宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「はい、立ち止まらないで」

2006年08月22日 | Weblog


先日「米国を野次馬の国に変えた写真家」という記事を
読みました。
40年代から50年代にかけて、タブロイド新聞の有名な
写真家として活動したウィジーに関する記事でした。

その中で非常に的を得ていると思われた意見がありました。

「ウィジーの写真は何十万人もの新聞記者が、自宅に
いながら事件の現場や有名人を取り巻く野次馬に加わる事を
可能にした。
ウィジーの後にはケーブルテレビやインターネットが登場し、
マイケル・ジャクソンや、スコット・ピーターソンといった
法廷悲劇を繰り返し見せる24時間メディア・サーカスの一員
にした。

米国がイラクの泥沼や経済問題に苦しみ、世界が米国に
冷たい目を向ける中で、ウィジーが写した群集の子孫である
米国の大衆はCSIの様な犯罪捜査番組や、有名人の子供などへの
興味ばかりを高めている。
インスタント・メッセージを使って"アメリカン・アイドル"に
投票した様な人々が、ほんの一部でもいいから連邦議員に
電話をして最低賃金の引き上げを求めていたら、最低賃金が
10年も据え置かれた事はなかっただろう。」

現在は情報の流通量や速度と、その質や真の必要性の
バランスが非常によくないと言えるのかもしれません。
映像の提供や取得の自由性も、現在は20世紀とは比較にもならぬ
ほどに進んでおり、特にネットに接続可能であるならば、
自身の選択によって様々なものを、あたかもその現場にいるかの
様に目にする事が出来ます。

こうした技術が善用されるならば、それは過去には達成され
なかった恩恵を人々に与える事が出来ますが、現在は
様々な意図によって人々が不要な事に過剰に関心を抱かされ、
間接的な「野次馬」になるように仕向けられている様にさえ
感じてしまいます。
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