土佐町 長野直樹です。
1970年後半、高度成長の反動やらで、
この中山間にかえってから
早いもので40年が過ぎてしまった。
当初、1.5ヘクタールでいわゆる慣行農法。
とはいえまだ歩行トラクタ、手植え、はで架けの自然乾燥、
夏場刈った草をクロに積んでおいて冬に田に戻す。
このように古来の自然循環型と、
近代化学との、移行期だった。
その後「土と生命を守る会」にかかわって、
除草剤1回のみ使用(より安全)米を、
軽トラックに満載して、届けていた。
当時の農薬は臭いもすごくて、
とてもやってられないと無農薬に切り替えたが、
地区の人からは
「雑草ばかりで、なにをやってるんだ」
と、村七部の状況だった。
あれから30年。
時代は移り、JA買い取り価格は30kg4000円と
40%にまで落ちた。
機械、農薬は進歩し楽にはなったが、
経費は何倍にもなり、
普通に続けられる人は居なくなった。
それでも、0.8ヘクタールに縮小しても、
何とか安全にして、
おいしい米を作っていこうと考えるのは、
長く関わってこられた同じ生産者や、
消費者の方々の顔があるからか、
とこのごろ思う次第です。
1970年後半、高度成長の反動やらで、
この中山間にかえってから
早いもので40年が過ぎてしまった。
当初、1.5ヘクタールでいわゆる慣行農法。
とはいえまだ歩行トラクタ、手植え、はで架けの自然乾燥、
夏場刈った草をクロに積んでおいて冬に田に戻す。
このように古来の自然循環型と、
近代化学との、移行期だった。
その後「土と生命を守る会」にかかわって、
除草剤1回のみ使用(より安全)米を、
軽トラックに満載して、届けていた。
当時の農薬は臭いもすごくて、
とてもやってられないと無農薬に切り替えたが、
地区の人からは
「雑草ばかりで、なにをやってるんだ」
と、村七部の状況だった。
あれから30年。
時代は移り、JA買い取り価格は30kg4000円と
40%にまで落ちた。
機械、農薬は進歩し楽にはなったが、
経費は何倍にもなり、
普通に続けられる人は居なくなった。
それでも、0.8ヘクタールに縮小しても、
何とか安全にして、
おいしい米を作っていこうと考えるのは、
長く関わってこられた同じ生産者や、
消費者の方々の顔があるからか、
とこのごろ思う次第です。