乱鳥の書きなぐり

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『狐猿随筆』  柳田國男  岩波書店(2011/03発売) /バッハ Bach: 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長/

2024-09-26 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

バッハ Bach: 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 Cello Suite No. 1 BWV1007/パブロ・カザルス Pablo Casals 1938/レコード/高音質

 

『狐猿随筆』  柳田國男  岩波書店(2011/03発売)

259p

 

 

松島の狐 36頁

早稲酒や稲荷(とうか)呼び出す姥がもと

(『焦尾琴(しょうびんきん)』)

 

狐の飛脚(80頁)

狐のすしは七桶ながら

八桶に足らぬとて狐狩するよ

 

狐を喰ったらうまかった

まんだ歯ぐきに挟まってる

 

坂川彦左衛門(85-86)

寺沢別当、ばか別当

ひっぱり炙りの大名人

ゴクワン、ゴクワン

 

坂川彦左衛門(86)

新井田のしょっぱこ爺やい

 

坂川彦左衛門(87)

長右衛門のけつ炙り

長右衛門のけつあぶり

 

 久しぶりに、柳田國男氏の書物を読む。

 割合に気楽に書かれている本書には、遊び歌(?)が多く収められている。

 著者は思い出したように書かれている部分もあり、

【関西にもあったが、思い出せない】

などと記されており、本書もまた、柳田氏の一面がうかがえる感じがたまらなく魅力的であった。

 

 

 

内容(データーベース)

 はなれ猿に送り狼、狐の飛脚、化ける猫―動物たちは人間の生活と感情のなかでどのような位置を占めてきたのか。

 物語・伝承・記録を織り交ぜながら、飼い犬の挙動や庭のどら猫一族まで、「小さな真実」をめぐる考察は自由に架橋する。

 

 目次(データーベース)

 猿の皮  松島の狐 狐飛脚の話  坂川彦左衛門  サン・セバスチャン  対州の猪 猫の島  どら猫観察記  旅二題  モリの実験  狼のゆくえ  狼史雑話

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ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms 5 / Hungarian Dance

2024-09-26 | クラッシック音楽

Brahms:Hungarian Dance No.1 [Daniel Barenboim]

 

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms 5 Hungarian Dance

 

 

 ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms 

 生誕 1833年5月7日

 出身地 ハンブルク( ドイツ連邦)

 死没 1897年4月3日(63歳没)

 オーストリア=ハンガリー帝国

 ウィーン ジャンル

 ロマン派音楽

 1843年 - 1897年

 

 しかし彼は決心を守ることが出来なかった。

 1891年にクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏に触発されて創作意欲を取り戻したブラームスは、

  『クラリネット三重奏曲 イ短調』(作品114)、

  『クラリネット五重奏曲 ロ短調』(作品115、1891年)、

  2つの『クラリネットソナタ(ヴィオラソナタ)』(作品120、1894年)を書き上げた。

 そして

  『7つの幻想曲』(作品116、1891年)から

  『4つの小品』(作品119、1892年)までの4つのピアノ小品集、

  『4つの厳粛な歌』(作品121、1896年)

などの傑作を生み出した。

 

 これらの作品は、晩年の寂寥と宗教的境地に満ちていると評されている・

 

 また、1890年ごろには琴の演奏も聞いており、当時出版された日本の民謡集の楽譜に書き込みが残されている。

 

 1896年5月20日に生涯親交を保ち続けたクララ・シューマンが死去したのちブラームスの体調も急速に悪化していき、翌1897年4月3日、肝臓癌によりウィーンで逝去した。

 

 63歳没。

 

 1897年4月6日、ウィーン市の中心部ドロテーア通りにある、ルター派のオーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派のルター派シュタット教会で葬儀が行われた。

 遺体はウィーン中央墓地に埋葬された。

 

 ハンブルクの生家は長く残っていたが、1943年7月のハンブルク空襲で焼失し、現在は記念碑がある。

 

  ブラームスに対する影響 大部分のロマン派の作曲家と同様、ブラームスは自身の『交響曲第1番』に見られるようにベートーヴェンを崇拝していた。  

 また古典派の作曲家モーツァルトとハイドンも敬愛していた。

 

 彼らの作品の第一版と自筆稿(特に有名なのがハイドンの『太陽四重奏曲』、モーツァルトの『交響曲第40番』)を集め、そのうえ演奏用の版を編集した。

 

 古典派への愛着はジャンルの選択においても現れている。

 彼の手によるソナタ、交響曲と協奏曲では古典的な形式を採用し、ソナタ形式の楽章を作曲した。

 特に、管弦楽曲では中重低音域の楽器を偏重し、変奏曲などの複雑な手法を用いたため晦渋と評されることも多い。

 

 一般にブラームスはロマン派の作曲家の中で最も古典派に近いと考えられており、「新古典派」と呼ばれることもある。

 

  さらにはそれ以前のバロック音楽にも多大な関心を払っていた。

 とりわけヨハン・ゼバスティアン・バッハに心酔しており、当時刊行中だったバッハ作品の全集を購読して熱心に研究した。

 

 その成果として最も有名なものが

  『交響曲第4番 ホ短調』

の終楽章に置かれた「パッサカリア」で、そのテーマはバッハのカンタータ第150番の主題を応用したものである。

 

 また、バッハ研究家フィリップ・シュピッタ(ドイツ語版)とも親交が深かった。

 

 また、

   歌曲『逆らえないもの』(作品72-5、ゲーテ作詞)

では、冒頭のピアノパートにドメニコ・スカルラッティの『ソナタ ニ長調 K. 223』を引用している。  

 

 全く異なる影響は 民族音楽だった。ピアノと声楽のためにドイツ民謡による144曲の歌曲を書いており、また彼のオリジナルの歌曲も多くは民族的な主題を反映するか、地方の生活場面を表現したものである。

 

 また、『ハンガリー舞曲集』で分かるように、レメーニから教わったジプシー音楽(当時はハンガリーの民俗音楽だと思われていた)の影響も受け、『ピアノ四重奏曲第1番 ト短調』(作品25)などにその語法を取り込んでいる。

(Wikipedia)

 

誰しもが聴いたことがあるであろう、ブラームス/ハンガリー舞曲 第5番 Brahms: Hungarian Dance No.5

シュメリングとは『ハンガリー舞曲集』を編曲した人

 

 
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