宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

吊り下がった石

2006年08月06日 | Weblog
1986年に出版された、ある本のあとがきの抜粋
です…。

「地球がこれからどうなっていくのか、については
悲観的な見解が多い。
少し前にアメリカが作成した『西暦2000年の地球』
という科学者達の報告書を見ても、自然破壊、環境
汚染、エネルギー問題など、様々な問題が挙げられ、
『今何とかしなければ』という事が盛んに言われていた。

また私達の生活を見回しても、このままいくとどうなる
のだろう、と思われる事が一つや二つは見つかると思う。

こうした問題の根底にあるものが何かというと、それは
唯物主義であると思うのだ。
人間は肉体が死んだら終わり、自分という存在は消滅して
しまう、という考え方は、自分さえよければいい、という
エゴイズムにつながるものだろう。
そこには未来の人類のために何をするか、という余裕もなく、
それどころか自分の人生の生き方さえもわからない。
ただ目先だけを見て生きる事になってしまう。
堅い表現をすれば、生きる意味の喪失である。」

唯心論への傾倒もまた何かを見失っていますが、西洋
合理主義思想や人文主義思想の大国であるアメリカ流の
「成功哲学」「人生哲学」が近年日本の各所で取り上げられ、
それらの影響からか、一部で唯物的な見方が非常に強まって
いる様に感じられます。

もしそうした「哲学」が説く姿勢によって人々を幸福にする事が
可能であるならば、アメリカ国民はずっと以前に余すところなく
幸福を享受していると思われるのですが、そうした事実はない
様に感じます。

現在各所で大きく宣伝されているそうした思想・哲学には、どこか
落とし穴が存在する様に思います。
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