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YouTube: John Lennon Funny
初期のインタビューで、
ジョージがドイツのハンブルグへの巡業時代を振り返り、
「あの頃に僕らのスタイルが固まった。ジョンはお客に受けることだったらなんでもやってた。」
と言ってた。
この動画を見ると確かにジョンは受けることなら何でもやってるね。(笑)
まるでドリフの志村けんみたいだ。
マネージャーのブライアン・エプスタインのキャバーンクラブでのビートルズを始めてみた感想は
「演奏が始まって最初はパッとした印象はなかった。が、突然カミナリが落ちたように痺れがきた。きっと彼らのちょっとしたユーモアのセンスや人柄、それとビートに惹かれたんだと思う。」
レット・イット・ビー以外のすべてのアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティン。
「彼らのデモテープを聴いたとき最初は断ろうかと思った。だけど知り合いだったブライアン・エプスタインが強く頼み込んでくるから仕方なくオーディションを引き受けた。オーディションを実際に見ても演奏にはコレといった魅力は感じなかった。でも、彼らの人柄やユーモアのセンスがとても気に入ったんだ。音楽がダメでもきっとコメディでも何でもなにかで絶対モノになるだろうって感じたからプロデュースを引き受けたんだ。」
「それまでのバンドのスタイルのほとんどが決まったボーカルをメインにしたスタイルだったから、最初はポールをメインボーカルにしようとしたんだ。だけどポール自身が『僕らはそういうバンドスタイルじゃないから』と拒否したんで仕方なく全員それぞれボーカルをとるようなスタイルにした。でもそれでも彼らは大丈夫だろうと思ったよ。」
ジョン・レノン自身が売れ出した頃のビートルズを振り返り、
「毎日続くライブでもうヘトヘトになりめげそうになると、ジョージ・マーティンが『キミ達の目標は?』と聞いてくる。ぼくらは『トップだ!しかもトップの中のトップだ!』と叫んでとにかく頑張ったんだ。」
これらのコメントを聞くと
現在から考えると驚くことだけど、バンドの演奏だけだとプロの目から見たらホントにパッとしなかったんだろうね。
とにかく、16歳のジョンが14歳のポールに出会ってバンドに誘ってからデビューまでの5年、6年の下積み時代があったからこその「成功」への渇望だったんだろう。
しかもハンブルグ時代には、後に作る自分たちの会社「アップル」のような構想がジョンの中にあった様子が伺われる。
「演奏が下手でも顔さえ良ければいいのさ」とメンバーに引き入れたスチュアート・サトクリフ(結局ハンブルグでバンドを脱退する)を『アート担当』として皆に紹介したりしてたりするからね。
とにかくみんなのそれぞれの良さを引き出して『なんでもありのアート集団』というような形にしたかったんだろうなと思われる。
これが他のバンドとはまったく違ったビートルズとしての個性だったんだろう。
それまではボーカルとそのバックバンドというようなスタイルばかりだったから、まさかビートルズみたいなスタイルが受けるなんて想像もしなかったんだろうね。
音楽的な進歩は実際「ラバーソウル」から本格的に始まったような気がするし、
確かに最初の頃はテクニックもガサツで「アマチュア的」な要素が強い気もしなくもないよね。
とにかく、彼らのユーモアのセンスが成功のきっかけをつかんだってコトには異論なさそうな気がするよ。