県議会議員選挙が終わりましたが、私にはゆっくりしている時間はありません。全く手をつけていない2日後の引越し準備をしながら、これまでお世話になった方々、これからお世話になる方々に報告&挨拶するため、電話やメールに向かって1日を過ごしています。
春ですね…!
今年はもっぱら街宣カーの窓から春の訪れを感じていました。新しい生命が芽吹く季節。瑞々しい緑、色とりどりの花が、日々風景を明るく染めていく様子に、心を動かされていました。
その中でも桜は私にとって特別な花です。その想いは、14年前の今日、決定的になりました。
カンボジアで国連ボランティアとして共に活動した中田厚仁さんが射殺されたのは、1993年4月8日のことでした。酷暑のカンボジアに桜はありませんでしたが、悲報を聞いた中田さんの家族は桜の一枝を持ってプノンペンにやって来ました。厚仁さんが生まれた時に庭に植えた桜の一枝だったそうです。
親おもう 心にまさる 親心 けふの音づれ いかに聞くらん
これは、吉田松陰が刑死した時、親より早く逝く不孝を詫び、親の嘆きを思って詠んだ句と言われています。自ら志願して赴いたカンボジアで若い命を散らした最愛の息子。その知らせを聞いたご両親の思いはいかばかりだったことでしょうか…。
しかし、告別式における中田さんのお父さん-中田武仁氏のスピーチは、本当に見事なものでした。25年の人生最後の瞬間まで信念に基づいた行動を全うした息子への愛と、仲間への尊敬にあふれたスピーチ。「彼の死を無駄にするかしないかは、私たちひとりひとりの今後の行動に懸かっているんだ!」国連が一国の代わりに行う平和維持活動。史上初の試みに参加するため世界各国から集まってきた仲間に同じ思いを共有させたのは、温かく毅然としたこのスピーチだったと思います。
1995年10月1日。私自身もカンボジアで武装集団に襲撃されたことがあります。カンボジアでの選挙の実施に関わった一人として、3年後のカンボジアをレポートする番組「新生カンボジア・3年目の現実」を取材した直後のことでした。
命の終焉を覚悟した恐怖。一瞬の後に実感した生きる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。それが理不尽な戦争で奪われることがあるとすれば、何と悲しいことでしょう。
身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命、方向性を明確にしてくれました。戦争を知らない世代の目で戦争の悲惨さを伝え、紛争解決、平和構築に寄与すること-私の活動の原点は、全てそこにあります
「僕の夢は世界を平和にすることなんです」ルームメートだった中田さんは、幼い頃ポーランドで見たアウシュビッツの記憶と共に、彼を駆り立てた思いを話してくれました。彼は命を失った代わりに平和構築活動や国際ボランティア活動に光を当て、間違いなく日本人の価値観にも変化をもたらしました。中田厚仁さんが渡してくれたバトンをしっかり繋ぐ責任。多くの人々と共に果たしていきたいと思っています。
政治の最大の目的は平和と安心をつくること。私には再び機会が与えられました。今年も桜を見れた喜びを感じながら、自らの使命を果たす決意を新たにしています。
写真:1992年、任地コンポントム州に向かう中田厚仁さんと握手する私
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
春ですね…!
今年はもっぱら街宣カーの窓から春の訪れを感じていました。新しい生命が芽吹く季節。瑞々しい緑、色とりどりの花が、日々風景を明るく染めていく様子に、心を動かされていました。
その中でも桜は私にとって特別な花です。その想いは、14年前の今日、決定的になりました。
カンボジアで国連ボランティアとして共に活動した中田厚仁さんが射殺されたのは、1993年4月8日のことでした。酷暑のカンボジアに桜はありませんでしたが、悲報を聞いた中田さんの家族は桜の一枝を持ってプノンペンにやって来ました。厚仁さんが生まれた時に庭に植えた桜の一枝だったそうです。
親おもう 心にまさる 親心 けふの音づれ いかに聞くらん
これは、吉田松陰が刑死した時、親より早く逝く不孝を詫び、親の嘆きを思って詠んだ句と言われています。自ら志願して赴いたカンボジアで若い命を散らした最愛の息子。その知らせを聞いたご両親の思いはいかばかりだったことでしょうか…。
しかし、告別式における中田さんのお父さん-中田武仁氏のスピーチは、本当に見事なものでした。25年の人生最後の瞬間まで信念に基づいた行動を全うした息子への愛と、仲間への尊敬にあふれたスピーチ。「彼の死を無駄にするかしないかは、私たちひとりひとりの今後の行動に懸かっているんだ!」国連が一国の代わりに行う平和維持活動。史上初の試みに参加するため世界各国から集まってきた仲間に同じ思いを共有させたのは、温かく毅然としたこのスピーチだったと思います。
1995年10月1日。私自身もカンボジアで武装集団に襲撃されたことがあります。カンボジアでの選挙の実施に関わった一人として、3年後のカンボジアをレポートする番組「新生カンボジア・3年目の現実」を取材した直後のことでした。
命の終焉を覚悟した恐怖。一瞬の後に実感した生きる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。それが理不尽な戦争で奪われることがあるとすれば、何と悲しいことでしょう。
身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命、方向性を明確にしてくれました。戦争を知らない世代の目で戦争の悲惨さを伝え、紛争解決、平和構築に寄与すること-私の活動の原点は、全てそこにあります
「僕の夢は世界を平和にすることなんです」ルームメートだった中田さんは、幼い頃ポーランドで見たアウシュビッツの記憶と共に、彼を駆り立てた思いを話してくれました。彼は命を失った代わりに平和構築活動や国際ボランティア活動に光を当て、間違いなく日本人の価値観にも変化をもたらしました。中田厚仁さんが渡してくれたバトンをしっかり繋ぐ責任。多くの人々と共に果たしていきたいと思っています。
政治の最大の目的は平和と安心をつくること。私には再び機会が与えられました。今年も桜を見れた喜びを感じながら、自らの使命を果たす決意を新たにしています。
写真:1992年、任地コンポントム州に向かう中田厚仁さんと握手する私
さかぐち直人政治活動ホームページ
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