「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

昨夜の結末

2007-08-29 | ●介護録(~2015.2月)
母は元気だ…これしか言いようがない

自力でも捜せと言われたので律儀にそれを遂行。近くのスーパーなどを探し回ったので、足は痛いし、腰は痛いし…。(走ったしな~)
今日はめでたく筋肉痛
(なんでめでたいかといえば、筋肉痛が翌日出たから)

母が保護されたのは家から徒歩10分程度のスーパー。
私はここも見に行った。でもいなかった。
保護されたのはいなくなってから約二時間半後。その間ずっとこのスーパーにいたわけではないだろう。

とにかく、急いで店に直行。すでに警官もいた。

母は、迷子になった自覚はないので、凹むでもなく、不安がるでもなく、悲しがるでもなく、いたって元気

私を見るなり言った言葉は

「なにやってたの!」だ。そして
「あなたがノソノソしているから他人様に迷惑を掛ける」とかなんとか続く…

私は、初体験パトカーの中で「ダレのせいだよ!」と小さくつぶやいた。母のテンションは高いままオシャベリは続いていた。

いつものことだけど警官には愛想良く「助かりました」とご丁寧な挨拶が続く。
もちろん迷子になって保護されたから「助かった」のではなくて、車で送って貰ったことに「助かりました」ということらしい。

「書類にサイン」がなくてラクだった。あの手続きは不要になったのかしら?
これまでは必ず「間違いなく引き取った」っていうような書類に住所と名前を書かされ、押印し、さらに前回は、本籍地まで聞かれたんだけど?

ところで、警官に促されながら店を出る私たちって、万引きか何かに思われたのでははないかと…客の視線にそんな被害妄想が…

とにかく、もう、イヤ