ここのスラッシュドットの記事
Wikipediaの将来は「包摂」or「削除」にしかないのだろうか?
http://slashdot.jp/it/08/03/12/0451245.shtml
(以下斜体は上記サイトより引用)
Wikipedia(ウィキペディア)の将来は「包摂」か「削除」かの狭間で揺れ動いているとエコノミストは論じている(本家の話題、包摂の意味、Wikipedia:削除の方針)。記事によると「包摂主義」はWikipediaが人類の持てる知識すべてを網羅するよう、まい進していくのを良しとし、厳しい編集基準を取り入れることは投稿意欲を鈍らせると懸念する。「削除主義」は信頼性ある情報源としての世評を高めていく為にも厳しい編集方針を持ち、取るに足らないエントリは削除し、掲載エントリを慎重に精選した方がWikipediaは成功すると主張する。Wikipediaの将来はこの「包摂」と「削除」との間の葛藤にあるとのこと。
評判制度を導入したらどうだろう?
その記事が正しいとか、よく書けていると思ったら、Web拍手のように、1票はいる。
だめーと思ったら、1票へらす。
そして、Wikipediaで検索するとき、評判0以上とか、10以上とか、見る人が選ぶようにする。
そうすれば、全体で見れば、評判の低いものも高いものもすべて含んでいるので、「包摂」している。でも、評判10とか、高い評判しか見ないように設定すれば、低い評判(=信頼性低いもの)は「削除」されたのと同様、みれなくなる。見たかったら、評判値を下げればいい。
評判を、記事でやるべきなのか、書いた人でやるべきなのか(その場合、評判5以上の筆者が最後に編集・監修している場合という聞き方になるんだろうな)はよくわかんないけど、記事ごとに評判を(Web拍手のような感じで)つけるなら、すぐにできそうな気が
。。するんだけど(^^;)