宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

桜の花が咲く頃

2006年08月18日 | Weblog
昨今ネットの負の部分が強調される事が多く、また実際
そうした指摘はその通りである様に感じられます。
ネットに接続するためにはまず種々の魔のプログラムからの
保護や防衛が不可欠ですし、またスパムメールや架空請求や
掲示板への書き込みから訴訟にまで発展した例など、
そうした負の面を全て挙げるならば、全くきりがない様に
思います。

しかしこうした負の面だけを強調するならば、自衛策を
講じる事は出来ても、ネットであるからこそ出来る利点や
長所の発展には目が行きにくい様に思われます。
全体として負の部分の方が常に優勢であっても、常に
利点や長所に目を向けて発展させようとする姿勢が、
やがてネットの可能性を更に広げ、更に有意義なものに
する様に思います。

ネットの利点が非常に生かされている実例の一つに、
夜の繁華街を徘徊する子どもたちに声をかけて歩く「夜回り」
水谷先生の御活動が挙げられます様に思います。
こちらのインタビューは写真も多く掲載され、内容が濃く、
非常に興味深く思われました。
http://jp.getronics.com/today/helpful/frame1.htm

教師と言っても実際様々な人がおり、ただ毎日受け持つ授業
だけを機械的に行って、生徒に対しても担任としての最低限の
行動しか起こさない教師も実際沢山おりますが、そうした種類の
教師とこの水谷先生は、その気迫、容貌、言葉の重みと質が
全く異なっております様に感じられました。

物質的にも精神的にも行き場を失った少年少女達が食い物にされ、
費やされて捨てられていく、そうした状況にある子供達の救済に
一日1~2時間の睡眠だけで奔走し、自身の病身を捧げていく、
こうした先生がおられる一方で、これといった病気もなく、余暇に
歓楽街に出向いて風俗店で遊んでいる教師が一部にいる現状を思うと
どこか割りに合わぬものを感じてしまいます。

また実際先生は自分は死を全く恐れていないと仰っていますが、その
目は確かに死に対する恐怖や嫌悪というものが微塵もない様な、
自分の今現在の働きに全生命を賭しておられる様な、そうした一般の
人とは異なっております雰囲気が感じられました。

先生の言葉はどれも深く重みのあるものですが、人間の生という
ものに深く関わっておられる方であるからこそなのでしょう。
先生の言葉で特に印象に残ったものの一つです。

「人を暴力でいじめようが、言葉でいじめようが、
人のものを盗もうが、薬物を使おうが、
体を買われようが、自分でやったことは自分で
責任を取りなさい。
逃げちゃだめだ。いいね。」

自分で責任を取る事の意味、必要を理解させる事なく子供達を
立ち上がらせる事は不可能であるという事なのでしょう。
しかしこれはそうした環境に身を置く子供達のみではなく、
あらゆる事に言える、非常に重要な事であると思います。
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