乱鳥の書きなぐり

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小型二輪で、伊賀上野城に行く。(88km)日本一、二といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣

2024-10-14 | 110㏄でお出かけ
 小型二輪で、伊賀上野城に行く。(88km)日本一、二といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣
 
 
 
 
 110㏄に乗って、伊賀上野に行く。
 
 城には忍者になり切った子供たちが多くいて、かわいらしかった。
 
 日本一、二といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣があることは、ブログでお知り合いになったとても親切なご婦人や 家族から聞いて知っていたので、石垣を見るのは今回の楽しみの一つだった。(あと一つは、伊賀牛^^)
 
 品のある城と長い石垣と、青色に染まった秋色の連なるなだらかであり、それは見事な山並み。
 
 伊賀ファンの家族が、月に何度かドライブに行く意味を感じてとれた^^
 
 
 
 
 
 
 
 上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にある日本の城(平山城)。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。  
 
 
概要  
俳聖殿 
 伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。
 北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。 
 
 
  かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。
 
 
 織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。
 
 
 その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。  
 
 
 昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。
 
 城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿および芭蕉翁記念館や伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。
 
 
 長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に手当蔵(武器庫)が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。
 
 現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
 
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小型二輪で信号待ちをしていたら、メーターが100kmをさした。

2024-10-14 | 110㏄でお出かけ

小型二輪で信号待ちをしていたら、メーターが100kmをさした。

ただそれだけ

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