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直木賞作家の坂東眞砂子さんが日本経済新聞に
寄せたエッセーで、自身の飼い猫が産んだ子猫を野良猫
対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。
(中略)
「こんな事を書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
(中略)承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。」
と書き出し、飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、
子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを
明らかにした。
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の
生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を
殺す権利もない」との論を展開。
「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然の中で
生きる事だ。」
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する
責任として子殺しを選択した。もちろん殺しの痛み悲しみも
引き受けての事である。」と結んだ。
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この作家に関してはこれまで、名前さえも知らなかった
のですが、こうした見解を読み、人格と論理が破綻している
様に感じました。
御本人の論理からいくならば、猫を飼育し、自身の手で
生まれた子猫を放り投げる行為そのものもまず「人間の
干渉」であり、「獣にとっての生」の否定であって、
非常に矛盾を含んだものである様に思われ、御本人の
言葉全体から論理も殺害を肯定するいかなる正当性も
伝わってきません。
またこの動物の「生の充実」というものも、公平的な
観点というよりも、子猫を投げる御本人の感覚的力学
からの見地であり、彼女の自身の行為はそこから導き
出された病的なものである様に感じられます。
こうした記事が肯定的に一部の紙上で公然と掲載されて
しまう事を大変遺憾に思いました。
社会は子供達に命の大切さを教えなければならないと
しながらこうした狂態を否定する事なく一記事として
紹介してしまう側も本当にどうかしている様に感じます。
こうした話題が提供されるという事は、同じ病気の連鎖が
生み出されかねないという事でもあり、そこが非常にまた心配
される所です。
直木賞作家の坂東眞砂子さんが日本経済新聞に
寄せたエッセーで、自身の飼い猫が産んだ子猫を野良猫
対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。
(中略)
「こんな事を書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
(中略)承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。」
と書き出し、飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、
子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを
明らかにした。
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の
生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を
殺す権利もない」との論を展開。
「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然の中で
生きる事だ。」
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する
責任として子殺しを選択した。もちろん殺しの痛み悲しみも
引き受けての事である。」と結んだ。
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この作家に関してはこれまで、名前さえも知らなかった
のですが、こうした見解を読み、人格と論理が破綻している
様に感じました。
御本人の論理からいくならば、猫を飼育し、自身の手で
生まれた子猫を放り投げる行為そのものもまず「人間の
干渉」であり、「獣にとっての生」の否定であって、
非常に矛盾を含んだものである様に思われ、御本人の
言葉全体から論理も殺害を肯定するいかなる正当性も
伝わってきません。
またこの動物の「生の充実」というものも、公平的な
観点というよりも、子猫を投げる御本人の感覚的力学
からの見地であり、彼女の自身の行為はそこから導き
出された病的なものである様に感じられます。
こうした記事が肯定的に一部の紙上で公然と掲載されて
しまう事を大変遺憾に思いました。
社会は子供達に命の大切さを教えなければならないと
しながらこうした狂態を否定する事なく一記事として
紹介してしまう側も本当にどうかしている様に感じます。
こうした話題が提供されるという事は、同じ病気の連鎖が
生み出されかねないという事でもあり、そこが非常にまた心配
される所です。