「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「洗濯」から振り返る認知症の進行

2007-08-09 | ●介護録(~2015.2月)
我が家の洗濯機はドラム式

母が洗濯をしなくなり、アヤシサがましていた頃、全面的に私の役目になったことで、「楽しよう」と、とりあえず二層式だった洗濯機(もう10年以上使ってるし)を全自動にしようとお店にいったらば、世はドラム式へ移行の時期。
予定外だったけどドラム式を購入。

今や母の中に「洗濯」の二文字はない。
でも、おそらく聞けば「昨日洗濯したのよ」なんてことは当たり前のように言うだろう。

突然洗濯をしなくなったのではない。
だんだんと回数が減り…やがて…という感じ。
それは着替えも同じで、少しずつ着替えがおろそかになり、やがてほっておいたらずっーと着替えない…という感じになった。

テレビでえらい先生が「着替えなくても死なない」といっていた。それくらいの鈍感さで介護しなさいということだ。
理屈はとてもよく分かるけど、人間、なかなかそうはいかない。
目の前で「あっ、この服ずっと着てる」と思ってしまうと気になる。
面と向かって「あなたのお母さん、毎日同じ服ね」なんて言う人はいないんだけど。

その頃の私は着替えに手が出せなかったので(嫌がるので)、母が着替えたタイミングで、脱いだものをサッと隠したり、翌朝のために新しい服をこっそりセットしなくてはならなかった。
洗濯も同じだ。
母に気づかれないように洗濯して干して片づけなくてはならなかった。その意味でも乾燥の出来る洗濯機は必需品になった。

思えば、その頃は、掃除も布団敷きも、全て母の目の付かないところでしなくはならなくて、「コソコソ介護」なんて記事を書いたこともあったっけ。

あの頃より進行した今の母は、着替えもこちらのコントロールがきくようになっているし、私が洗濯していても掃除をしていても、「私がやるからやめて」等とは言わない。
ただ、自分も何か手伝わなくてはならない…という思いは消えていないので、母に合わせながら家事をするのは労力が必要で、結果的に母のいないときに済ませるというパターンは変わらないのだけど。

認知症は進行すると「御しやすい」けれど、生活全般に目配りの必要な部分が増え「普通の生活が困難」になっていく。

以前の母は外に出かけても長く話さない限り普通の人に見えたけど、最近は、行動がアヤシイので正体は二分もするとバレる(?!)
「お出かけするよ~」の一言で連れ出すのは簡単になったけど、その後はなにかと手がかかるのだ。

だけど、やがて、このあやしい行動も出来ないくらいに進行し、「そういう部分で手は掛からないけど、コミュニケーションの出来ない母」に、「手がかかるけど話も出来るアヤシイ行動をしていた頃の母」を懐かしく思うのでしょうか……。