阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

ラグビー元日本代表監督日比野弘先生の思い出

2021年11月16日 08時23分22秒 | スポーツ
ラグビー日本代表監督、そして早稲田大学監督を務めた名将・日比野弘氏が逝去されました。

大学3年生の時、日比野先生のラグビーの授業を受けたことがあります。最初の授業の時、「最後の授業までに皆さんの名前を覚えます」と約束し、実際に最後の授業では大きな輪を作った学生の名前を順に呼んでいきました。私のクラスでは全員の名前をスラスラと言われて驚きました。クラスは40人ほどで、6クラスぐらいは担当されていましたが、他のクラスでも同様だったそうです。有名な先生に名前を覚えてもらいたい一心で私は熱心に出席していましたが、出席しなくても優がもらえる『ド楽勝』と言われていた授業でしたので、最初と最後の授業しか出てこない学生もいたようです。それでも全員の名前を正解された先生への尊敬の気持ちがますます強くなりました。

雨の日はラグビーの歴史やノーサイドの精神について、様々なエピソードを交えての授業でした。当時のラグビー界はアマチュアリズムを大切にしていて、テレビ解説をしても、本を書いても一切報酬はもらわなかったこと、ラグビーが世界大会を開催しなかったのは、まず優先すべきは勉強や仕事であり、世界大会の実施はラガーマンの生活がラグビー至上主義、勝利至上主義になってしまう可能性があり、それはラグビー精神に反していること、そして、ガッツポーズをしないのは、他の選手が自分を犠牲にしてボールをつないだ結果のトライであり、トライを挙げた選手だけの手柄ではないからなど、ラグビー精神についてのお話を沢山伺いました。秩父宮ラグビー場には昔はお風呂がひとつしかなく、それは、敵味方が一緒に入り、部歌を歌って健闘を称え合うまでがラグビーの試合であること、絶対に審判に抗議はしないこと、どんな天候でも絶対に試合をすることなど、とても興味深いお話を沢山伺いました。

私は当時も『走るさかぐち』。授業中に行われた試合ではトライを量産していて「阪口君、ナイストライ!」などとよく声をかけて頂きました。ところが、レポートの提出を忘れ、日比野先生から家に電話がありました。恐縮する私に「私の授業をわざと落としてもう一年受講してくれるのかと思ってね」と、ユーモアたっぷりの声、今でも脳裏に焼き付いています。心からご冥福をお祈りいたします。



写真はサンケイスポーツより引用致しました。グランドでの日比野先生の姿をとても良く映しています。


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