従すれば 、今より物質的に恵まれる
ことはまちがいない 。
だが 、彼らは三人ともトラルザ族の太守エル・
マムーンと同じ血を引いている( 断っておくが 、
この名前は正確ではないかもしれない ) 。
僕がエル・マムーンと知りあったとき 、エル・
マムーンはフランスの臣下だった 。フランスの
ために貢献したことが認められて公の要職に就い
た彼は 、歴代の植民地総督の経済的庇護を受け 、
諸部族からも敬意を払われていた 。少なくとも 、
目に見える富について言えば 、彼に不足してい
るものは何一つなかったはずだ 。ところが 、そ
の彼がある夜 、一緒に砂漠を旅していた将校た
ちを何の前触れもなしに虐殺し 、ラクダと銃を
奪って不帰順部族のもとに帰っていったのだ 。
いまや彼は砂漠のお尋ね者だ 。一人の太守のこ
の突然の反逆 、英雄的であると同時に絶望的で
もあるこの逃走 、いずれアタ―ル遊撃隊の非常
警戒線上で花火のように消え去るほかないこの束
の間の栄光を 、人は裏切りと呼ぶ 。人々はこの
狂気の沙汰に驚きを隠せない 。
ただし 、エル・マムーンの辿った運命は他の多
くのアラブ人が辿った運命でもあった 。エル・
マムーンは老いを迎えていた 。人は老いると 、
ものを考える 。ある晩 、彼は自分がイスラムの
神を裏切ったこと 、キリスト教徒と契約を交わ
して自らの手を汚し 、しかも 、その契約によっ
てすべてを失ったことに気づいたのだ 。
実際 、大麦と平和が彼にとって何だろう 。堕
落し 、羊飼いになり下がった戦士として 、彼は
かつて自分が本当のサハラ砂漠に暮らしていたこ
とを思いだす 。かつてサハラ砂漠では 、砂の上
に浮かび上がった襞模様の一つ一つがさまざまな
脅威を暗示していた 。夜更けに前進した設営部
隊の最前線に数名の哨兵が配備され 、敵の動き
を告げる伝令が 、篝火(かがりび)の周りに集ま
った男たちの胸を高鳴らせていた 。彼は 、男が
一度味わったからにはけっして忘れることのでき
ない 、あの沖合の海の広々とした味わいを思い
出す 。今 、彼はオーラの消え失せた平穏無事な
砂漠を誇りもなくさまよっている 。今 、サハラ
砂漠はただの砂漠でしかない 。昔はそうではな
かった ・・・ 。」
引用おわり 。
時間はまだたっぷりあるので 、生き急がない 。
。。(⌒∇⌒)! 。。
( ついでながらの
筆者註:「 ムーア人( 英: Moors 、西: Moro )は 、中世の
マグレブ 、イベリア半島 、シチリア 、マルタに
住んでいたイスラム教徒のことで 、キリスト教徒
のヨーロッパ人が最初に使った外来語である 。
ムーア人は当初 、マグレブ地方の先住民であるベ
ルベル人を指すものだったが 、8世紀初頭以降イ
ベリア半島がイスラム化されるにつれ 、イスラム
教徒を意味するようになった 。
ムーア人は明確な民族でもなければ 、自らを定義
する民族でもない 。1911年のブリタニカ百科事典
は 、この言葉は『 民族学的な価値はない 』と述
べている 。中世から近世にかけてのヨーロッパで
は 、アラブ人や北アフリカのベルベル人 、イスラ
ム教徒のヨーロッパ人に様々な呼び名が使われた 。
また 、ヨーロッパでは 、スペインや北アフリカ
に住むイスラム教徒全般 、特にアラブ系やベルベ
ル系の人々を指す 、より広範でやや侮蔑的な意味
でも使われてきた 。植民地時代には 、ポルトガル
人が南アジアやスリランカに『 セイロン・ムーア
人 』『 インド・ムーア人 』という呼称を伝え 、
ベンガル人のムスリムもムーア人と呼ばれた 。フ
ィリピンでは 、16世紀にスペイン人入植者が現地
のイスラム教徒を指して導入したこの言葉が 、
『 モロ 』として一部ムスリム住民の自称にも用
いられている 。」
以上ウィキ情報 。)
♪♪ この世に神さまが ~ 本当にいるなら ・・・ (^^♪