うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

まちぶせ

2020年11月22日 | 音楽


(よたばなしです・あ、いつでもそうだっけ?)

 15、6年前、まだ音楽配信とかがポピュラーじゃなかった頃は、少し昔の和洋流行歌等に触れる機会は今よりも少なかった。
 聞きたければCDやさんに行って懐メロコーナーを探すとか、色々努力する必要があった。CDになってるのも少ないし、なってても店頭に並んでるかどうか。。
 自分のライブラリを持ってるにしても、ちょうどカセットとかレコードが新しいメディアに切り替わる時期ということもあり、あまり聞く機会はなかった。

 僕は昔は結構宵っ張りで、真夜中の2時台とか3時台とかに起きてたりしたんですね(今はぜんぜんだめ)。
 そうすると時々、NHKのラジオ深夜便とか、あと地上波テレビでも、昔の流行歌みたいのを流しているときがあって、それを見聞きする機会があったんです。

 特にテレビのほうは、ある1年のヒット曲を、ナレーションなしで1時間かけて流すという番組があった。曲のバックに当時の世相を示すニュース映像が流れる。

例えば昭和47年(正確ではないかもしれません)のヒット曲として尾崎紀世彦「また会う日まで」とか、ちあきなおみ「喝采」とかが、上野動物園のパンダとか、銀座の歩行者天国とかのシーンをバックに流されてたりする。

 まあカラオケのモニター画像みたいな感じですね。シリーズには昭和40年代から平成の初め頃ぐらいまでの映像がラインナップされていたと思う。全部の年があったかどうかはわからないけど。


 あまり古い歌とかはあれですが、自分が多感な時代の、アイドル歌手の曲なんかはちょっとインパクトがありましたね。。なにしろ何十年と聞いてなかったから。原田真二「キャンディ」とか、郷ひろみの「お嫁サンバ」「林檎殺人事件」とか。郷ひろみはたぶん、今でもYouTube配信してないんじゃないかな(曲としては)。

石川ひとみ「まちぶせ」もそんな中の一曲として流されていた。

 石川ひとみさんって、その後の活躍はともかく、デビューしたころのことは記憶にないんだよな。「まちぶせ」は知ってはいたと思うけど、特に気になったとかそういう記憶もない。あの頃聴いていたのは主に洋楽で、後は何だろう、スペクトラムとか、あれか・大瀧詠一のA Long Vacation、ユーミンの「守ってあげたい」とかか。。

なのだけど、真夜中のテレビでこの曲を聞いた時はものすごく心にささった。

 歌詞はたぶん高校生ぐらいの女の子の話ですよね。好きな男の子が友達と仲良くしているのを目の当たりにしたり、その子がふられたとわかってもすぐにアプローチせず、思わせぶりな態度とったり。

 そんな世界はもうすっかり忘れきっていて、夜中の3時にいまここに居るのは、ひとりのおじさんになった僕じゃないか、ということにふと気がついて、なんか愕然としたんだよなあの時。。
ほんとにどうでもいい話なんだけど、真夜中にそういう昔を思い出させるような音楽を聴くもんじゃないな、と思ったものだ。。

 断っておくけど実体験として僕がこの歌のようにまちぶせされたということはない。。
それでもあれだな・。女友達とふたりで歩いていたら、向こうから別の子がやってきて、ふたりで挨拶したらすごい怖い顔でにらまれたとか、そんなことおもいだして・。




 この「まちぶせ」、もとは三木聖子さんが最初に歌ったのだそうですね。荒井由実さんが三木さんから聞いた自らのエピソードをもとに作詞、作曲した、とウィキにあります。

 いかにも初期のユーミンらしい曲調(特に3連符!)で、今思ったのですが出だしは「埠頭を渡る風」によく似てますね。「あの日に帰りたい」もちょっと似ている気がしますね。。

でもとにかく、歌詞、旋律共に傑作だと思うのですが、なんというか聴いていて楽しいというより結構心に刺さってきて、一度聴くとしばらく頭の中でヘビロテが始まってしまうのが難点です。。




 ウィキではさらに、荒井由実はこの曲を、彼女の好きなフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」へのオマージュとして作曲した、としている。

「さよならを教えて」も、僕はアルディとともにすごく好きでして。。

メロディとかは全く違うけど、雰囲気は共通するものも感じます。やはり秋から冬のイメージがあるな。。
アルディはほんとうに好きです・もう浸りきってしまいます。。あの時代のフランス女性歌手陣は。。

でも僕は世代的にはクレモンティーヌさんとかとおなじで、アニソンとかもいいですよね。ふれんちぽっぷす、好きです。。

ところがこの「さよならを教えて」にもルーツがあって、もとは「Its Hurts to Say Goodbye」というアメリカの曲だったのだそう。今年104歳で亡くなったイギリスのヴェラ・リンが1967年にヒットさせ、セルジュ・ゲインズブールがフランス語の歌詞を付けたのだそう。ヴェラ・リンもYouTubeで聴けますが、全然違う感じの、堂々とした曲調で、これがやはり当時のイギリスっぽい感じなのかしら、と思ったりします。

話がぽんぽん飛びましたが、そんなことをつらつら考えたりしている、秋の午後であります。。



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小室等 23区コンサート東京旅行

2020年10月18日 | 音楽

また古い音楽の話になってしまって恐縮です。。

前回Shazamのことを書きましたが、これは検索してアルバム見つけて、アマゾンで注文しました。

たしか、在宅勤務しているときにふと「逆境」という言葉が浮かんできたんですよね。同時に吉田拓郎が曲の合間に「(今のおれは)逆境に耐えて生きていくからな」と言っていた言葉が浮かんできて、たしかあれは小室さんのコンサートでの出来事だった、と連想。

その、小室さんと吉田拓郎さんがデュオで歌った曲というのは「君にで出会ってからというものボクは」で、二人の出会いから今日までにおきた様々な事件を歌っていくというもの。小室等さんの23区コンサートで披露されました。

1978年に行われた(と思われる。CDには録音データが一切記されていない)23区コンサートのことは、僕は吉田拓郎さんの深夜放送を通じて知っていました。小室さん自身のこともそれで知った。

小室さんは吉田拓郎さんと仲が良いらしくて、よくゲストに呼ばれていました。気さくな感じの吉田さんと、ちょっと繊細で芯のある感じの小室さんとの会話がなんか楽しいというか、二人の関係がうらやましいというか、そういう感じで聞いていた。

吉田拓郎さんは飾らない感じの話し方で、なおかつ一定の礼節というか気配りが話し方に伝わる感じで、ラジオでゲストの人たちと楽しく会話しているのが良かったんですよね。。当時思春期で、いろいろ人間関係の面倒くさいことに悩む少年でしたから。。

いちど加藤登紀子さんがゲストのとき、拓郎さんは性関係(と芸術)の話題を持ち出して、加藤さんが「私は今34歳で、それはけっして悪いものではないけど、でもやっぱりそれだけじゃ満足できない(だから音楽などの芸術活動をする)」と答えているのを聞いて、いやあ、すごい大人の会話だなあ、と感心したことがあった。
いまだって自分、なかなかそういう会話できないよな。。

話を戻すと、このアルバム、小室さんの代表曲がほぼ収められている、と同時に、曲の合間にゲストとして出演された方々のコメント(会話)がたくさんはいっていたり、小室さん自身の興味深いMCが入っていたりして、とても中身が濃いものになっている。

僕が知っている小室さんの曲は、たぶん相当ムラがあるけど、本アルバムには例えば、「なんにもしたくない」、「一匹のカニ」、「お早うの朝」(これは山田太一原作、田宮二郎主演「高原にいらっしゃい」テーマ曲)、「お前が死んだあとで」、「都会の朝」、「おねえちゃん」(NHK「みんなのうた」)、「雨が空から降れば」、「出発(たびだち)の歌」(上條恒彦さんが歌って大ヒット)など、代表的な曲が収められています。


「都会の朝」も上條さんが歌ってらしたそうですが、この歌詞がとても好きでした。

「厚いガラスの向こうに 白い河のような高速道路・・」
おそらくは東京下町の、現代的な高層マンションから見る風景なのかな。
ちょっと松任谷由実「十二階のこいびと」を連想させる、静謐な描写。

歌う前に、これを作詞した白石ありすさんと、谷川俊太郎さんのコメントが収録されています。
白石さんは70年代半ばに活躍された方で、その後は行方がわからない(ウィキ)そうです。声を聞く限りでは、小室さんたちと同世代ぐらいなのかな、という感じもします。。



「雨が空から降れば」は、これを書くためにネットを検索するまで全く知らなかったのですが、もとは今年亡くなった別役実さんの演劇「スパイものがたり」から来たものだったのですね。。

雨が 空から降れば 
思いでは 地面にしみこむ

僕にとっては、歌詞が自分の頭の中にしみこんでいます。。

しょうがない 雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとり
おさかなを 釣れば
おさかなも また 雨の中

コンサートは40年以上前に開かれたもので、CDはそのときの盛り上がったようすを伝えてくれます。

僕は当時少年だったので、コンサートに行くことはできなかった(行動力があればできただろうけど、チケットの買い方も知らなかったよな)。
もとより僕にとっては、窓越しにちらりとみえる、大人の世界でした。

なので、今こうして聞くとなんとなく、いまだ願ってもかなわぬ世界を垣間見たような、わさわさした思いが残ります。

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音楽の泉、きらクラ!

2020年04月06日 | 音楽

偶々朝早くラジオを聴いたら、音楽の泉の再放送をやっていた。ただ、DJ、というのかな、司会の方が違うなと思ったら、皆川達夫さんは3月末で降板されていたのですね。。知りませんでした。。

本放送は日曜の朝だったのですが、FMではなくラジオ第一放送、それも特にクラシックに詳しくないような方が良く聞く時間帯でした。そういう方が飽きてしまわないように、短い楽章の一部を、解説を交えながら少しずつ進めるという構成を取っていました。

皆川さんの解説はとてもわかりやすく、ちょっとトーンの高い、丁寧な語り口で話される様子がとても印象的に感じられました。吉田秀和さんの放送(土曜日の夜9時台、FM)と対照的な感じでした。あちらはまた別の味わいがありましたが・。
例えていうなら、なんか良く晴れた朝に、品の良い喫茶店でコーヒーを飲んでいる、ような気持がしたものです。

皆川さんはもうすぐ93歳になられるそうです。声の印象から、なんとなくお顔のつやつやした、唇の赤が目立つような年配の方かしら、と思っていましたが、ネットの写真を見るとお若い印象ですね。。
長い間、お疲れさまでございました。

きらクラ!(同じく20年3月で終了。NHK FM)もよく聞いたな。音楽の泉とかは、家で何かしながら(あるいは寝床で)聴くことが多かったが、きらクラ!はだいたい車の中で聞いていた。あと、出勤前にほんの数分だけ聞くとか。車中ででは通しで聞くことはできない(目的地に着いちゃうから)ので、熱心なリスナーだったとは言い難いが、でもなんか、聴いているといつもの場所に帰ってきた気がして、好きだったな。

遠藤真理さんの豪傑笑いが聞けなくなるのは寂しいですね。

新しいX(かける)クラシック(きらクラ!の後継)もちょっと面白そう。今朝出かける前、5分ぐらい聞いてたけど。あれだな、らじるらじるとかで聞き続けることはできるんだな、通勤中も。。
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チェリビダッケのブルックナー 交響曲第8番(リスボン・ライブ)

2020年03月26日 | 音楽

25 Mar. 2020
リコーGR2 1/40 F2.8 ISO400 
昨日のカメラですが、手ぶれ補正なしでもまあこのくらいなら全く問題ない。
ここに来るまで夜の街を歩きながら写真を撮り、このあと本屋に行ってエスカレータ乗っていたら、ちょうど小池知事の会見が始まったようで、急にネットが騒がしくなっていた。
さてさて。。

先日、車中でブル8を聞いたという話を書きましたが、その際チェリのリスボン・ライブを紹介されました。巷ではチェリ渾身の名演であるという噂が。。

いわゆる海賊版に相当するそうですが、アマゾンでも取り扱いがあると聞いたので、行ってみたら在庫切れ。まあ久しぶりに新宿ディスクユニオンでも行ってみるか。ほかにも何かあるかもしれないし。。

それで、今日は帰りに寄り道しようとつらつら考えていた昼休み、在庫復活したよ、との情報が。。

う・。

そうだ、いちおうアマゾンのはカートに入れておき、とにかく店には行ってみよう。
と思って、紀伊国屋の9階に。
EMIの正規版はあるが、このディスクはない。あと関係ないけど、朝比奈大フィルが750円で売っていた。。一瞬どうしようかと思ったが、あまりブル8ばかり買うのもどうも、と思い、何も買わずに店を出た。
そのあとアマゾンを決済しました。。

話が長くなりましたが、日曜の朝、時間のあるときに聴いてみると。
まず第一楽章がとても遅いことにちょっとまごつく。
遅いというより、止まってますよね。
しかし不思議なことに音楽としてはずっと途切れず流れている。そしてスケルツォは重くならず、軽快に進む。
3,4楽章になるともう心をつかまれていて、ものすごく長いのに一気に聴けてしまう。

というわけで、大変な名演だという噂は嘘じゃなかったですね。
それと、海賊版だから音が悪いということもないようです。録音は1994年4月、膝の上にナグラを置いて盗み撮りしたわけでもありますまい。とはいえ、演奏評もそうですが録音評もうさ耳には荷が重すぎることなので、あまりあてにしないように。。

 ただ、それはいいのですが、これだけカロリーの高い演奏をされると、さすがに何度も繰り返し聴きたいという気持ちになれない、というのもまた確かです。。ジロリアンだって、毎日食べてるという人はいないでしょうし、偶には自宅でサッポロ一番食べるのも悪くない、と思ったりするんじゃないですか?

演奏会に行った人は幸せだったでしょうし、記録としては非常に貴重だけど、パッケージソフトとしてみると、手放しで礼賛はできないのかもなあ、と思ったりもしました。一期一会の演奏会と、繰り返し聴くCDとの価値観の違いでしょうか。。
海賊版として売られているというも、むしろ希少感があってこのディスクに似合っている気もする。


カラヤンのこれも、1988年11月の楽友協会ホールでのライブ録音だと聞きます。ネットを見るといろんな方が色々おっしゃっていますが、そういわれると。。結局、何度も聞いているのでいちばん耳になじんでるです、ぐらいしか言えないですね。。
ベルリンフィルと演奏したディスクもよいとききます。そのうち聴きたいと思いますが、ブル8自体そう繰り返し聴けないので、いつになることやら。

カラヤン盤は最初に聞いた演奏ではなく、実はこちらのほうが先です。これも評判を聞いて、お店で偶々安かったので買ってみたというもの。MCAダブルデッカというのは、当時(1993年ごろ)1,600円ぐらいで売られていることが多かったと記憶します。終楽章なんか、かなり素敵なのですが、実はもう長いこと聞いていません。音質は良いとは言えません。

このほか、先日書いたシャイー、シューリヒト、全集セットになっているインバルが、CD棚に並んでいます。どれもずっと聴いていないな。。
ブルックナーの交響曲だと、4番、5番辺りはもう少し気軽に聞けるし、00とか0とか1とか2とかはまあ聞かない。7はちょっとゲンが悪い?曲で、やはり聴いていないです。あとは9番は好きですね。

というわけで、誰の参考にもならないことをまた書いてしまいました。。

事態が悪くならないでほしいと本当に思いますが、感染が広がって外出がほんとうに厳しくなったら、家に籠ってぜんぶ聞き比べてみようかしら。。
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ダウントンアビー サウンドトラックCD

2020年02月11日 | 音楽
SNSで教えてもらったので早速買ってみました。
1月に公開された映画「ダウントンアビー」のサウンドトラックです。

SNSでは国内盤をリンクされていましたが、2,750円は高いので輸入盤にしました。。しかし、国内盤が少しでも売れた方がよかったかな。。

サウンドトラックなので音楽は断片的です。
あの特徴的な主題はじつに魅力的なのですが、通しの交響楽としては今回アレンジされていません。ピアノによる演奏は、最後のトラックに収録されています。
CDをプレーヤーにかけると最初の、王室から送られた手紙が、鉄道やバイクを使ってダウントンに届けられるシーンが彷彿としてきます。。
 車に乗るときかけるといいですね。自分がトム・ブランソンになったような気がして、運転がジェントルになります😅

Amazon購入ですが、写真にあるように、CDケースにはさいしょからヒビが入っていました。もうこの辺は気にしても仕方ないのかなという感じ。。
ケース内側にも写真が掲げられています。ふたの裏側はメアリーとヘンリー。
CD盤面もハイクレア城のシルエットが掲げられ、最近のCDにしては凝っています。
そのCDを取ると、そこにモールズリーさんの得意げな姿が。。
CDの裏側にいる辺りが、奥ゆかしいですね。

映画ですが、もう家の近所の映画館では公開を終了したようです。全国的にはまだ上映している館もたくさんありますので、ご覧になりたい方はお急ぎを。
寒い日が続きますが、実家の梅もそろそろ花をつけ始めました。
光線の具合が悪くて、写真がへたくそです。
まだこれからなので、次回はもっと上手に撮りたいです。



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キエフ国立フィル 第九

2019年12月28日 | 音楽
年が押し詰まってからも予定がぼこぼこに入っていて、家の掃除などはもう諦め気味。出先から帰ってくると、仕事しに行ったんじゃなくても疲れますねえ。白状すると、年賀状もまだ出せていない。一人一人一言書こうとして止まってしまっている。。

第九ですが、当初は公演には行くつもりはありませんでした。というより、先の日程が決まらない状態で、20日前後にピークを迎える公演は軒並みソルドアウトになっている様子だったのであきらめていた。
 しかしどうも諦めきれず、最終出社を控えた16日、オフィスのPCで探してみたら、28日の公演が残っていた。ただ、チケットぴあ経由で予約したら、席を選ぶことなく自動的に予約確定してしまった。。しかもチケぴって初めてだったのだが、パスワードを設定して、同期している自宅PCで見返してみたら同期完了していなかった。ので、チケぴ、PW再設定しないと入れない。まいいけど。

オペラシティホールは4年前のシベリウス以来だ。行ってみたら2階席というのは、シューボックスの長辺、つまりステージに対して横ざまに座って観る形の席だった。こういうのは初めて。。
 僕が座ったのはステージ下手側の、だいたい真ん中あたり。オーケストラ全体は見渡せないが(ティンパニは見えない)、低絃側は良く見える。悪くない。第九は4楽章冒頭で低絃が「コレジャナイ」と呼びかけたりするので、その様子が上から良く見える。。

 キエフ国立フィルハーモニー交響楽団は、歴史はそれほど長くないが欧米で人気があるのだという。指揮者はヴァハン・マルディロシアン、ピアノが堪能で指揮者としても、フランスや香港の首席指揮者を務めている。まだ40代半ばくらいかな。

 プログラムが変わっていて・・。というか、さいきん第9の公演がどうなっているのかあまり詳しくないけど、ベートーヴェンの交響曲とオペラアリアを組み合わせるのって、あまりないような気がする。。今回のGプログラムは;

1ロッシーニ セヴィリアの理髪師 序曲
2モーツァルト ドン・ジョバンニ「お手をどうぞ」
3プッチーニ ジャンニ・スキッキ「私のお父さん」
4グノー ファウスト「金の子牛の歌」
5ドニゼッティ 連帯の娘「ああ友よ嬉しい日」
6ヴェルディ 椿姫「乾杯の歌」
7ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」

・・・。
ある種の音楽趣味者がみたらなんというかしら。。
ロッシーニはまあわかるけど、なんというか、ニューイヤーオペラコンサートを先取りして、それに第九を組み合わせたような、と表現したらいいのかな。
というか、その心は??とつい思ってしまい、帰りがけにプログラム(金1千円は高い)も買ってしまった。が、選曲の意図はわからなかった(いやだからソリストのど自慢ってことで)。。

声楽家さんのうち、バリトンのアンドリー・マスリャコフは割と存在感のある声の持ち主だった。テノールのオレクサンドル・チェフピロは、何しろハイCを披露してしまう技巧の持ち主であるから、大したものなのだけど、なんでここで感はどうしても残る。ソプラノ、イワンナ・プリシュも声綺麗。アルトオリガ・ダブリナさんだけアリアがなかったのでちょっとかわいそう。。

肝心の第九演奏だが、さいきんの傾向なのか第一楽章がそっけなく感じる。帰宅してからCDでブロムシュテットの最新盤を聞いたけど、似た傾向という感じが。。うさ耳なのでただの印象でしかないが、古い演奏はけっこうテンポを動かしますからね。。
日本のオーケストラはわりときれいに鳴らすけどなんとなく縮こまった感じがする。というか、こうして海外の人たちの演奏を聞くとそうなのかな、と思ったりする。キエフの演奏も、どこか粗削りな印象があるが、でもこっちのほうが気持ちいい感じが、少なくとも聞いているときはするな。。

それと、荒い印象も慣れてくるのか何なのか、曲が進むにつれて気にならなくなってくる。テンポも、第4楽章ぐらいになると、少なくともせかせかした印象はなく、普通に思えるというか、普通だ。
合唱は志をん合唱団という日本の合唱団で、さほど人数は多くないが達者だ。男女の配置は、指揮者を中心に上手側女声、下手側男声ときれいにわかれている。あれはなにか決まりがあるのかしら。よく見るのは女声を左右に分けて、中央を男声とするやり方。人数とか色々都合があるから、絶対こうということはないのでしょうけどね。。ちなみにソリストは舞台手前側、指揮者の前に出るやり方でした。。

第九が日本では年末風物詩とされていて、それが海外ではそんなことは・・という人がいたり、その辺は人それぞれだとは思いますが、まあいいじゃないかと。。もともと日本にはなかった習慣が、百年を経てだんだん根付いているということなのでしょう。
聞きながらあれこれ考えたことの中には、生涯にあと何回、第九聞けるのかしらということも浮かんできたりした歳末でございました。。




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ラヴェルとベートーヴェン

2019年12月07日 | 音楽
・・さいしょはくだらない話だけ書こうと思ったのですけど、それじゃあまりにくだらないので、ちょっとかっこつけてCDのことを・。もう忘れててあまり書けそうにないな。。

ラヴェルのオーケストラル・ワークスのほうはだいたい全曲持ってますが、ピアノ曲はアルゲリッチの協奏曲に入ってたやつぐらいしか家にない気がして、CD屋で探してみることにしました。。のが、1月ぐらい前。

今やクラシックCD店最後の牙城となったタワレコ新宿店(4フロアのうち最上階の10階にあった)も、時代の流れを受けてワンフロア確保できなってしまいました。明け渡した10階はアナログレコード店になったというのも、これまた時代の流れという・・。

ピアノはフランソワ、管弦楽のほうはクリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏。録音は1960年代半ば頃のものが中心です。6枚組で2千円ぐらいだったかな。実はボレロ、ラ・ヴァルスなどを収録した、同じ録音は既に持っていて、25年ぐらい前に買ったとき2,200円だったようです(CD1枚物)。CD屋が無くなるのも無理はない。。さらに言うと、同じ録音を収録したLPレコードを35年ぐらい前に買っています。。あれはいくらだったかな。。

とにかくフランソワのラヴェルは初めてです。ものの本を見ると(志鳥栄八郎さんの本)、ラヴェル弾きのピアニストとしてフランソワとペルルミュテルは対照的なのだそう。ペルルミュテルはラヴェルに直接師事し、彼の演奏法を忠実に後世に伝える役割を果たした。他方フランソワは自由闊達にラヴェルを演奏し、聞くたびに新しい発見がある、と。

悲しいかなうさ耳にはそこまでわからないな。。フランソワはショパンのマズルカ集を聞いてはまりこみ、ドビュッシーも大好きだけど、ラヴェルは(ピアノのほうは)曲の感じ自体をあまり知らないので、差がわからない。「クープランの墓」のトッカータなど、乗りのいい曲はなんとなくらしい感じがしますね。。もう少し聞きこんでみましょう。いずれペルルミュテルも行きますか。

ブロムシュテットさんのベートーヴェン。オケは古巣のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。録音は2014年5月から2017年3月にかけて。指揮者86歳から89歳にかけての演奏ということになります。

さいきんはレコード雑誌などを全然買っていないので、国内でのレコード評などは不明ですが、うさ耳で聞いても整った良い演奏です。先日聴いたモーツァルト(N響)もそうでしたが、ブロムシュテットの演奏はすっきり快速テンポながら非常に充実感と内容の濃さを感じさせるのが良いですよね。。

こちらはアマゾンで購入。たぶん昔なら雑誌の裏表紙あたりに盛んに広告出して、店頭でもレジ前に並べて置いたりしたんでしょうけど・・。
さいごにくだらない話。くだらないなんていっちゃあ何ですが。。
2年半前に買ったエアコンですが、ふと気がついたらリモコンの表示が見えなくなっていた。時計もリセットされているので、電池が切れたらいい。

ただこのリモコン、電池蓋が見当たらない。どうやって電池交換したらいいのかわからないので、ずっと放置していました。それでもオンオフはできていたのですが、流石にここのところ、かなり近づけないと反応しなくなってしまった。

取り説どこかにあると思うけどすぐ出てこない。困ってウェブで検索したら、電池で困っている人、結構いるみたいです。
下のボタンを隠しているところを後ろに引っ張ると、そこに電池があります。ただ、ちょっとやそっと引っ張っただけではすぐに取れない。だからみんな迷うんですね。。下手するとリモコン壊しちゃいそうです。
ほかの人も書いていましたが、最後まで引っ張った後、付け根のところ(写真右側のところに手をかけてそっと外側に力を入れると、スムーズに外せるようです。
形式WH-TA04EJ (これはリモコンの型式みたいです。本体の型番はRAS-B225P1)、だそうです。

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第1926回N響定期公演

2019年11月23日 | 音楽
何かの間違いじゃないかと思うほど、時間のたつのが早いですね。もう11月も後半。

木曜日、オフィスでふとSNSを見ていたら、ベストオブクラシックの告知が出てきました。明日22日(金)午後7時から、第1926回N響定期公演の生中継を行うと。指揮者はヘルベルト・ブロムシュテット、曲目はモーツァルトのリンツと大ミサ曲。リンクをたどると、ネットで席の確認、予約ができます。
 オフィスからNHKホールまでのアクセスは、すぐそばにある地下鉄に乗って13分、そのあと歩いて10分ほどらしい。会社の子と大丈夫かねえ、時間間に合うかななんて話したりしましたが、何とかなるだろうとぽち。

 ただ、木曜日朝には翌日雨が降ることまでは予想がつきませんでした。。

ヘルベルト・ブロムシュテット氏は御年92歳になられるとか。
年齢とともに円熟度を増す方の多い指揮者の世界の中でも別格という感じがします。
リンクがちゃんと読めるか不安ですが、ここ(An Interview with Herbert Blomstedt)にブロムシュテット氏が大ミサ曲の魅力について語った映像があります。とてもわかりやすい英語で、しっかりとお話されています。
 この方、たぶん60代ぐらいの頃から雑誌その他で写真を見ていますが、昔っから若く見えるというか、いい男ですよね。。髪を七三に分けて、偉丈夫でとても知的な感じ。若く見えすぎて重みがないかな、と思えた時もありましたが、それはこの方が時間をかけてじっくり円熟していくことの現れだったのかも知れないと、今になると思います。

音楽の感想は例によってうさ耳には荷が重いので軽く。
交響曲第36番「リンツ」は、速すぎないテンポですっと始まり、緩徐楽章でもだれることなく、かといって最終楽章で重みを失うこともない、非常に凝縮感の高い演奏でした。なんだか休憩時間にトイレに行きながら、ああ、幸せという感じが残ったな。。

 ミサ曲ハ短調 k427は聴くのはたぶん初めてです。合唱は新国立劇場合唱団で、非常にしっかりした印象。ここのところちょっと合唱づいていて、先週も友達の参加した合唱曲を聞きに行ったのですが、アマチュアだと男声がどうしても弱くなり(人数が少ない)曲づくりが難しくなりますからね。

 ソプラノのクリスティーナ・ランツハマーさんは、非常にすらっとした方でカラーの高いドレスもそれを助長しているのですが、全身を動かしながら歌ってらして、ちょっと体を揺らしながらことり、と挨拶されるのがかわいいというか、見ていてなんとも心地よい感じがします。

 もう一人、アンナ・ルチア・リヒターさんは、歌いだし口の動きと声の聞こえがずれている感じがして、ちょっと不思議な思いがしました。この方も声、澄んでいてとても聞きほれました。テナーと特にバリトンは、出番が少なくて気の毒でした。ずっと人の演奏を聞いていないといけないのはどうなんだろう。最後のベネディクトゥスのところで出て来ればいいような気がするけど、ちょっと音楽の間が空いちゃうか。

ブロムシュテット氏が数秒間、指揮の手を高く掲げたまま無音の音楽を奏でて、曲を終えました。

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AUTUMN

2019年10月19日 | 音楽

ジョージ・ウィンストンのピアノソロアルバム。

録音が1980年6月、リリースが同年11月だそうで、ちょっと意外な気がした。というのは、御存じのようにこのアルバムが日本でよく知られるようになったのはその4年後、トヨタ「クレスタ」のCMに使われたのがきっかけとなったからだ・・。そうじゃないのかもしれないが、とにかくこのアルバムを聞くとどうしても、山崎努とクレスタを思い出してしまう。あれ、よかったな・。若い頃はあれだったけど、本当はおっさんになった今こそ、ちょうどいい車なんだけどねえ(似合う似合わないは別の話)。山崎努も、「スローなブギにしてくれ」の頃からファンです。あのいかついけど権威主義的でない感じが。。さいきんは鈴木首相なんて、名演技でしたね。。

話が大きく飛びました。
とにかくジョージ・ウィンストンはこのAUTUMNと、最初期のBallads and Bluesが一番まとまっていて、繰り返し聴いても飽きない。ウィンダム・ヒル系でいうとウィリアム・アッカーマンのIt Takes a Year、映画音楽のCountryなどもよかった。あと、ウィンダム・ヒルではないが国内CD未発売のAukland  Solisten のAir、これは本当の逸品。いずれも僕がごく若い頃に聞いたアルバムというのがあれで、ほかにもGoogle Play Musicとかで色々探してはいるのだが、自分の感受性が鈍ったのかなんなのか、これはという作品は発掘できていない。
ともすればムードミュージック的な扱いを受けて、軽く見られがちだが、抗いがたい魅力があるのも確かだなあ。。なんか(日本の季節感で言えば)晩秋の、荒涼とした枯野に吹く寒風という感じが良く出ていて。。

今回わざわざ中古で買ったCDはボーナストラックのついた2枚組で、ドアーズのジム・モリソンの作曲した「水晶の船The Crystal Ship」、「戻れぬ二人Too Much Between Us」「記憶の彼方I Can't See Your Face in My Mind」が2枚目に収録されている。このうち戻れぬ二人は、Googleの配信盤に入っていて馴染み深いものだが、他の2曲は初めて聴く。曲のことはさておいて、どうもこの3曲、録音状態が今一つなのが気になる。。
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Too much rain

2019年07月23日 | 音楽

夕方、いつもと同じ時間なのに何か違うな、と思って空を見たら、雲の切れ間から青空が見えていた。どことなく、華やいだ夕暮れという感じ・。

帰りは夜遅かったが、携帯の通知が千代田区で雨量XXmmと知らせが来る。はて、雨はあがったと思っていたが、と思いながら電車に乗る。
 
自宅近くの駅が近くなり、それまで読んでいた本を閉じて目をあげると、窓ガラスに水滴がついている。シャッフル再生にしていた、キャロル・キングのアルバムから流れている曲はちょうど" Too Much Rain"。。

..But if anyone asks you where I've gone
Oh, don't say where I am
Just say you saw me and I'm doin' fine
'Cause I'm doin' the best I can

Too much rain fallin'
Too much rain fallin'
There's just been too much rain fallin'
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谷山浩子 再発見

2019年07月10日 | 音楽
谷山さんの曲を最初に聞いたのは相当に昔のことです。。

「河のほとりに」をラジオで聞きました。それも、コッキーポップなんかじゃなくて、なぜかTBSラジオで深夜にやっていた「エミコの長い付き合い」でかかっていたのを聞いたのが最初です。
正直言って当時、谷山浩子さんの曲だと理解できていたかどうかもあやしくて、なんとなく中山恵美子さんの曲なのかと勘違いしていた節も(自分の中で)あります。

「おはようございますの帽子屋さん」「窓」「あやつり人形」あたりは、リアルタイムではなくラジオなどで聞いてなんとなく印象に残る程度、だったと思います。ずっとたってから「時の少女」のアルバムを、レンタルしてカセットに録音し、これは相当繰り返し聴いてました。

「時の少女」は良かったのですが、そのころからちょっと深いというか聞いていると重くなってくるな、という感じがあって、もう1枚アルバム聞いたぐらいで、その後はあまり聞かなくなってしまいます。
なので、谷山さんの熱心なファンという訳ではぜんぜんないのです。

ただ、雑誌とか、後にはネットとかで谷山さんの文章に触れると、ああまだ元気に活躍してるんだな、と懐かしく感じたりして、そんな感じでつかず離れず数十年。。


今年の梅雨は長く雨が続いて、ちょっと久しぶりにこの季節らしい感じがありますが、その季節感にインスパイアされたのか(?)、ある日ふと谷山さんの曲が聞いてみたくなりました。
まず上の写真にある「シングル・コレクション」、次いで「時の少女」を聞いてみました。

ああ、この感覚。。

「シングル・コレクション」は15歳でデビューしたときの初シングルから、最新の「恋するニワトリ」まで、谷山浩子の45年の足跡を概観するのには好適なのですが・。

谷山さんの音楽を聴いていると、曲が自分の心のやわらかいところに直入してきて、なんだか痛くて聞き続けるのが辛い。。

例えば松任谷由実とか中島みゆきとか(はあまり聞かないけど)、長く活躍する歌手はけっこういますが、曲によっては懐かしいものがあっても、こういう風には聴けないです。何なのだろう。。
前述のようにこのアルバム、繰り返し聴いていました。
そのころ、車の中で聞いていたときの様子を、今でもはっきり覚えています。

今みたいなうす曇りの、たぶんもっと蒸し暑かったかな、広いバイパスにいっぱいに散らばった車の中で、窓から入ってくるぬるい風をにあたりながら聴いていました。冒頭のもわっとした感じとか、なんか季節によく合う気がしていたのですね(自分だけですけど)。

もう遺伝子の中に組み込まれてしまっているので、今更良い悪いと言える客観性は持てませんが、あえて言えば多少アレンジなどに時代を感じます。
「てんぷら☆さんらいず」は傑作ですね。。
「時の少女」を基準に、その前の谷山さんと、最近の谷山さんはどうなのか、知りたくなってこれを買いました。
1980年の作品。大島弓子「綿の国星」にインスパイアされた、とどこかの解説にありました。ちび猫、読んでましたけど、あのころ世間でどういう受け止められ方をしていたのかな。。もう内容とか、忘れてしまったけど。

さいきん、といいながらもう20年近く前の作品ですが、なんとなくジャケットが気になって買ってみました。これもネットで谷山さんご自身が書いていましたが、この頃写真に急に凝りだして、写真のNew FM2とベッサ-Rを買われたそう。50mmレンズがお気に入りで、ズームは身体との一体感をそぐから好きではない、と書いておられます。

Nikon New FM2、懐かしいです。やはり同じころ僕もカメラ屋行って、AFカメラ買ったほうが実用的だろうなと思いつつ、モノとしてはやっぱりこっちだよな、とカタログもらっては悩んでいました。。結局買わなかったけど。

さて曲ですが、プレーヤーにかけて聴き始めて・・圧倒されました。経歴の長い歌手の方って、どうしても若いころの作品の印象が強く、往々にして年を経るごとに印象が希薄になりがちですが、この作品はすごく成熟した、気迫のようなものが感じられる。世間的に知名度のある曲は収録されていませんが、長く自分の世界を追求してきた果実のような、そんなことを感じさせるようなアルバムでありました。

今年は色々辛いお別れを経験されて、大変かと思いますが、谷山さんのますますのご活躍を期待したいものです。。



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さいきんのCDから

2019年06月15日 | 音楽

・・梅雨らしい雨です。

令和に入ってからいろいろと波乱万丈な日々が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今日は雨なのですこし家でゆっくり。。

さいきん恒例になりつつある、鼻風邪っぽい感じを引きずりながらこれを書いています。

さいきん買ったCD、といっても先月のことで、色々あったので先月のいつ頃買ったのか忘れてしまい・・。

と思って記憶をたどってみると、旅先でスマホの充電器をわすれてきてしまい、代わりのものを買おうと、それもヨドバシのポイントカードが失効しないようにと、さいきん行っていない新宿まで行き、それならついでにCD屋を見てみようと、という経緯で行ったことを思い出した。

あのとき、携帯用品売り場を見たらUSB-Cという端子の充電器が結構置いてあって、選びかけてこれはうちのに合わない、と気がつきUSBミニのに取り換えた。その数日後、機種変更したらそのスマホの端子がUSB-Cだった、というタイミングの悪い経験をしたのであった。。まあどうでもいいですね。

さてCDですが、ひとつがこの有名な、ベームのブル4です。

ジャケットが良く知っている、し~っとやっているやつとは違いますね。。

ブルックナーでよく聞くのは8番、9番とこの4番ぐらいで、それももう長いこと聞いていない感じがします。。シャイ―の8番をたしか最近買ったんだよな。。4番は全集は別として、ヨッフム BPOのCDを持っていてよく聞いていました。なんというか、こんなものだという感じで聞いていましたけど、今聞いてみると第1楽章なんて、随分と癖のある演奏ですねこれ。勢いが強くてシャキシャキしているというか。跳ねているというか。落ち着きがないとも。

ベームのほうは図書館とかで借りて聴いたことが何度もあって、あとたぶんカセットかMDに落として繰り返し聴いたことがあると記憶していますが、自分的には決定版的な印象があります。ヨッフムは、たぶん間違えて(^^;買ったと思うんですよね。同じデッカのジャケットだし。

これ、リマスタリングがうまく行っているのか、音質がとてもいいです。うさ耳でそう聞こえるのだから間違いない?

4番は色々聞き比べするのにはちょうど良いというか、手ごろというか。。8番も9番もちょっと深淵な世界に引きずり込まれて、あまり比較する気になれないです。。ほかにもハイティンク(お元気そうですね)とか、ムーティとか、色々ありそうなので、また買ってこようかという感じが今しています。。

カリンニコフの交響曲1番、2番。

昔「朝比奈隆 わが回想」という本(中公新書)という本で、朝比奈氏がカリンニコフを演奏してみたい、みたいなことを書いていた記憶があって、店頭でCDを見て買ってみた。もっとも家に戻って本を読んだけど、カリンニコフのことを書いところは見つからなかったというか、、もしかしたらグラズノフと勘違いしてたかしら。。

1番はよく聞く。。たぶんラジオのN響定期公演あたりで何度か聞いたような。2番は全く初めて。

それほどしょっちゅう聞きたいとは思わないけど、たまにはロシア物も、というときに。。さいきん同じようなものばっかり聞いてしまって、だめなんですよね。。

そんなわけで、雨もあがってきたかな。。

追記:まだふってた

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神田川

2019年06月12日 | 音楽

昔はグレープとかかぐや姫とかはそんなにぴんと来なかったのですが、月日が流れ、色々な経験をしてくると、時折妙にあの世界が懐かしく思えるときがあります。

特に夜の国道を車で流しているときなんてのは、昭和歌謡とか70年代フォークはよくにあいますねえ。。前にも何度か書きましたが、夜中にトラックの間を縫って運転しているとき、北原ミレイ「懺悔の値打ちもない」が流れてきたときは、しびれました。。まるで風景が変わって見えるような。

北原ミレイさんの歌の女性はちょっと過酷すぎますが、神田川の女性は、貧しくて辛そうに見えて、ちょっと普通は得られないような幸せをかみしめています。

今手元にないと思うけど、村上春樹氏が昔のエッセイに、若いころ貧乏することは全然苦じゃなかったけど、最近の若い人はどう感じているのかな、という意味のことを書かれていたことがある。村上氏が若い子と貧乏の話をした時の、貧乏への世代的なギャップを感じた驚き、のような話しだったと思うが、ここで最近の若い人、というのは僕たちの世代のことを指している。村上氏ぐらいの世代の人は、若い時代の貧乏が苦にならなかったというか、それを懐かしむような感覚があるらしい。

かぐや姫の歌に「赤ちょうちん」というのがあるが、こちらもよく似た若いカップルの歌で、雨が続くと仕事せずにキャベツばかりかじっていて、そんな暮らしがおかしくて、あなたの横顔見つめていた、という歌詞がある。

じつはこの歌詞を改めて聴いて、うわなんだかすごく羨ましい感じ・と思ってしまった。いくら気持ちが若々しくても、じっさい見かけが若い感じでも、暮らしぶりが未熟というか羽目をはずした暮らし方をすることは、実年齢を重ねるとなかなか難しい。それなりの分別をつけていないと、社会の中で浮いてしまう。

まあ、そんな世間体をかなぐり捨てて生きられたら、それこそ本物なのかもしれませんが。。

かぐや姫の歌の出た時代、僕らは物心ついてはいたけど、当時はちょっと世代的に理解するのが難しくて(同じころ流行った天地真理とかチェリッシュなら受け入れられたけど)、そのあとも僕は素通りしてしまっていて、まあ今頃こうして聞きなおしたりしている。。

あの頃の若者たちのいた世界に、自分もいつか行くのかな、と思いながら、結局似てるけど違うところを通ってしまい、「いつか・・」という思いだけが残ってしまった感じがする。もちろんもう「いつか」は来ない。。んですねえ。。

今の若い子たちの歌を聴くとき、その歌詞に出てくる人たちの世界に「自分もいつか」という気持ちを持ちえないところが、昔の若者の歌をきいたときとの違い、かもしれませんね。

 

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クラシック何枚か

2019年03月30日 | 音楽

さいきんはロックやらジャズやらに手を出して、クラシック系のCDを買っていなかったのですが、久しぶりにオペラ、オケものに手を出してみました。

フィデリオはこれまで見たことがなくて、全曲盤も持っていませんでした。先日FMで、このオペラの見せ場はアリアよりもむしろ合唱、と評ているのを聞いたのがきっかけ。中古店で思いついて買ったのですが、ネット上でショルティ盤について言及している人、いなさそうですね。。

プロコフィエフという名前は、小6の春休みつまり今頃、初めて買ってもらったラジカセであれこれFMを聞いていたときに知りました。その時何の曲をやっていたか覚えていないのですが、なんとなくオケものを数枚買ってみました。バレエのほうはBSで昔見たな。。

キージェ中尉とかこの辺も、去年買ったオネゲルやルーセルよりは親しみやすいですし、聞いたことある感もありますね。

なんか中身が薄い記事で恐縮です。。

シャイ―のブル8。8番は個人的に今頃の季節感がとてもありまして、なんか日差しは春だが空気は澄んで切れるように冷たい、早春の山里、みたいのが浮かんでくるのですね。この曲聴くと。

先日Eテレでマタチッチのブル8をやっていて、久しぶりにこの曲を聞きたくなりました。。ここ10年ぐらいはカラヤンVPOばかり聞いていたかな。。ちょうど30年前の、カラヤン最晩年の演奏で、結構じっくりやっています。シャイ―の演奏はあっさりはしていないが、もう少し若い感じ。録音と演奏等の兼ね合いを考えるに、これが一番バランスいいかも、という予感はあります。まだ1度しか聞いていないのであれですが。。

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ジャズ2枚

2019年03月23日 | 音楽

本屋もレコード屋も経営的には厳しい時代になった。旧宅の近くでは、地元駅前の本屋はもう10年以上前に撤退、前後数駅の繁華街にあった本屋も次々となくなり、今年初めには最後に残った隣の駅の本屋が店を閉めたらしい。

幸い現宅の近くにはまだ駅ビルやモールなどに本屋がいくつかある。なるべくそうした店で買うようにはしているが、かさばる紙の本を買うのは気が進まなかったり、ネットで注文することが多いことも事実だ。

レコード屋は都心の大型店もほとんどなくなった。これも、近所の大型モールにはそこそこの規模のものが残っている(というか、4年前にできた)。機会があればその店で買ってみたいと思っていたが、探し見てると欲しいものがあまりない。先月ジャズを買ってみるかと思い、ようやくその店で買うことができた。

とはいえ、何かジャズを、という気持ちで探したので、選ぶのは結構難儀した。。

『へヴィー・ウェザー』は硬軟2枚(というか、聞きやすいか歯ごたえがあるか)で選んだうちの軟のほうだが、もちろんこちらも聞きごたえ十分です。

1977年のリリースなので、時代的にはほぼリアルタイムで聞けたかもしれないが、そのころは洋楽ロックがせいぜいでこのアルバムのことは知らなかった。ので、後学習となる。77年て、自分のジャズの感じでいうと新しい感じがしますけどね。しょうじき、50年代、60年代の全盛期のジャズは、嫌いではないが聞くのにちょっと覚悟がいるが、この時代の曲はわりとすっと入れる。

若いころ住んでいた街に、将棋みたいな名前の餃子屋があった(回りくどすぎるか。。)太ったあんちゃんが一人、または弟子とやっていて、10人もすればいっぱいになるような小さな店だった。結構面白いというか、自動ドアが壊れて手動と書いてあったり、テレビも前はあったのが壊れてそのままになっていたりと、妙に味のあるみせだった。。それはともかく。

このあんちゃんは、調理の合間に客、または弟子とよくおしゃべりをするのが好きだった。僕が聞き手になることは全くなかったが、店が狭いから良く聞こえる。ちょっとテレビドラマか何かに出てくるような人だった。

そのひとがあるとき、マイルスの話をしていた。このアルバム(『ビッチェス・ブリュー』、1969年)は高校生の頃に出たそうで、「ビートルズが出てきて、すげえな、毎年どんどんすごくなっていく。ジャズもどんどん進化して、このアルバムが出たとき、こりゃすげえ、今がこれだけすごいんなら、この先いったいどうなるんだろう・・と思っていたら何のことはない、あれが一番すごいときだったんだね。。」

こういう話はとても興味深いですね。リアル・タイムでビートルズとかマイルスとか聞いていたら、いったいどういう思いをするのだろうというのは。生憎最近の音楽家でそういう体験ができる人って、思い浮かばないです。

今聞くと、新しいタイプのアプローチであることはわかるが、たぶん昔からよくFMなどで聞くともなしに聞いていたのだろう、それほど抵抗感は感じない。

というわけで、こちらもなかなか結構でございました。。

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