去年(2012年)も、あの日に自分がたどった道をたどってみた。
今年もあの日を思い出すため、少し歩いてみた。今回は、前回いけなかった、親戚の家までの道のりだ。
人々が列をなしていた橋。まだ工事中らしいが、今はそれなりの幅の人道が確保されている。
2年前は工事で、車と接触しそうなほど狭い道を歩かなければならなかった。車は渋滞で動いていなかったが、怖かった印象は残っている。
タクシープール。今はそれほど利用者はいない。
2年前。タクシーは来てはいたが、道路の渋滞も酷く、列の後ろで待つのは非現実的だった。
ただ、この写真だけ見ても、ごく普通の週末風景のようにも見えてしまう。まだ、看板や街の明かりは普通についていたのだ。
親戚の家に向かっていたので、自分たちは食事を気にすることは無かったが、営業しているのか気になって、入り口の張り紙を見た記憶がある。たしか品切れのような状態になっていたと思う。
途中、ビルのガラスが酷く割れてしまったところなどもあったが、この先、当日は写真を撮っていない。歩くのに夢中だったのと、昼間つながらなかった会社の子(当日休暇だった)から電話が来て、歩きながらずっと話していたのだ。話し始めるとお互い、話すのを止めることができなくなってしまった。最後は携帯の電池が切れてしまい、会話を中断せざるを得なかった。
公園のようなところで、歩き疲れた父を休ませながら話していた。
その頃使っていた携帯。前日の夜、スマホを買おうかと量販店に行き、話を聞いたのだが、説明がややこしそうだったのであきらめて帰ってきた。地震の直後、オフィスの電話も使ったが、家族や休暇中の会社の子などには、この携帯から何度もかけていた。この頃電話の電池は2日に1回くらい充電すればよかった。もし前日にスマホにしていたら、もっとはやく通話できなくなっていただろうし、使い方がわからずに往生していたに違いない。
街を歩いていると、今日は幸いにもごく普通の1日であったようで、人々は声高に同僚となにやら話しながら、飲み屋の扉を開け、若いサラリーマンはオフィスの扉を施錠してほっとした顔をし、白いコートを着た女性はあくびをしながらコンビニの前で、旦那の買い物を待っている。
とりあえずは、このつかの間の幸せを噛みしめたい。