
今日の「 お気に入り 」も 、今読み進めている本の
中から 、 備忘のため 、抜き書きした 文章 。
下巻の頭の方で 、藩を揺るがす三度の騒動の原因と
なった 経緯 、事情が明らかにされ 、物語は いよいよ
佳境に入っていく 。
初めて読んだ十代のころは 、こうした大人の事情が 、
全くと言っていいほど 、呑み込めなかったものだ 。
引用はじめ 。
「 主水正は肩にふりかかる落葉を払った 。
三十一歳になった彼の顔は 、陽に焼けて
黒く 、眼尻に皺が刻まれ 、額にも三筋の
皺がはっきり刻まれていた 。」
「 人の生きかたに規矩(きく)はない 、ひと
りひとりが 、それぞれの人生を堅く信じ 、
そのほかにも生きる道があろうなどとは考
えもせず 、満足して死を迎える者が大多
分であろう。小出先生は小出先生なりに生
きた 。それはむしろ祝福したいようなもの
だ 。それに反しておれ自身はどうか 、お
れはそうではない 、今日のおれはおれ自身
が望んだものではない 。おれは殿にみいだ
されたいとも思わなかったし 、三浦氏を再
興し 、山根の娘を娶(めと)ろうとも望みは
しなかった 。
―― いや 、これはおまえが選んだ道だぞ 、
と云う声が耳の奥で聞えた 。尚功館へ入学
したいと 、おれのところへ頼みに来たとき 、
おまえの将来はきまったのだ 、誰がなにを
したのでもない 、これはおまえが選び取っ
た道だ 。
谷宗岳の声だと主水正は気づいた 。そう
だ 、こんなことになるとは思いもよらなか
ったが 、慥かにこれはおれ自身の選んだ道
だ 。両親を嫌い 、徒士組のみじめな生活
からぬけ出ようとしたとき 、おれはこの道
へ足を踏み入れたのだ 。なにごとが起ころ
うと 、もう引き返すことはできない 。ど
んなにもがいても 、この道から脇へそれる
ことはできないのだ 。主水正はそう思い 、
唇を噛んだ 。」
「 相手はむずかしい人だ 、たやすくは会え
ないだろうと思ったが 、滝沢邸ではまる
で待ってでもいたかのように 、主水正を
客間へとおし 、すぐに主殿があらわれた 。
じかに二人だけで会うのは初めてである 。
主殿はとし老いていた 。もう七十歳に近
いのであろう 、もとは人並みより高かっ
た背丈が 、ちぢんで低くなり 、すっかり
しらがになった髪も薄く 、頬の肉がこけ
て 、ぜんたいが枯れ乾いた古木のように 、
しらじらと痩せていた 。」
「 照誓院といわれる佐渡守昌吉のとき 、
将軍家重が娘を昌吉の妻に与えた 。そ
れは明祥院時子という婦人だったが 、
すでに身ごもって三月(みつき)の躯(か
らだ)であり 、将軍家の娘ではなく 、
側室だということはわかっていた 。そ
こで江戸と国許の老臣たちが合議のうえ 、
佐渡守には側室をすすめ 、明祥院の生
んだ子は 、病弱という名目で早くから
しりぞけ 、十八歳で病死するまで表へ
は出さなかった 。佐渡守の側室は一人
の男子と 、二人の女子を生んだ 。その
長男が佐渡守昌親であり 、十九歳にな
ったとき 、すなわち明和四年 、将軍
家治の娘が輿入れをして来た 。和姫と
いう人だったが 、明祥院時子の場合と
同じように 、将軍家の側室であり 、
妊娠四カ月であった 。
『 そのとき 、江戸老職の一部に公儀
と通ずる者があって 、和姫さまの産ま
れた若を 、正統に据えようと主張し 、
反対する老職たちと激しく対立した 』
と主殿は云った 、『 御家の血筋を守
ろうとする者たちは 、事が公儀に伝わ
るのを恐れ 、立ってその一派を除いた
のだ 』
『 それが巳の年のことでございますか 』
『 天明五年乙巳(きのとみ)の年のことだ 』」
「 亥(い)年のときはその三度めで 、飛騨守
昌治に輿入れした松平氏の姫は 、やはり
身ごもっていた 。巳の年のときもそうで
あったが 、自分は江戸家老の津田兵庫ら
と慎重に手を打って 、昌治には側室をす
すめ 、松平氏の正室には近よらせなかっ
た 。そして松二郎さまは正室和姫のお腹
から出ると 、御幼少のころから実際に病
弱だったため 、ずっと江戸中屋敷で育て
た 。
『 こういうやりかたは自然ではない 』
と主殿は続けて云った 、『 私も若かっ
たから 、お家の血統 、ということを必
要以上に大切だと思いこんだ 、しかし
それは誤りだった 、とし老いたいまに
なってみればわかるが 、大切なのは血
統ではなく人間だ 、―― こんなことを
云うと若い者には訝(いぶか)しく思われ
るかもしれないが 、妻の生んだ子がし
んじつ自分の子であるかないかは 、ど
んなに厳密に詮議をしてもわかるもので
はない 、その真偽の判別は人間以上の
問題であるし 、われわれ人間に与えら
れた能力では 、血統の正否よりも 、
生まれた子にどんな資質があるか 、そ
の子をどこまですぐれた人間に育てあ
げることができるか 、というところに
現実の問題と責任があるのだ 』」
引用おわり 。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます