5日目の続きです。
昼食をとった後、法門寺の出入り口付近にたむろっているタクシーの運ちゃんたちに「周原遺址、もしくは周原博物館に行きたい」と言ってみましたが、「聞いたことない」とか「周公廟のことじゃないの?」という返事が…… 「いや、周公廟とは別の場所なんだ!」と粘ってみましたが、こちらも「周原遺址は法門寺の北にある」としか把握しておらず、手持ちのガイドや現地で入手した地図にも周原遺址の場所が記されていないので、諦めて周公廟に行ってもらことに。ああ……
長春に戻ってから留学生仲間にこの話をしたら、「そう!彼らは遺跡の場所なんか知りもしないのよ。だから現地の考古研究所に事前に電話しておいて案内してもらうといいよ。」とか「僕が行った時は『中国文物地図集 陝西巻』のコピーを持って行った。で、法門寺からマイクロバスで岐山県まで出て、そこからタクシーの運ちゃんにその地図を見せて連れて行ってもらった。」という返答が…… そういうことは旅行に行く前に言ってください(;´д⊂)
とにもかくにも周公廟に到着。
ここは周公旦を祀った所ですが、2004年頃からこの近辺で「周公」の名を記した甲骨や城壁跡・墓地などが発見されたことから、本当に周公ゆかりの地だったのではないかということで一躍注目されるようになりました。(ただし、現在はここが周の王都、もしくは周王の墓地であるとする説も有力。)例によって建物の装飾などがあんまり古い感じがしないので、周公廟遺跡の発見後に観光地として整備されたのかもしれません。ここでは他に召公・太公なども祀られていますが、境内の一角にこんなものが……
まさかの哪吒太子廟を発見(^^;) 周初関係の名所には付き物ということなんでしょうか。
下の写真は周公廟近辺の風景。西安とか宝鶏近辺は山がちで、こういう「塬」と呼ばれる台地状の地形が広がっています。周原や岐山県の南に位置する五丈原の「原」も実はこの「塬」のこと。
ここでタクシーの運ちゃんが「西安から来たのなら、法門寺からの運賃と合わせて400元で西安まで行ってやるけどどうだい?」と持ちかけてくる。法門寺からの帰りの遊バスは出発が夕方5時ということだし、そんなに待ってられないということでこの話に乗ってみることに。ただ、西安に素戻りするのもナンなので、途中で茂陵に寄ってもらうことにしました。タクシーの運ちゃんは「実は俺、茂陵の近くに住んでいるんだ。だからそのあたりの道はよく知っているのさ!」と砂利道やらデコボコ道、更に先日の雨で出来たぬかるみなんかを物ともせずに突き進み、茂陵へと到着。
茂陵は漢の武帝の陵墓ですが、その陪葬墓である霍去病の墓が現在「茂陵博物館」として整備されています。霍去病の陵墓と言えば何と言ってもこれ、「馬に踏みつぶされる匈奴像」です。
ここではこういう石刻や、その他漢代の文物が展示されています。しかし武帝絡みの名所となると、「我們既~然~~、曾経擁有~~ッ! 我的愛~~、就不想停~頓~~♪」と、ついついドラマ『漢武大帝』のEDテーマが頭の中で流れてきます(^^;)
茂陵を見た後は咸陽市を経由して(ここで水がタプタプの渭水を目撃。)西安へと戻ったわけですが、玉祥門にさしかかるあたりで運ちゃんが「実は俺、西安の街中についてはよく知らないんだ。だからここで別のタクシーに乗り換えてくれないか?」とか言い出します。な、なんだってーーーー!!ホントに得意・不得意の差が激しいよなあ。仕方が無いので言われるがままにタクシーを乗り換えます。で、乗り換え先のタクシーの運ちゃんに「法門寺から来たのかい?」と尋ねられ、(たぶん方向とタクシーのナンバーで分かったのでしょう。)「うん、そうなんです。でもあの運転手、西安の街中はよく分からないと言うんです。」と答えたら、「まあ、そうだろうねえ。」という返答が。どうやら観光地のタクシーは大体そんな感じのようです……
というわけで今回の旅行記はこれでおしまいです。周原のほか、武則天の陵墓乾陵や漢景帝の陽陵・阿房宮跡・鎬京遺址など見たいと思いつつ寄れなかった所も多いので、次の機会(また10年後ぐらいになるかもしれませんが……)には是非ここらへんを制覇したいですね。
昼食をとった後、法門寺の出入り口付近にたむろっているタクシーの運ちゃんたちに「周原遺址、もしくは周原博物館に行きたい」と言ってみましたが、「聞いたことない」とか「周公廟のことじゃないの?」という返事が…… 「いや、周公廟とは別の場所なんだ!」と粘ってみましたが、こちらも「周原遺址は法門寺の北にある」としか把握しておらず、手持ちのガイドや現地で入手した地図にも周原遺址の場所が記されていないので、諦めて周公廟に行ってもらことに。ああ……
長春に戻ってから留学生仲間にこの話をしたら、「そう!彼らは遺跡の場所なんか知りもしないのよ。だから現地の考古研究所に事前に電話しておいて案内してもらうといいよ。」とか「僕が行った時は『中国文物地図集 陝西巻』のコピーを持って行った。で、法門寺からマイクロバスで岐山県まで出て、そこからタクシーの運ちゃんにその地図を見せて連れて行ってもらった。」という返答が…… そういうことは旅行に行く前に言ってください(;´д⊂)
とにもかくにも周公廟に到着。
ここは周公旦を祀った所ですが、2004年頃からこの近辺で「周公」の名を記した甲骨や城壁跡・墓地などが発見されたことから、本当に周公ゆかりの地だったのではないかということで一躍注目されるようになりました。(ただし、現在はここが周の王都、もしくは周王の墓地であるとする説も有力。)例によって建物の装飾などがあんまり古い感じがしないので、周公廟遺跡の発見後に観光地として整備されたのかもしれません。ここでは他に召公・太公なども祀られていますが、境内の一角にこんなものが……
まさかの哪吒太子廟を発見(^^;) 周初関係の名所には付き物ということなんでしょうか。
下の写真は周公廟近辺の風景。西安とか宝鶏近辺は山がちで、こういう「塬」と呼ばれる台地状の地形が広がっています。周原や岐山県の南に位置する五丈原の「原」も実はこの「塬」のこと。
ここでタクシーの運ちゃんが「西安から来たのなら、法門寺からの運賃と合わせて400元で西安まで行ってやるけどどうだい?」と持ちかけてくる。法門寺からの帰りの遊バスは出発が夕方5時ということだし、そんなに待ってられないということでこの話に乗ってみることに。ただ、西安に素戻りするのもナンなので、途中で茂陵に寄ってもらうことにしました。タクシーの運ちゃんは「実は俺、茂陵の近くに住んでいるんだ。だからそのあたりの道はよく知っているのさ!」と砂利道やらデコボコ道、更に先日の雨で出来たぬかるみなんかを物ともせずに突き進み、茂陵へと到着。
茂陵は漢の武帝の陵墓ですが、その陪葬墓である霍去病の墓が現在「茂陵博物館」として整備されています。霍去病の陵墓と言えば何と言ってもこれ、「馬に踏みつぶされる匈奴像」です。
ここではこういう石刻や、その他漢代の文物が展示されています。しかし武帝絡みの名所となると、「我們既~然~~、曾経擁有~~ッ! 我的愛~~、就不想停~頓~~♪」と、ついついドラマ『漢武大帝』のEDテーマが頭の中で流れてきます(^^;)
茂陵を見た後は咸陽市を経由して(ここで水がタプタプの渭水を目撃。)西安へと戻ったわけですが、玉祥門にさしかかるあたりで運ちゃんが「実は俺、西安の街中についてはよく知らないんだ。だからここで別のタクシーに乗り換えてくれないか?」とか言い出します。な、なんだってーーーー!!ホントに得意・不得意の差が激しいよなあ。仕方が無いので言われるがままにタクシーを乗り換えます。で、乗り換え先のタクシーの運ちゃんに「法門寺から来たのかい?」と尋ねられ、(たぶん方向とタクシーのナンバーで分かったのでしょう。)「うん、そうなんです。でもあの運転手、西安の街中はよく分からないと言うんです。」と答えたら、「まあ、そうだろうねえ。」という返答が。どうやら観光地のタクシーは大体そんな感じのようです……
というわけで今回の旅行記はこれでおしまいです。周原のほか、武則天の陵墓乾陵や漢景帝の陽陵・阿房宮跡・鎬京遺址など見たいと思いつつ寄れなかった所も多いので、次の機会(また10年後ぐらいになるかもしれませんが……)には是非ここらへんを制覇したいですね。