「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「楽になる」とは。

2007-02-05 | ●介護録(~2015.2月)
〈介護のために夫婦別居中。奥様は実母を看ていて、月に一回、二回旦那と舅の暮らす家まで行き遠距離介護。もう一人GHに入っている姑もいる。〉

こーんな介護をしているのに、その長距離移動介護さえも達成感があるとおっしゃる介護者がいた。前向きに介護生活を送っている。

ホントに???マジで???…と、思わず、「達成感なんてウソでしょ」と新聞投書記事に向かってつっこみを入れる。

「一年前は大変だった」ということだから、サービスを使い出して被介護者も安定し、自分たちの介護の形というものが整ったところなのかもれしない。
だから、楽になったと言えるのだろう。

イジワルな私は、一年後、二年後、同じ想いでいられる?と思う。
多分、別居介護という生活形態に疲れてくるだろう。遠距離介護もキツクなるだろう。被介護者は90前後の高齢者なので身体的介護が増してくるかもしれない。60前後のご夫婦だから、老老介護まっしぐらだ。

介護って、結局、以前に比べたら「楽」……という話でしかない。
確かに私も、初めて母がデイに行った日、一人で街を歩いた時に羽根が生えたような開放感を味わったもの。ホントに幸せだった。
ところが、ソレになれてしまうと、四時半なんてあっという間だ…なんて思う。幸せ気分も忘れてしまう。

「以前に比べて楽」だけど完全に「楽」にはならない。そしてもっと、もっと、もっと楽になりたいと思う。人間は欲深い生き物ナノダ。

完全に楽になるのは介護が終わるとき。それはつまり死別。フクザツだ。