清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)
切腹や囲者のルーツについて言及していたりと、氏家幹人『かたき討ち』の前段にあたる内容ですが、室町人のヒャッハー!ぶりを見てると、彼らは日本人の祖先と言うより『北斗の拳』の世界の人々の祖先と言った方がしっくりくるなあとしみじみ……
本書では室町人が『北斗の拳』の世界の住人から「我々」の祖先となっていく過程を論じているのですが、こういうのを見てると、内藤湖南の今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を研究すれば充分で、それ以前の歴史は外国の歴史のようなものだという言葉が思い出されます。現在とのつながりを意識させられるのが歴史の効用だとすれば、現在との断絶を意識させられるのも、これまた歴史の効用であるわけです。(ついでに言うと、私自身はつながりより断絶の方に惹かれがちなんですが……)
本書で印象に残った話。文安元年(1444年)5月のこと。京の都で山名氏の女中を乗せたお輿が行列を組んで進んで行くのを見て、子供たちが流行り歌をうたって囃し立てていたところ、行列のお伴の男が何を思ったか突然刀を振り回して8歳の子供を突き刺し、「文句があるヤツはかかってこい!」と怒鳴り散らします。
刺された子供は両親のいない孤児であったこともあり、誰も彼を助けようとしませんでしたが、その子は血まみれになりながらも通り過ぎていく行列を睨みつけ、「菖蒲で作ったおもちゃの刀でも身につけておれば、このような不覚は取らなかったものを……」と言い残して息絶えたとのこと。
この時代、子供ですら自分の身は自分で守るという「自力救済」の覚悟を持っていたという話なんですが、こういうのを見ると当時の日本がどんどん『北斗の拳』の世界に見えてくるわけですよ(´・ω・`)
切腹や囲者のルーツについて言及していたりと、氏家幹人『かたき討ち』の前段にあたる内容ですが、室町人のヒャッハー!ぶりを見てると、彼らは日本人の祖先と言うより『北斗の拳』の世界の人々の祖先と言った方がしっくりくるなあとしみじみ……
本書では室町人が『北斗の拳』の世界の住人から「我々」の祖先となっていく過程を論じているのですが、こういうのを見てると、内藤湖南の今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を研究すれば充分で、それ以前の歴史は外国の歴史のようなものだという言葉が思い出されます。現在とのつながりを意識させられるのが歴史の効用だとすれば、現在との断絶を意識させられるのも、これまた歴史の効用であるわけです。(ついでに言うと、私自身はつながりより断絶の方に惹かれがちなんですが……)
本書で印象に残った話。文安元年(1444年)5月のこと。京の都で山名氏の女中を乗せたお輿が行列を組んで進んで行くのを見て、子供たちが流行り歌をうたって囃し立てていたところ、行列のお伴の男が何を思ったか突然刀を振り回して8歳の子供を突き刺し、「文句があるヤツはかかってこい!」と怒鳴り散らします。
刺された子供は両親のいない孤児であったこともあり、誰も彼を助けようとしませんでしたが、その子は血まみれになりながらも通り過ぎていく行列を睨みつけ、「菖蒲で作ったおもちゃの刀でも身につけておれば、このような不覚は取らなかったものを……」と言い残して息絶えたとのこと。
この時代、子供ですら自分の身は自分で守るという「自力救済」の覚悟を持っていたという話なんですが、こういうのを見ると当時の日本がどんどん『北斗の拳』の世界に見えてくるわけですよ(´・ω・`)
>早くこの時代を大河ドラマで取り上げて欲しいところです。
『喧嘩両成敗の誕生』の著者も、この時代を舞台にした小説やドラマで本当に面白いと思った作品にはまだ出会えていないというようなことを書いてましたね。こういう人々の心性の違いをうまく物語化できたら面白い作品になるんでしょうけど……
応仁の乱とは少しズレますが、網野善彦も南北朝の動乱期が大きな転換点、という姿勢ですね。
『日本の歴史をよみなおす』の当該部を読んでいて、湖南の言葉を真っ先に思い出しました。
戦国や幕末はもういいので、早くこの時代を大河ドラマで取り上げて欲しいところです。一般受けが悪くなるのは容易に予想できますが…^^;