1 をかし、田村と云 能ありけり、
2 その時の大夫、高安といふ、
3 天王寺にて、三日しける (四天王寺)
4 人/″\、提(サケ)食籠、提重箱
上で、三日続く能楽鑑賞の中で、(あくまでもお話だが)飲み食いしながら能、狂言を楽しんだことがわかる。
5 堂のまへに立てたれハ、山もさくらに堂の前にひかり出たるやうになむ、みへける、(春)
6 祝言のをハる程に、歌読む人/″\を招き集て、
「けふの御能を題二てあ春の心ばえある歌たてまつらし給へ、」と云った。
上で、三日続く能楽鑑賞の中で、(あくまでもお話だが)和歌などを詠んで楽しんだことがわかる。
7 右の馬の大夫なりける翁、目ハたかりながら、よみける、
山婆の をハりて後の狂言ハ
腹しつきれて わらふなるへし
上の歌で、江戸時代は狂言も大笑いしても良かったらしい。
今も狂言を見て笑うが、笑わぬを良しという人も多い。(笑)
理由は、ここではあえて割愛させていただきます。
大夫、高安
大原高安
大原 高安(おおはら の たかやす)は、奈良時代の皇族・貴族・歌人。
当初高安王を称するが、大原真人姓を与えられ臣籍降下した。
敏達天皇の孫である百済王の後裔。
筑紫大宰率・河内王の子。
官位は正四位下・衛門督。
『仁勢物語』 77
◯をかし、田村と云 能ありけり、その時の大夫、高安と
いふ、今もありけり、それを呼て、天王寺にて、三日しける、
人/″\、提(サケ)食籠もてきたる、もてきあつめたる、くひ
物、千ゝハかりあり、そこばくの提重箱を木の枝に付て
堂のまへに立てたれハ、山もさくらに堂の前にひかり出たる
やうになむ、みへける、それを「謡衆にありける藤市の
何ゆきか」とか申すゐたり、祝言のをハる程に、歌読む人
/″\を招き集て、「けふの御能を題二てあ云(ママ)の心
ハヘある歌たてまつらし給へ、」と云、右の馬の大夫
なりける翁、目ハたかりながら、よみける、
山婆の をハりて後の狂言ハ
腹しつきれて わらふなるへし
とよみけるを、今見れハ、よるもあらさりける、その
かみとこれやまさりけん、をかしかりける、
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