雨曇子日記

エイティライフの数々です

百合

2014-06-18 11:13:09 | 花散歩

     

     

 

去年の初冬と思いますが、一つの鉢に百合の球根を3つ植えました。1m以上茎が伸びて、今年6月中旬、花が開きました。球根の袋には「プリンンス プロミス」とありました。多分、山百合からの園芸種でしょう。

「山渓カラーガイド カラー 野に咲く花2(丸山尚敏 本文執筆)昭和42年初版発行」のヤマユリには、こんな話が載っています。

 

「この花をたくさん飾り、部屋を閉め切ってその中にいると窒息して死んでしまうと言われているが、私の知人でこの実験をしようとした薬大生がいた。

もし苦しくなったら部屋から出てしまえばよいと言うのである。これは面白いと思って、私も協力し、小田急沿線の低山からひとかかえほどもあるヤマユリを採ってきて提供した。

おそらく100本はあったと思う。ほかにも2人ほどの協力者がおり、本人も房総方面でたくさん採ってきたので、全部で500本は下らなかったはずである。

ところが、三日目に訪ねてみたら本人はおらず、ヤマユリも10本ぐらいしか残っていない。その上いつも散らかし放題の部屋がきちんと片づいているので、てっきり逃げ後れて死んでしまったか、あるいは病院にでも収容されているのかと心配して、母親に会って聞いてみたら、貰った翌日花屋を呼びよせ、何がしかで売りとばして立山から剣岳へ登山に出かけたということが判明した。・・・」

丸山尚敏さんをネットで調べたら、平成18年に亡くなっておられた。

「御著、楽しく拝読させていただいております。御冥福をお祈りします」


シーソーゲーム

2014-06-17 22:16:55 | 野球談義

1勝1敗と互角に戦ってきた日本ハムー阪神の第3戦は、上沢、藤浪の若手対決となった。

 

             序盤(1~3回)

虎子「オイオイ藤浪クン、いきなり2つもフォアボール。中田、ミランダ、三振。三振。ヤッター」

公男「・・・・・・」(がっくり)

虎子「阪神、無死満塁ダ」

公男「新井の兄ちゃん併殺打。アリガトーウ。でも1点献上か」

虎子「藤浪クン、ピンチにまたまた中田を討ち取ったわ。スッゴーイ」

        1 2 3     

日本ハム  0 0 0

阪神     0 1 0

 

             中盤(4~6回)

公男「5回、やっと同点だ」

虎子「2死2・3塁、中田、サンシーン!」

公男「中田、空気読み過ぎ!」

       1 2 3  4 5 6

日本ハム 0 0 0  0 1 0

阪神    0 1 0  0 0 0  

 

             終盤(7~9回)

虎子「ワーイ、1点もぎ取ったよ。」

公男「9回2死、もうダメ、と思ったら何と逆転」

虎子「もうダメと思っていたら同点。でも、サヨナラならず」

       1 2 3  4 5 6  7 8 9

日本ハム 0 0 0  0 1 0  0 0 2

阪神    0 1 0  0 0 0  0 1 1

 

            延長(10~12回)

虎子「10回、俊介よく捕ったわ。左中間の大飛球」

公男「12回、2死から打たれるとはネー。マートンを褒めるべきかねえ」

虎子「今日は、“絶対勝つ”と言う気持ちが阪神にあったのよ」

公男「そうだね。それにしてもハムは情けない」(もう寝る)

       1 2 3  4 5 6  7 8 9  10 11 12

日本ハム 0 0 0  0 1 0  0 0 2  0  0  0   3

阪神    0 1 0  0 0 0  0 1 1  0 0 1A  4A

 


岩槻は小京都

2014-06-16 15:10:51 | 関東の小都市歩き

     

 

岩槻散歩のガイドは、「マンスリー東武」連載の“新 駅前そぞろ歩き”その中で、「何とも趣のある外観」と紹介されていた、浄土宗 願生寺(がんしょうじ)を訪ねました。

 

     

     

 

富士山噴火の翌年 宝永5年(1708)造立の6地蔵は、よく見ると身に着けた僧衣の細部まで丁寧に彫られています。市の文化財指定の板碑もありました。

 

     

     

 

こちらは、浄土真宗 浄源寺です。

 

             

     

 

開祖 親鸞上人の教えが分かり易く示してありました。(立カン説法?)

 

             

     

 

こちらは、日蓮宗のお寺に立つ日蓮上人です。

 

     

             

 

浄土宗 浄安寺には、初代城主の墓、“岩槻に過ぎたるもの”と言われた幕末の儒者児玉南(カ)の墓がありました。

 

     

     

     

     

 

岩槻の総鎮守「久伊豆神社」(ひさいずじんじゃ)の森閑とした境内は厳かな感じでした。

 

     

     

             

 

城址公園近くの諏訪神社も城主や家臣団にとって大切な祈願所でした。

 

     

 

芳林寺など、まだまだ立ち寄りたい寺や神社がありましたが、後日に譲りました。

 

   

 

 


人形と時の鐘の街 岩槻

2014-06-15 21:39:48 | 関東の小都市歩き

             

 

6月15日(日)岩槻の街を歩きました。船橋~大宮間の東武アーバンパークライン岩槻駅下車です。

 

      

     

 

道路には昔の日光街道と城下町の名残がみられます。

 

     

     

     

 

さいたま市岩槻区役所の前に建つ太田道灌像は、昔都庁前にあった道灌像と同じ狩のスタイルでした。

 

                  

 

今も、朝夕と2度鳴らされる時の鐘は、寛文11年(1671)に造られました。

 

             

             

             

             

 

城址公園に来ました。

 

             

             

             

               (表門)

             

                (裏門)

 

池に架けられた“八つ橋”の朱色が一際人目を惹いています。

 

             

             

             

     

             

             

             

 

カナダの都市との友好記念のトーテムポールも目立っていました。

 

     

 

市民会館のレストラン“大手門”で「豆腐ラーメン」(600円)を食べました。

 

     

     

             

 

            

 

 


堀切菖蒲園

2014-06-14 10:16:49 | 東京散歩

     

             

             

 

京成線“堀切菖蒲園駅”下車、南に徒歩10分の堀切菖蒲園、江戸時代から菖蒲の名所です。今は、荒川区営の庭園で入場料無料です。

6月12日は小雨で、約77aの庭園には、200種6000株の菖蒲が今を盛りと咲き誇っていました。

 

     

     

     

     

             

             

             

 

花びらに近寄ってみました。

 

     

     

     

             

 

日本に自生するノハナショウブをもとに古くから品種改良が重ねられた園芸品種です。色、大きさ、形など千差万別です。

 

           

           

 

どれも大同小異、まとめて「花菖蒲」でいいじゃあないか、と言われればそれまで。微妙な差異に夢中になる愛好家の気持ちも分かるような気がしました。

 

             

             

             

             

 

 

 

 


東海館から杢太郎記念館へ

2014-06-13 10:35:38 | 大歩危トラベル

     

     

 

伊東市の観光施設“東海館”は、昭和3年(1928)創立の、伊東を代表する旅館でした。客室の障子一つとっても、手の込んだ造りです。

 

     

     

 

120畳敷きの大広間もあります。

 

     

             

 

昭和24年(1950)にでき、当時は天城まで見えたという望楼に登りました。

 

     

             

             

 

昼食は、東海館前の洋食店ナナバルにしました。

 

     

     

     

 

本日のAランチ1070円をおいしくいただきました。

食後、海岸通りをぶらぶら歩いて木下杢太郎記念館に行きました。

 

             

             

             

 

資料が豊富で、説明がよかったので、とても楽しめました。

 

             

 

明治42年(1909)24歳の杢太郎が、北原白秋らと創刊した「屋上庭園」(パンの会)が2号で廃刊に追い込まれた理由は、黒田清輝の表紙にではなく、白秋の詩にあったことなど、興味深い説明がありました。

 

     

 

杢太郎の姉さんが、友人の樋口一葉と撮った写真。一葉のこのような髪型の写真は珍しいのだそうです。

 

     

 

新潟県の観光列車は、勿論、記念館ではなく、伊東駅の構内に停車していたものです。

 

             

 

 

   


網代~伊東

2014-06-11 20:37:35 | 大歩危トラベル

6月10日(火)伊東線の網代駅に来ました。

 

             

             

 

お目当ては、温泉旅館“平鶴”での昼食入浴プラン(税別5000円)です。

 

     

 

個室で一休み。

 

             

             

 

浴衣に着替えて一風呂浴びに行きます。

 

     

     

     

 

そして、食堂での昼食。

 

     

     

     

 

大満足の昼食の後、伊東に移動して、駅前の富士茶園でおいしい珈琲を飲みました。

 

     

             

 

伊東に来れば、温泉好きの宿“大東館”です。(朝食のみ、一泊税込み6500円)意欲的なスタッフ、中央の方が若女将渡辺寛子さんです。 

 

              

             

 

ファンの多いのも頷ける大東館の温泉です。

 

     

     

     

 

露天風呂の屋根の木組みの立派さに気づきました。

 

     

 

 


紫陽花(あじさい)

2014-06-08 13:05:17 | 花散歩

6月8日(日)雨が止んだので、わが家の紫陽花から初めて町内をひと回りしてきました。

 

             

             

             

     

     

     

             

             

 

以下は、昔「週刊朝日」に連載された“花のうた 草の囁き「季に寄せる」6月・紫陽花”の句です。

       阿波野青畝(あわのせいほ)と「かつらぎ」の人々

 

あぢさゐに最も荒し沼の雨                 赤堀秋荷

  梅雨時をいろどるあじさいの花がある。雨にけむった沼の岸がつづいている。作者は傘をさして沼に来た。沼が小暗く時化そうなけはいにおそわれた。

 

船宿のつつかい棒や濃(こ)紫陽花            中村草哉

  例えば潮来のような水郷を思う。行き来する舟のために岸には宿が構えているが、古い建物だからつっかい棒してある。今紫陽花の花ざかりで水に影をうつしている。

 

咲きそめし額(がく)に花びら離々(りり)とあり      山本歩禅

  あじさいの一種に額あじさいがある。一寸貧相で花びら(実際は苞)は少ない。俳人はこういう花にも愛着があって句にまとめる。「離々とあり」がいかにも自然さを示してくれる。

 

あぢさゐの花をすりすり舟進む                鈴木一睡

  中7字の「花をすりすり」と叙されて進む舟が狭まった水路をたどりたどり行く面白さを訴える。単純に表現しているから印象が深い。

 

紫陽花に七の忌くれば色変わる               原 節子

  あじさいを七変化ともいう。永い花期にときどき色を変えるからである。七の忌は七日目ごとの忌の仏事を営む。満中陰(49日)で切りあげるが、その間にあじさいの色も変わる。故人への哀愁がただよっている。

 

紫折戸(しおりど)を隠すあぢさゐ濃くなりぬ        北野里波亭

  紫折戸は庭への入り口になる。いろいろの植え込みが茂って、あじさいも混じっている。ただ美しく花を誇っているのはあじさいのみという感じ。

 

あぢさゐにはげしかりける雨小降り              原田一身

  はげしく雨に叩かれてあじさいは重く伏していたが今はその雨も弱くなった。どことなく明るさが見えて小降り状態だ。梅雨どきの天候として興味がある。

 

輪投げの輪紫陽花の花とばしけり               簗 夢郷

  珍しく晴れたので輪投げをして遊ぶ。なかなか輪が的中しない。また外れた。あじさいに触れて花をとばした。

 

あぢさゐの花を突きぬけ竹の幹                松岡智香子

  あじさいが咲いた所に竹が生えている。画になるほど具体化している。

 

霧を生むその紫陽花の多情かな                阿波野青畝

  私は主観的に見たあじさいを詠んだ。雨後の濡れたあじさいが多様の色を見せ合っていて霧に包まれまた現れたりする。多情とはなまめかしい花の有りようだと思ったのだ(青畝)

 

6月9日(月)柏市逆井の観音寺で見た紫陽花を追加します。

     

     

             

               

   

 

 

    

 

 


鷲野谷の 香取神社

2014-06-07 09:15:08 | 柏(旧手賀村など沼南地区)を歩く

東西に長い手賀沼に平行する形で南と北に台地が延びていますが、南岸は手賀村、沼南町を経て現在は柏市です。

柏市立手賀中学校の生徒数が100人を切っていることからも伺えるように、手賀沼の南は過疎の地です。

 

             

 

台地の集落を結ぶ幹線道路が、鷲野谷の集落を抜けて谷地に下りていくあたり、香取神社への急な石段がありました。

 

     

 

登り切って台地の縁にとりつくと、鳥居があり、30mほど参道が奥へ通じていました。

 

             

             

    

             

 

天保9年(1839)再建のこの本殿、正面の“昇り竜”“下り竜”ほか、側面、裏面に至るまで、立派な彫刻が施してあります。

 

     

     

             

             

             

             

 

時が止まってしまったかのような境内です。

タイムスリップが起こるとすれば、こんな場所に違いありません。早々に退散することにしました。

 

     

     

 

帰りは台地上の小道に抜ける参道を通りました。

 

             

             

   

 

             


五葉松の 善龍寺

2014-06-06 10:49:47 | 柏(大津川流域)を歩く

     

 

柏市高柳馬洗戸にある天台宗の寺 善龍寺です。

県道、船橋~取手線沿い、道路下の低地にあります。

 

             

             

             

             

 

よく目にする慣用句「一隅を照らす」が伝教法師(最澄)の著書からの言葉ということが分かりました。

三体の羅漢像は、信者の方の寄進だそうです。

柏市の指定文化財となっている「五葉の松}は堂々たる枝ぶりです。

 

             

             

     

 

上野寛永寺門跡より下賜された、文久元年(1861)から数えても150年は経つのですから、相当な老木ですが、まだまだ元気です。

寺の入り口の六地蔵は台座を見ると正徳3年(1713)の造立でした。

 

     

 

平成25年(2013)末、政治家の小沢一郎氏が訪れ、五葉松を観賞されたそうです。