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お願いいたします。
2014年1月 正月返上で名護市長選挙応援に行ってきました
▲スライドになっています。ご覧ください。
1月4日から7日までの4日間、名護市長選挙の応援に行ってきました。
これは12月の「爆音をなくし、米空母の母港に反対する厚木基地周辺住民の会」の会合のなかで、仲井真知事が辺野古埋め立てを認めたため、名護の市長選挙が最後の砦になるので、応援したい! との声がだされ、それを急きょ具体化したのです。
4日間、観光など何もせず、ひたすら応援演説、訪問対話活動を行いました。
そのかいあってか、稲嶺市長の再選を果たすことができました。投票箱が閉まった直後の「当確」の報に小躍りして喜びました!!
最終日の帰路、辺野古と普天間基地を視察してきました。目の前で飛び立つオスプレイにも遭遇・・・。市街地の上を飛ぶ、オスプレイを見て、沖縄からの撤去をすすめ、厚木基地には絶対に来させてはいけない、と強く思いました。
沖縄の現地から、名護市長選、現職の稲嶺ススムさん当確の報告ありヽ(^。^)丿
正月返上で応援に行ったかいがありました。やった~ヽ(^。^)丿ヽ(^。^)丿ヽ(^。^)丿
名護市長選挙、稲嶺候補当選確実おめでとうございます。市民は札束に惑わされず、基地反対の意思を示した。明確な基地NOの意思を。国民生活軽んじる安倍政権をひっくり返そう。次は東京都知事選挙。都民の良識示してほしい。引き続き旭川から国防軍反対、秘密保護法廃止、戦争準備やめよ!の声を上
今、安倍政権が進める南西諸島軍事化は決定的な日中軍事対立への道だ。実に巧妙なアメリカの「尖閣」仕掛けによって離島防衛は日本の役割とされ、南西諸島の対中自衛隊布陣が進んでいる。沖縄を戦場にしないために沖縄での戦争シフトを弱めていかなければならない。辺野古基地NOはそのスタートだ。
第36回 綾瀬市駅伝競走大会の開会式が午前8時から開式されました。
今年は姉妹都市の柏市からの参加もあり、総出場チーム数が159、参加選手も764名でした。綾瀬市の人口が約83000人ですので、約1%の参加です。これってすごい!?
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選手宣誓は、昨年一般女子の部で優勝した綾瀬高校ソフト部の方でした。
この写真でお分かりのように、私の立っていたところは、まだ朝日があたらず、震える寒さでした。
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午前9時ジャストの合図とともに、いっせいにスタート!
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綾瀬市スポーツセンターの競技場を一周半して、いよいよロードに!
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冷たい風が厳しいですが、素晴らしい陽光を浴びた元気な走りに声援をおくりました!
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今日はけっこう忙しい日です!
午前8時から市の駅伝の開会式。9時には駅伝スタート。10時からは綾瀬市内の山の会の総会。11時からは地元自治会の新春の集い。いつもはウーロン茶ばかりですが、今回はご相伴にあずからせていただきました。
pic.twitter.com/PXwzI1TVvL
1月12日、綾瀬市消防出初式が市文化会館駐車場で開かれました。消防団の方たちの表彰がありましたが、今回は心肺蘇生を行って人命救助をされた市民の方も表彰され、感謝状を渡されていました!
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こんな時代物(腕用ポンプ)も登場しました。
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式典の後、あま~い甘酒が振る舞われました。
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脅しに屈しない、お金を積まれても公約を変えない本物の政治家達と、そして稲嶺進名護市長を支える名護市民達。仕事帰りの作業着姿の若者から、おじい、おばあ、赤ちゃんを抱いた若い女性まで集結!すでに3000人超えなのでみんな立ち見(^o^;)
pic.twitter.com/e3QDgEy7TT
稲嶺ススム関連のツイッターのフォロワー数を増やすプロジェクト!
現在2625人 目標10000人
twitter.com/susumu_ganbaru
twitter.com/susumutosusumo pic.twitter.com/lqb3BMso9q
「1月19日の選挙は、わが名護市の未来を、そして、わが沖縄県の未来をも決する戦い。同時にわが日本の国の民主主義を問う一大決戦となります」―出発式での稲嶺ススム市長候補の訴えだ。
youtu.be/UILXFng3eQ0 #名護市
私のブログを見てくださる方の中に、「上田博之」で検索してこられる方がいらっしゃるので、どのような検索結果になっているのだろうかと、覗いてみると、私のブログやHPがトップに表示されていました。うれしいですね。
そして、その少し下を見ていくと、「赤ちゃんの名付け命名」なるサイトが。そこを見てびっくり。上記のようなほめちぎりの占い結果が・・・。
ほんとうにこのとおりだったらどんなによいことか・・・。
なお、別サイトの情報ですが、電話帳に記載されている同姓同名の方は、全国に40名だそうです。多いところでは、大阪と京都に5名ずついらっしゃるようです。
1月11日の「しんぶん赤旗」の記事ですが、下記をご覧ください。(アンダーラインは私がつけました)
アメリカまでがなぜ批判するのか、ご理解いただけると思います。
安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐって、NHKなど一部のメディアが「『不戦の誓い』をした」などという首相の説明を無批判に流しています。靖国神社とは何か、首相の参拝がなぜ世界から厳しい批判をあびるのか、問題の根本を説き明かした報道はほとんどみられません。靖国神社のそもそもを知れば、首相の参拝が「内政問題」や「内心の自由」では絶対に片付かない、深刻な問題であることがはっきり見えてきます。
靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられました。
一般の神社とは異なり旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設でした。明治維新からアジア・太平洋戦争までの戦没者240万人余をまつっていますが、いずれも“天皇のため”にたたかって死んだ軍人・軍属だけです。
このため、西南戦争(1877年)で天皇に背いた“賊軍”の西郷隆盛や捕虜となって病死した兵士、原子爆弾や空襲の民間犠牲者、旧「満洲」など外地で死んだ一般国民などはまつられていません。
天皇制政府と軍部は、天皇への「忠義」を尽くして戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝。靖国神社を、侵略戦争に国民全体を動員するための精神的な支柱として持ち上げました。
安倍首相は、「国に殉じた人に尊崇(そんすう)の念を示す」などと繰り返しています。しかし、靖国神社への合祀(ごうし)は、天皇のためにたたかって死んだかどうかにあり、死者を選別することに本質があります。また「英霊」としての合祀は、戦死者や遺族の意思に関わりなく行われます。戦争遂行や侵略戦争美化の“道具”として人の死を利用することは、戦争犠牲者を冒とくするものではないでしょうか。
靖国神社は戦後、信教の自由や政教分離を厳格に定めた日本国憲法のもと、一宗教法人となりました。しかし、“日本の行った戦争は正義の戦争だった”とする特異な戦争観を「国論」とするための策動が、同神社を中心に続きました。「国家護持」や天皇・首相などの「公式参拝」を求める運動などです。
とりわけ、1986年に同神社の付属施設・遊就館(ゆうしゅうかん)が再開されると、日本の過去の侵略戦争を美化・正当化する「靖国史観」の宣伝センターの役割を強めていきます。
遊就館は、「近代史の真実」を学ぶパネルや「英霊」の遺書・遺品、当時の兵器を展示している軍事博物館です。いまでも、「先の『大東亜戦争』は、わが国の自存自衛と人種平等による国際秩序の構築を目指すことを目的とした戦いでありました」(3月から靖国神社が開く「遊就館特別展 大東亜戦争七十年展Ⅲ」の案内チラシ)などと公然とのべています。
こうした靖国神社の本質は、小泉純一郎首相(当時)らの度重なる参拝や神社の実態を批判した日本共産党の不破哲三議長(同)の講演(05年5月)をきっかけに広く知られるようになり、国内外のメディア・世論から「軍国主義の過去を再評価しようとする動きの象徴的中心」(米紙)などと厳しい批判が起こりました。
07年には、遊就館の展示パネルを一部改修。太平洋戦争が「資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要」したルーズベルト米大統領の陰謀だったかのように描いた「反米」的な部分を削除しましたが、先のチラシのように戦争を賛美する本音は隠しきれません。
首相の参拝は、日本の過去の侵略戦争を肯定・美化する靖国神社の立場に自らを置くことを意味します。それは、日独伊のファシズムと侵略戦争を断罪した戦後の国際秩序への挑戦とみなされるのです。
靖国神社は1978年に、東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯とされ処刑された東条英機元首相ら14人を合祀しています。
A級戦犯とは、東京裁判で、侵略戦争を計画・準備・開始・遂行した「平和に対する罪」(a)、占領地での殺人や捕虜への虐待などの「戦争犯罪」(b)、「人道に対する罪」(c)などすべての罪で裁かれた犯罪人です。一般将兵がbとcの罪に問われた「BC級戦犯」と区別し、A級戦犯と呼びます。
安倍首相の祖父、岸信介元首相も東条内閣の商相などを務めたA級戦犯容疑者でした。
靖国神社は、このアジアと日本の国民に多大な犠牲を強いた戦争指導者を、“神”としてまつっているのです。実際、遊就館には「靖国の神々」のコーナーでA級戦犯の東条元首相らの写真を展示しています。
A級戦犯合祀の理由について、宮司だった湯澤貞氏は、同神社の崇敬者総代会で「A級戦犯だけ合祀しないのは極東裁判(東京裁判)を認めたことになる」との意見もあり、合祀が決まったと語っています(『正論』05年8月号)。合祀の狙いは、日本の戦争を侵略と断罪した東京裁判を否定する意思を示すためなのです。
日本は、米国など連合国と結んだサンフランシスコ平和条約(51年調印)で東京裁判を受け入れており、同裁判を否定することは国際社会への公約に反することです。
A級戦犯合祀が明らかになって以降は、昭和天皇も現天皇も同神社を参拝していません。
私の過去ブログ「◆12月4日、綾瀬市文化会館大ホールで映画「渡されたバトン~さよなら原発」を観よう!!」でお伝えいたしました、この映画の上映は、おかげさまで大成功となりました。
前売り券などは約680枚の普及ができ、心配された赤字どころか、思いのほかの黒字となりました。この黒字は、映画上映実行委員会の協議で、綾瀬市内の市民活動を支援する基金などへの拠出や、綾瀬市社会福祉協議会などが中心になって3月9日に市内で上映する映画「遺体」への支援に活用することになりました。
実行委員の一人として、私からも多くの市民のみなさまのご協力に感謝と御礼をさせていただきます。ありがとうございました。
また、映画をご鑑賞くださった方々の半数近くの方が、アンケートにその思いをしっかりとお寄せくださいました。本当にこの映画を上映してよかったと思いました。
最後に、上映日当日のホールがとても寒く、なかには「寒くて観ていられない」と途中で帰られた方もいらっしゃったことに、おわびを申しあげます。
当日も、会館の施設管理担当に温度設定を上げるように再三申し入れ、最終的に35度の設定にしたにも関わらず、ホールの室温は2度くらいしか上がりませんでした。
その後、日本共産党綾瀬市議団としては、施設の老朽化に原因があるのかを含め問い合わせをしてきましたが、その原因についてようやく文化会館側から回答がありました。
その回答によると、冷房から暖房に切り替えるためには2つのスイッチを変える必要があったにもかかわらず、1つのスイッチしか変えていなかったために暖房機能が発揮できていなかったというのもでした。施設管理を委託している業者の担当者が4月ころ入れ替わり、十分な引継ぎがなされていなかったこと、また、切り替え作業のあと試運転をするなどの確認作業を怠っていたためであるとのことです。
文化会館には、二度とこのようなミスをしないように厳重に申し入れましたが、当日ご鑑賞くださった方々にあたたかさを取り戻すことはできません。主催者の一人として、重ねておわび申しあげます。
さいごにお願いです。
自主上映実行委員会の母体である「あやせ良い映画を観る会」では2~3年に一回、自主上映を行っています。綾瀬市内で上映したい映画などがありましたら、情報をお寄せください。
2011年4月から始まったこの制度。発端は、日本共産党綾瀬市議団の議会質問からでした。
1年間、レンタル料無料です。子育て中の保育園の送り迎えや、買物に威力を発揮するこの自転車。とても好評で、毎年抽選になります。
その辺の経過は、過去ブログ「◆幼児2人同乗用(3人乗り)自転車 レンタル利用者募集中《綾瀬市》」をご覧ください。
さて、4回目になる新年度の募集は、1月16日から2月7日のあいだです。毎年好評で、抽選になりますので、昨年の9月議会で台数を増やすことも求めましたが、今回の募集では20台のまま・・・。引き続き求めていきますね。
応募するには、「市幼児2人同乗用自転車レンタル事業実施要綱」や「利用規約」を読み、申請書に記入。添付書類とともに1月16日~2月7日に〒252-1192 (住所不要) 同課へ郵送か直接持参してください(1世帯1通のみ)。貸出条件としては、3月14日(金)・16日(日)に開催予定の市が主催する自転車安全運転講習会へ参加しなくてはなりません。詳細は、上の写真の内容でご確認ください。
◆関東大震災時の中国人虐殺 関東大震災翌日の9月2日ごろから中国人虐殺が始まった。3日昼ごろには、大島町(現東京都江東区)で日本人によって数百人が殺され‥‥ 神奈川新聞社 news.kanaloco.jp/localnews/arti… … 殺害現場はダイエー東大島店ま前から東大島文化センターあたり
やっぱり何かを隠蔽して取り繕わないと世の中に「美しい国」なんてのがそう簡単にできるわけはない。それより僕らに必要なのは現実を直視すること。RT @basilsauce: 消される? 負の歴史、関東大震災時の中国人虐殺名簿 神奈川新聞社 news.kanaloco.jp/localnews/arti…
〈立教大の山田昭次名誉教授は「安倍政権の姿勢が非常に影響している。このままだとこれらの問題は消されるのではないかと心配している」と悲観的だ〉消される? 負の歴史、関東大震災時の中国人虐殺名簿/神奈川新聞社 news.kanaloco.jp/localnews/arti… @KanalocoLocal
この神奈川新聞の記事。とてもすばらしいのでここに残しておきます。
消される? 負の歴史、関東大震災時の中国人虐殺名簿/神奈川
ここに、名簿がある。「日人惨殺華工之調査」。関東大震災直後、被災地で虐殺された中国人について、当時、東大農学部で学んでいた王兆澄らが調査し、まとめたものだ。日本人が混乱に乗じて虐殺したのは、朝鮮人だけではなかった。それを示す第一級の史料は、外務省外交史料館(東京都港区)でひっそりと公開されている。だが名簿の存在はおろか、中国人虐殺自体について知る人も少ない。政府が負の歴史に目をつむる傾向にある中、研究者も逆風にさらされている。
名簿には、被害者の氏名、年齢、原籍、被災前住所などとともに被害の日時、場所、加害者、凶器、被害状況などが書かれている。死者には「死」、受傷者については「頭上四刀右腰一刀」といった詳しい状況も記されている。
日時は震災直後の9月2日や3日が多く、被害場所としては「大島町」を中心とした東京都内のほか、「神奈川縣」という記述も散見される。中国、特に地理的に日本と近い温州から来日した人たちが港湾労働者などとして多く働いていた地域だ。そのほか、横浜の居留地に暮らしていた華僑の職人たちも被害者として名が上がる。
■どう作られた
外交史料館に残る資料などによると、日本からの送還船「山城丸」に潜り込んだ王は震災翌月の1923年10月12日、上海に到着した。そして、被害を生き延びて送還された中国人労働者たちに、親類や友人で被害を受けた者がいないか聞き取り調査を始めた。名簿は現地の新聞でも連日、盛んに報道された。
翌24年、被害者が集中していた当時の中華民国・温州の知事が名簿を基に再調査を行い、被害者数は拡大。死者553人、傷者58人、行方不明者1人が判明した。
さらに在日中国公使館が確認作業を進めて情報を追加。これらの名簿は中華民国駐日公使館の印が押され、正式な外交文書として日本の外務省に渡された。資料は現在、外交史料館や台湾の中央研究院近代史研究所などで確認できる。
■なぜ埋もれた
正式に外交ルートで伝えられた事実が、なぜ日本社会の共通認識となり得ていないのか。
「中華民国政府は調査団を日本に派遣したが、日本政府は協力せず隠蔽(いんぺい)した。そしてそのまま戦争に突入してしまった」。こう語るのは、温州で被害者の子孫を支援してきた「中国・山地の人々と交流する会(旧『関東大震災の時殺された中国人労働者を悼む会』)」の神惇子さん(千葉県)だ。同会創設者の故仁木ふみ子さんは、名簿を掘り起こしたその人だった。
外交史料館の資料「在留支那人ノ罹災状況」によると当時、事態を重く見た外務省は中国人約3600人を保護し、上海に送還した。だが震災翌年の24年に日本政府が中国側と交渉する際には「誤殺」事件として責任者処罰も加害者処罰もしない方針を貫いたことが記録されている。そしてその後の日中戦争、太平洋戦争、敗戦-。
虐殺の真相を究明する動きは、70年代までなかった。研究者が出てきても、中国人労働者について本格的に取り組む者はいなかった。
大分県の国語教師だった仁木さんは80年代、上海で日本語教師として働いていた。その傍ら、中国の女性労働者について研究しようと現地の過去の新聞を調べた際、虐殺と名簿の存在を知った。帰国後、仁木さんは大規模な虐殺現場となった大島町に住み、調査を進めた。震災70周年の93年に「震災下の中国人虐殺」(青木書店)を出版。市民としての謝罪と償いの意味を込め、現地の支援活動も始めた。
■真相究明求め
「中国人虐殺の問題は、研究者がどうにかしなければいけない。追及する人が出てくればいいが」。関東大震災に関する著書もある横浜市立大の今井清一名誉教授(横浜市港北区)は、こう吐露する。一方、神さんは指摘する。「本当は、謝罪と償いは事実を認めた上で、民間でなくて政府がすべきだと思う」
だが現実は、逆に進んでいる。関東大震災時の朝鮮人虐殺については、東京都や横浜市などの教材で「虐殺」という言葉を「殺害」に変えるなどの動きが著しい。負の歴史の教育を「自虐史観」と批判する保守系勢力の動きが現場にじわじわと影響力を及ぼしつつある。
中国人虐殺問題についても、例外ではない。ある公的機関の研究者は、名簿の研究をとても公言できない雰囲気を口にする。「保守系議員などが裏から手を回し、研究予算を止めかねないとの思いがある」。負の歴史に関する展示をしただけで、苦情が寄せられることが常態化している。「いつか、落ち着いて研究ができる日がくれば。きちんと日本として、真相を究明すべき問題なのだから」
今後、研究は進められるのか。関東大震災時の朝鮮人虐殺に詳しい立教大の山田昭次名誉教授(埼玉県)は「安倍政権の姿勢が非常に影響している。このままだとこれらの問題は消されるのではないかと心配している」と悲観的だ。
昨年9月、都内で市民団体「関東大震災中国人受難者を追悼する会」(東京都江東区)が被害者の親族を招いて追悼集会を開き、声明を出した。こう訴えている。「日本政府に真相究明を求め、加害国家としての責任を果たすことを要求し、日本社会の集団的記憶として次の世代に伝えていく努力をしなければ」
◆関東大震災時の中国人虐殺 関東大震災翌日の9月2日ごろから中国人虐殺が始まった。3日昼ごろには、大島町(現東京都江東区)で日本人によって数百人が殺され、同じころ横浜でも中国人の虐殺事件が発生。中国代理公使が日本政府に抗議したが、政府はごく少数の「誤殺」のみ認め、中国人の集団的殺害を否定。また緊急勅令で言論を取り締まり、事件解明を訴えた10月7日の読売新聞の社説を削除した。だが同紙は11月24、25日に2日続きの社説を掲載し「其罪過が国辱であるよりも、之を改め得ぬ事が寧ろ大なる国辱である」と批判した。
2014年1月9日(木)午後2時37分ころ、米海軍厚木基地所属のFA-18Eスーパーホーネットが部品落下事故を起こしました。
落下物は、幅2センチ、長さ17センチの金属部品です。この部品はブレーキシステムの部品であることがわかっています。重さは170グラム。2年前の落下物に比べれば軽いものですが、しかし人間の頭などを直撃すれば命にかかわる重大事故になります。
落下物は、綾瀬市寺尾北2丁目の民家の金属フェンスを直撃し、その後、跳ね返ってフェンス脇に止まっていた防音工事のワゴン車の後ろの窓ガラスを突き破り破損させました。この車の設備会社の男性は「ガシャ、ガシャ、ガシャーンと音がし、外に出ると、窓ガラスが割れていた」と話しています(神奈川新聞より)。
▲神奈川新聞web版より
私は、昨夜遅くにこの事故を知りましたので、朝から調査に出かけました。
被害が発生した地域の方々にお話をお伺いし、破損したフェンスを確認しました。残念ながら、設備会社の車はありませんでしたが、窓ガラスの破片の一部は現場に散乱していました。
地域の方は「防音工事をする車の窓にぶつかって穴が開いていた」と証言され、また別の方は「部品を持ったけれど、けっこう重かった。人間がケガをしなくてよかった」と心配そうに話されました。
また、「おとといは非常に爆音がうるさかった。音を出さないで飛んでほしい」「オスプレイなんかきたらとんでもない」とも。
今後、日本共産党として米海軍に抗議し、原因の徹底究明と結果の公表、すべての艦載機の飛行中止などを求めていきます。
市民のみなさんのバックアップをお願いいたします。
爆音の苦情などは、綾瀬市基地対策課に電話 0467-70-5604 にお寄せください。また、市のホームページに「航空機騒音苦情受付フォーム」http://www.city.ayase.kanagawa.jp/others/kichi/kichi.html がありますのでご利用ください。個人情報などを書かなくても送信できますので、率直な声を気軽にお寄せください。
連投7 RT @IWJ_ch1: 7.岩上「昨日、田母神俊雄氏が東京都知事選への立候補を表明する記者会見を開きました。田母神さんの歴史認識というのは、日本は『侵略戦争をしていない』というもの。しかし、それは嘘です。過去の日本の戦端の切り方は奇襲ばかりで収拾を考えていない」
連投8 RT @IWJ_ch1: 8.岩上「司馬史観に代表されるように、『栄光の明治』と『暗黒の昭和』という対比が一般に信じられています。しかし、昭和の暴走というのは、明治の延長です。明治なくして昭和なし、です」#iwakamiyasumi
連投9 RT @IWJ_ch1: 9.岩上「日清戦争の主な戦場は、日本でも清でもなく朝鮮半島でした。そして、最大の死者も朝鮮人でした。中塚明さんや井上勝生さんが明らかにしたように、日本軍は大変なジェノサイドを行っています」#iwakamiyasumi
『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』 - 2014/1/25(土)~ | UPLINK uplink.co.jp/movie/2013/214… @uplink_jpさんから
10年前、イラクのファルージャで日本人3人が人質になりました。その後、日本で吹き荒れた「自己責任」論。私は、人間不信になりそうでした。心に傷が残っています。
その後、高遠菜穂子さんをモデルにした「バッシング」という映画も見に行ったり、本を読んだり・・・。傷の修復に努めてきました。
そして、今年、あらたな機会が訪れました。『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』・・・。
その映画のイントロをご紹介します。
イラク戦争から10年。
当時、日本国内でバッシングが吹き荒れた「日本人人質事件」のことを覚えているだろうか?イラク支援のために行った日本人3人。しかし、ファルージャの街で地元の武装グループによって日本政府へ自衛隊撤退を要求するための人質として拘束された。
当時、日本政府はアメリカが始めたイラク戦争を支持。「人道復興支援」のためとして、イラクに自衛隊を派遣していた。日本では3人の行為が国に迷惑をかけたとして「自己責任」を問う声が広がった。この映画は、はからずも人質となった、高遠菜穂子さん、今井紀明さんの現在の姿を追い、そして未だ戦火の止むことのないイラク、ファルージャの生々しい現実を捉える。
高遠菜穂子さんは、事件後のPTSDを乗り越え再びイラク支援を続けていた。NGOなどの団体に加わるのではなく、一人でイラクに通い支援と調査を行っている。イラクでの先天異常児は戦争以後、今も増え続けているのが実態だ。またファルージャで撮影中にも現政府と、対立する宗派の抗争も発生していた。
一方、人質事件のもう一人、今井紀明さんは、5年の間、対人恐怖症に苦しんだ。現在は、大阪で不登校や、ひきこもり経験のある通信制高校に通う若者を支援するNPOの代表をしている。社会から拒否された存在に、昔の自分をみて何かできないかと思ったという。
映画上映の情報は・・・
渋谷 アップリンク
上映期間:2014年1/25(土)~2/7(金)03-6825-5503東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル
1月25日(土)~2月7日(金) 10:30~12:15 / 14:30~16:15
★1月29日(水)10:30~12:15 / 14:30~16:15 / 19:00~20:35
※29日はトークショー開催につき夜の部も上映致します。
※2/8(土)以降のスケジュールは劇場までお問い合わせください。
ゲストは共同通信社の新崎盛吾さんと映画監督の原一男さん。新崎さんは事件当時、人質家族に批判の手紙が寄せられていることを報じたことで、図らずも自己責任報道を拡大してしまったことに忸怩たる思いを抱いて来たという。「メディアと政治の関係とは?」「メディアの果たすべき役割とは?」10年経った今、あの事件の報道が現代に問うものを明らかにする。
【ゲスト】 新崎盛吾(共同通信)× 原一男(映画監督)× 伊藤めぐみ(本作監督)
【スケジュール】
18:45~開場
19:00~上映開始
20:35~上映終了
20:40~トーク(50分程度)
21:30~終了
ナチス占領下のフランスで国是「自由・平等・博愛」に替えて「労働・家庭・祖国」を目標にした親ナチスのヴィシー政権の三つの柱は、そのまま安倍政権の目指す「美しい日本」に重なると指摘 - ナチスと安倍政権:赤川次郎さんが類似性を指摘 bit.ly/1dtnYbZ
地位協定の解釈に一石、「山崎裁判」が残したもの/横須賀:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社 news.kanaloco.jp/localnews/arti… @KanalocoLocalから
米兵に婚約者を殺害された山崎正則さん(65)=横須賀市日の出町=が起こした米兵と米軍、日本政府の責任を問う国家賠償請求訴訟は6月26日、最高裁で上告が棄却され、判決が確定した。しかし、7年にわたる裁判で勤務外の米兵に対する米軍の監督権限があるのを認めさせるなど、米兵犯罪における日米地位協定の解釈に一石を投じた。判決から半年。「山崎裁判」は何を残したのか。
山崎さんが住むマンションの部屋からは房総半島まで見渡せる。「女房がここにしようって言ってさ」。2006年1月3日朝、出勤途中に婚約者の佐藤好重さん=当時(56)=は米兵に殺害され、帰らぬ人になった。居間のテーブルの椅子には今も、好重さんが使っていたかっぽう着が掛けられている。あの日から、時は止まったままだ。米兵は強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役している。
山崎さんは刑事裁判が終わった後の06年10月、日米地位協定に伴う民事特別法により、横浜地裁に提訴。09年5月、地裁判決は勤務外の米兵に対する米軍の監督責任が生じる場合があるとの認識を示したが、同事件に関しては米軍の裁量権の範囲内として米軍と国に対する賠償請求を認めなかった。最高裁は13年6月、地裁と同様の東京高裁判決を追認、上告を棄却した。
最高裁判決によると、米海軍上司の監督権限について、「駐留する米海軍人に対し、その犯罪行為により日本国民の生命、身体等に危害が及ぶような事態を可及的に防止する措置を講ずべき作為義務を負っているということはできない」とした。「つまり、監督責任には日本人の生命、身体を守るものは含まれないんだよ」。山崎さんは指摘する。
一方で、勤務外の米兵に対する米軍の監督権限の存在を認めさせたのは、日米地位協定に風穴を開ける大きな前進だった。山崎さんと弁護団は、海兵隊・海軍兵を対象とした、公務外の自由時間での飲酒などによる事故予防のための米軍上層部による指導方針「リバティー・キャンペーン・プラン」の文書を極秘入手。指針では、全ての部隊指導者が公務時間外の自由時間に積極的に指導力を発揮するよう記されていた。「存在すら日本人には知らされていなかった」。証拠として法廷に提出した。
米兵犯罪の被害者は「泣き寝入り」が多いといわれる。山崎さんはなぜ、法廷で闘い抜いたのか。
事件発生の翌日から3日間、山崎さんは横須賀署で事情聴取され、自宅には鑑識も入った。「警察の取り調べもひどいが、マスコミも私を犯人扱いした。犯人は基地内ですでに拘束されていたというのに」
加えて事件後、当時の米海軍第7艦隊司令官と在日米海軍司令官が国民向けに公開した書簡の末文に唇が震えた。「この悲しい事件をきっかけに、日米の関係と同盟がより一層強化されるように願ってやみません」。山崎さんは今も許さない。「好重は、日米同盟のために殺されたわけではない」。米軍も国も市も、そして犯人も、山崎さんに直接的な謝罪はなかった。
「金(補償金)目当てか」と、心ない中傷を受けたこともあった。だが、長い裁判を通じて得たものはある。「最高裁で棄却されたが、判決文はずっと残る」。今後仮に米兵関連の犯罪が起きた際、判例や心血を注いで集めた膨大な資料が被害者のために生かされると信じている。
山崎さんは39年間、横浜市内の路線バスの運転手として定年まで勤め上げた。「こんな事件がなければ、世の中のいろんなことも考えなかったと思う。何もかも初めての体験だったが、自分を応援してくれる声が張り合いだった」。自宅の一室にはバス車内で撮った2人の写真が飾られている。「男って意外とこういうの捨てられないんだよな」。写真に納まる好重さんは、いつもほほ笑んでいる。