宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

大森の竹藪

2006年08月05日 | Weblog
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マティラム・ミスラ君と云えば、もう皆さんの
中にも御存じの方が少くないかも知れません。

ミスラ君は永年印度の独立を計っているカルカッタ生れの
愛国者で、同時にまたハッサン・カンという名高い婆羅門の
秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。
私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹介でミスラ君と
交際していましたが、政治経済の問題などはいろいろ議論した事が
あっても、肝腎の魔術を使う時には、まだ一度も居合せた事が
ありません。

そこで今夜は前以て、魔術を使って見せてくれるように、手紙で
頼んで置いてから、当時ミスラ君の住んでいた寂しい大森の町
はずれまで、人力車を急がせて来たのです。
……
「ただ、欲のある人間には使えません。
ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てる事です。
あなたにはそれが出来ますか。」
「出来るつもりです。」私はこう答えましたが、何となく不安な気も
したので、すぐにまた後から言葉を添えました。
「魔術さえ教えて頂ければ。」

それでもミスラ君は疑わしそうな眼つきを見せましたが、さすがに
この上念を押すのは無躾だとでも思ったのでしょう。
やがて大様に頷きながら、
「では教えて上げましょう。が、いくら造作なく使えると言っても、
習うのには暇もかかりますから、今夜は私の所へ御泊りなさい。」
「どうもいろいろ恐れ入ります。」
……
私はこの刹那に欲が出ました。

テエブルの上に積んである山のような金貨ばかりか、折角私が勝った
金さえ、今度運悪く負けたが最後、皆相手の友人に取られてしまわな
ければなりません。
のみならずこの勝負に勝ちさえすれば、私は向うの全財産を一度に
手へ入れることが出来るのです。」
こんな時に使わなければどこに魔術などを教わった、苦心の甲斐
があるのでしょう。
……
私がハッサン・カンの魔術の秘法を習う資格のない人間だという事は、
私自身にもミスラ君にも、明かになってしまったのです。
私は恥しそうに頭を下げたまま、しばらくは口もきけませんでした。」

「私の魔術を使おうと思ったら、まず欲を捨てなければなりません。
あなたはそれだけの修業が出来ていないのです。」

ミスラ君は気の毒そうな眼つきをしながら、縁へ赤く花模様を織り
出したテエブル掛の上に肘をついて、静にこう私をたしなめました。

[全文はこちら
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/95_15247.html]
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芥川龍之介の短編「魔術」が、ボランティアの方々の入力により
ネット上でも読む事が出来ます事に喜びを感じました。
彼の作品は個人で好嫌が明確に分かれる様でありますが、わたくし
自身は非常に好んでいます。

この小説を初めて読んだのは、こちらに来て間もない頃でした。
非常にストレスを感じていた時期で、これは日本からわざわざ
知人が送って下さったものの中に偶然含まれていた作品でしたが、
丁度そうした時期と重なってか、この作品は個人的にも特に
印象に残るものになりました。

この短編を読んで、人間は例え自身が否定していたとしても、
意外と自らの身に関わる欲が深い場合がある様に感じました。
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