つげ櫛について調べていて、またミネバリの木で作られる
「お六櫛」について偶然知る事になりました。
この「お六櫛」については、元禄年間(1688年-1704年)に持病の
頭痛に悩んでいた村娘のお六が治癒を祈って御嶽山に願をかけた所、
ミネバリの木で櫛を作り、髪をとかしなさいという御告げを受け、
御告げ通りに櫛を作って朝夕に髪を梳いた所、頭痛が完治し、彼女が
同じように頭痛に苦しむ女性達のために櫛を作って売り始めた所から
ミネバリの櫛の名が広まり、作り続けられる事になったとか、また
お六櫛の名の由来は、御嶽教の教義の「六根清浄」の六根に由来し、
この櫛で梳ると身も心も清められるなどとも伝えられていますが、
いずれにしても御嶽教との関連があるようで、個人的に興味深く
感じます。
またこちらで「髪をすき、愛情を伝える‘お六櫛’」という記事があり、
そちらも興味深く拝見させて頂きました。
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櫛職人、青柳和邦さんはこう言っています。
『昔はよくお母さんが子供の髪をすいていた。
子供は母親の愛情を櫛の刃先から無意識に感じていたと思う。
今は何でも「早く、早く」の時代だが哀れな時代。
こんな時代だからこそ、ゆっくりと髪をすく余裕をもって欲しい。
そしていい物を末永く使って欲しい。』と。
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「チベット問題概要」
http://jp.youtube.com/watch?v=szB7x8NZAww
以下コピペです。
「太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、
チベット政府から大量の羊毛が送られてた来ました。
その理由はただ、
「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」
でした。
戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との
国交は変わらず続けられていました。
当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等を
ビルマ経由で輸入していましたが、このルートが日本軍によって
絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを
開こうとしました。
しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、
アメリカ大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇を
もたらす結果となりました。
1945年8月15日・・・日本の敗戦です。
日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で
「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、
中国もそのメンバーになりました。
これが更なる悲劇の幕開けでした。」