岡部伸 新潮選書 2012
これは太平洋戦争末期、軍首脳がソ連参戦の情報を入手しながら、それを握りつぶした、ということがテーマだが、本書刊行の頃、NHKでも同じような内容の特集を組んでいて、それをこのブログでも取り上げている。
NHKのほうはこちら
手元に番組のビデオがないので、本書との関連はわからないが、本書も番組も英国公文書館で未発見資料を入手したとしている。
番組の話はこの辺で失礼して、本書ではさらに、陸軍情報士官・小野寺信の生涯を追いながら、終戦当時の事情に迫ることを試みている。
本書は第22回山本七平賞を受賞した。
著者は産経新聞の編集委員(2014年当時)とのことだが、本書の構成も学者さんの書いた論文的なものとは異なり、読み物的に楽しめる半面、ちょっとジャーナリズム的な臭さも感じないではない。とはいえ、取材は非常に周到に行われていることが伺われる。小野寺信氏がご家族の取材に答えた録音テープ(1978年録音)の引用はとても貴重で面白い。
敗戦直前の日本陸軍首脳部、政府首脳部が奇妙に思えるほどソ連に傾いていたこと、への言及は非常に印象深い。木戸内大臣や迫水内閣書記官長も、かなりソ連に期待をしていたようだし、哲学者西田幾多郎も、政府首脳を前に、アメリカ資本主義よりはソ連共産主義的なやり方が、将来の主流になるだろうと言及していたそうだ。ドイツ(帝国)のやり方もソ連と大差ないと。
ソビエトの宗教に対する寛容さを想えば、皇室と共産主義も共存できる、という見方すらあったという。言われてみれば、英米を鬼畜として戦うなら、中立条約を結んでいたソ連にはそれなりの評価が出てくるのも無理もない気がしてくる。
こんにちの自分たちには見えなくなっているが、戦前から戦後しばらくの間、共産主義にはそれなりの肯定的な評価もあったのだろう。50年代に入ってアメリカが疫病のごとく共産主義を嫌うようになるのは、それだけ共産主義思想に力があったからであり、以後40年間かけて対立し続けていた。
確かに今見るとあれは圧政そのものだったが、初期にはそれなりの求心力もあったのだろう。
変な余談だが、平成の30年間はソ連と共産主義の崩壊した、緊張感の抜けた30年(その間にアメリカはアラブを敵に回したが、それはともかく)であったわけで、ほかの人はともかく僕などは、そういう東西対立の緊張感をすっかり忘れてしまった。
いまの若い人ははじめから知らない。大人たちもあまり話題にしない。
だから、もっと昔の世界の雰囲気は、僕らもわからない。
握りつぶしたのは軍参謀本部だが、こういう都合の悪いことは見なかったことにするというのは、今日の日本でも引き継がれている悪癖で、なかなかならないもののようだ。人と人のつながり方が悪いんでしょうかね。。
もう一つ印象深いのは、当時の国際情勢というか、西欧社会の世界観のようなもの。英国と欧州主要国、新興のアメリカ、ソ連が圧倒的な力を持ち、小国であるポーランド(二次大戦前)、ラトビア(同)などは今よりもずっと発言力が小さかった。ましてや東洋の非白人国である日本など、表面的にはともかく、激しい利害の対立する外交、諜報戦の場では、今では考えられないぐらい低い扱われ方をしていたことだろう。
小野寺信はそうした中、欧州小国のインテリジェンスとの交流を深め、高い信頼を得ていく。ヤルタ密約の情報をもたらしたのも、ポーランドのインテリジェンスだった(当時ポーランドは連合国側)。
角度は多少異なるが、当時の日本軍首脳や政府の間には、枢軸国であるドイツに不信感が強かった(という岡部氏の見解)というのも面白い。ヒトラーやドイツ帝国に心酔してしまったような軍人、外交官等もる一方で、政府、軍首脳部は比較的冷静だったようだ。
史実ではドイツは英米、ソ連双方に同時に敗戦しているが、どちらか一方、特に英米と停戦する可能性もあったわけだ。相互不可侵といいながら突然ソ連侵攻を始めた前科がドイツにはあった。
終戦工作にスウェーデン王室、英国王室が日本皇室に働きかけるという提案もあったらしい。実現はしなかったが、それだけ戦争を終結させるというのは難しいということなのだろう。
というわけで、ちょっと感想のまとまり悪いですが興味深い本でありました。