宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

変化につぐ変化

2006年08月07日 | Weblog
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ある怒りっぽい男が自身のその性格のせいで
自らを苦しめていると悟り、深い知恵を備えた
スーフィーのもとに助言を請うために赴いた。

スーフィーは男にある十字路に行き、一つの
枯れ木の下で、そこを通る全ての旅人に飲み水を
施す事を命じた。

男は助言に素直に従い、やがて奉仕と自己を制御する
修行をする者として広く知れ渡る事となった。

そんなある日の事、彼が差し出した水差しから即座に
顔を背けて足早に去った旅人がいた。男は以前のその
性格に戻り、大声で旅人に叫んだ。
「俺のこの厚意を受けに戻るのだ!全ての旅人に俺が
奉仕しているこの水を取るのだ!」

返事はなかった。
男は怒り、自身の与えられた修行の事など、完全に忘れて
しまった。
理性をすっかり失った男は、枯れ木にかけてあった銃を
取ると、自身の厚意を無視した旅人に向けて引き金を
引いた。
銃弾は命中し、旅人は死んでしまった。

ところがどうした事か、銃弾がその旅人の肉体を貫いた
瞬間、奇跡が起こったかの如くに枯れ木の花が咲いたの
だった。

実は撃ち殺された旅人は希代の殺人鬼であり、丁度その長い
経歴の中で最も忌まわしき殺人を犯しに行く途上であった。

二種類の助言者が存在している。
固定化した原則に従って機械的に為すべきものを語る者と、
それと全く異なった、叡智に基づいて語る者とである。
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後文には知者に出会う者は、その者を道徳家として扱い、
道徳的な助言を求めようとするが、知者が仕えているのは
真理であって、必ずしも宗教上正しいとされている事柄では
ない、とあります。

中東地域から派生した宗教で、時に教条や原理のみを
絶対とする姿勢が度々見られます。
そうした教条をテロを行う名目と狡猾にすりかえる姿勢は
いかなる理由であれ肯定は出来ませんが、教条や原理が
先行し絶対とされる姿勢からどこか手に負えない印象を受けて
しまいますのは、わたくしだけではないと思います。

表面的に知覚出来ます事象から、信頼する教条や原理のみを
持って判断します事はそれほど難しい事ではありませんが、
実際物事が起こるという事は、教条や原理よりも時に複雑で、
深い事であるのかもしれません。
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