「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2019・12・02

2019-12-02 05:11:00 | Weblog






   今日の「お気に入り」は、森鷗外(1862-1922、文久2年-大正11年)の「歴史其儘(そのまま)と歴史離れ」から。


    昨日の続き。



    「 わたくしはおほよそ此筋を辿って、勝手に想像して書いた。地の文はこれま

     で書き慣れた口語体、対話は現代の東京語で、只山岡大夫や山椒大夫の口吻

     (こうふん)に、少し古びを附けただけである。しかし歴史上の人物を扱ふ癖

     の附いたわたくしは、まるで時代と云ふものを顧みずに書くことが出来ない。

     そこで調度やなんぞは手近にある和名抄にある名を使った。官名なんぞも古

     いのを使った。現代の口語体文に所々古代の名詞が挿(はさ)まることになる

     のである。同じく時代を蔑(ないがしろ)にしたくない所から、わたくしは物

     語の年立(としだて)をした。即(すなわ)ち、永保元年に謫(たく)せられた正

     氏が、三歳のあんじゆ、当歳のつし王を残して置いたとして、全篇の出来事

     を、あんじゆが十四、十五になり、つし王が十二、十三になる寛治六七年の

     間に経過させた。

      さてつし王を拾ひ上げる梅津院と云ふ人の身分が、わたくしには想像が附

     かない。藤原基実が梅津大臣と云はれた外には、似寄の称のある人を知ら

     ない。基実は永万二年に二十四で薨(こう)じたのだから、時代も後になっ

     てをり、年齢もふさはしくない。そこで、わたくしは寛治六七年の頃、二

     度目に関白になってゐた藤原師実(もろざね)を出した。

      其外、つし王の父正氏と云ふ人の家世は、伝説に平将門の裔(えい)だと

     云ってあるのを見た。わたくしはそれを面白くなく思ったので、只高見王

     から筋を引いた桓武平氏の族とした。又山椒大夫には五人の男子があった

     と云ってあるのを見た。就中(なかんずく)太郎、二郎はあん寿、つし王を

     いたはり、三郎は二人を虐げるのである。わたくしはいたはる人物を二人

     にする必要がないので、太郎を失踪(しっそう)させた。

      こんなにして書き上げた所を見ると、稍(やや)妥当でなく感ぜられる事

     が出来た。それは山椒大夫一家に虐げられるには、十三と云ふつし王が年

     齢もふさはしからうが、国守になるのはいかがはしいと云ふ事である。し

     かしつし王に京都で身を立てさせて、何年も父母を顧みずにゐさせるわけ

     にはいかない。それをさせる動機を求めるのは、余り困難である。そこで

     わたくしは十三歳の国守を作ることをも、藤原氏の無制限な権力に委(ゆ

     だ)ねてしまった。十三歳の元服は勿論(もちろん)早過ぎはしない。

      わたくしが山椒大夫を書いた楽屋は、無遠慮にぶちまけて見れば、ざっ

     とこんな物である、伝説が人買の事に関してゐるので。書いてゐるうちに

     奴隷(どれい)解放問題なんぞに触れたのは、已(や)むことを得ない。

      兎(と)に角(かく)わたくしは歴史離れがしたさに山椒大夫を書いたのだ

     が、さて書き上げた所を見れば、なんだか歴史離れがし足りないやうであ

     る。これはわたくしの正直な告白である。 
    (大正四年一月)」

             

     ( 塩野七生著「想いの軌跡」(新潮文庫)新潮社刊 所収 )






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