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YouTube: The Beatles Anthology Episode 1
1995年にビートルズアンソロジーが発表され、TV朝日で総集編みたいな奴が放送された。
それをビデオに撮っておいたのを、最近観直してみた。
今までは気にも留めなかった彼らのデビュー前の出来事が
彼らを成功後も強く結束させる要因だったことが伺われる。
大概、成功を収めるとそこから崩れていくもんなんだけど、ビートルズの場合は結束力がさらに強くなってる気がする。
その要因とはハンブルグへの巡業。
そうとう環境的に極悪で、過酷だったみたいだね。
それは「スチュアート・サトクリフ/5人目のビートルズ」というドキュメンタリーにも描かれている。
映画館の洗面所で体を洗い、長いときには一日に7時間もぶっ続けで演奏し
疲れて眠くなったら覚醒作用のあるアンフェタミンを飲んで目を覚まして演奏を続けたらしい。
その記録映画で初めてスチュアートサトクリフの油絵を見たけど、これがまた結構いいんだよ。
それと、ビートルズのライブを見たときは、どんな人も最初はピンとこなかったらしいことに驚かされる。
それは、マネージャーのブライアン・エプスタインやプロデューサーのジョージ・マーティンも証言してる。
ただ、人柄やユーモアのセンスがすごく良かったらしく、そこを二人とも気に入ってたようだ。
その後の音楽的成功を見たらなんだか不思議な感じがするが
ベン・E・キングやビーチボーイズのブライアン・ウィルソンも「音楽的に大したことない」と証言してるから
そのあたりはその通りなんだろう。
ただ、ビートルズの音楽的な貢献は「素人でもバンドで成功できること」を証明したことなんだろうな。
相当後の時代のボク自身もビートルズを聴いてそう思ったんだから間違いない。
専門的なテクニックや知識なんかなくたって音楽で成功を収められたからこそ
今現在でもたくさんのバンドが満ち溢れてるんだと思うよ。
まあ、とにかく最近は
そんなかんじでビデオに撮ってたビートルズの映像やジョンの「イマジン」なんかをDVD化することにいそしんでおる毎日であります。
そろそろブルーレイの時代が近づいてるっていうのにね。(苦笑)
相変わらず取っ掛かりが遅い我輩なのでありまする。
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YouTube: 『運命を分けたザイル』 予告編
映画「運命を分けたザイル」は実際に起きた出来事をドキュメンタリータッチで描いた映画だ。
普通の映画は観る前に内容がわからないほうがより楽しめるが
この映画は、実話をもとにして、まるでBBC特集やNHKスペシャルのように実際に遭難した人たちがTVの前で証言しながら話を進めていくので
ある程度何が起きたのか知っておいた方がより伝わってくる。
ボク自身はこの話を何も知らずに見始めたので内容把握まで少し手間取ってしまった。
厳しい冬山にあえて装備を最小限に抑えて登山するやり方があるらしく、
このイギリス出身の二人の若者がチームを組んでそれに取り組んだらしい。
そして無事登頂を果たし、下山するときにそれは起きた。
片方が骨折をしてしまい、もう片方がなんとか一緒に下山しようとやれるだけのことをやろうとしたのだ。
だが、結局無理だと判断して二人をつないでいたザイルを切ってしまう。
骨折した方は真っ逆さまに奈落の底に落ちていき、
残った方もギリギリまで頑張ったので帰りつけるほどの余力も残ってないようなありさまだった。
が、「どうせ死ぬにしても、一歩でもベースキャンプに近づいて死のう」と考え、
一歩一歩帰り道に向かい、なんとか最終的にはベースキャンプにたどり着くことができた。
ザイルを切ってしまった罪悪感からか、なかなかふもとの村に出発することができなかったが
なんと、その間にもう一人も奇跡の生還を果たしたのだった。
帰国した後はザイルを切った方はその行為を周りから糾弾されたが
骨折した方がそれをかばうために書いた本がこの映画の原作になった・・・。
ざっくり説明するとこんな感じ。
ドキュメンタリーの記録映像を見てる感じなので普通の映画のような感動は起きなかったが
とにかく、「ダメだと思ってもできる限りのことはしておこう。」という考え方にはすごく共感できた。
こういう状況に陥るとどうしても「どうせダメだから・・・」と自暴自棄になってしまうことも多いが
この二人は「どうせダメだろうけど・・・」と考えられたから奇跡が起きたんだろうなあと思う。
もちろん、こういう考え方をすればいつも必ず奇跡が起こるわけではないけど、
必要条件ではあるんだろうと思うんだ。
巷に「ポジティブシンキング」っていう言葉が流行っており、
たまに「現実から逃避する」ような考え方にも出くわすこともあるが
本当のポジティブシンキングとは
こういう「現実を受け入れながらなおかつできる限りの努力をしようと考えること」なんだろうと思う。
そして、いつか自分が死ぬときに「やれるだけのことはやってきたかな・・・」と満足して死ぬことができる秘訣かな、と考えてるんだよね。
一度見てみることをオススメします。
「どうせたいしたことなんてできないだろうけど、自分ももう少し頑張ってみようかな」と思わせてくれる作品でございますよ。
現在小6の息子を,小3まで学童保育に通わせていた。
その学童保育で一緒だった女の子に、駅までの朝の通勤途中に会うたびに、
「よっ!」とばかりに片手を挙げて挨拶をしていた。
しかし、それがどうやらボクのカン違いで、
実は何の関係もない子に挨拶を続けてたらしい・・・。
学童時のアルバムを確認しても写真のどこにも見当たらないし、
息子も妻もまったく覚えていないとのこと。
いや~、やらかしちまったよなあ・・・。
息子からは
「あんた目立つんだからさあ・・・、もう・・・そういうのやめてくんないかなあ。不審者情報も多いしさあ・・・ウチの親がそうだったなんていうのはヤだよ。」
という苦情。
そりゃそーだわな。
ボク自身もそういうつもりは今の今までまったくなかったからねえ・・・。
いや~、ショックだわ・・・。
通勤ルート変えようかなあ・・・。
でもね・・・、やったのは単なる挨拶だし・・・・、別に悪いことしたわけでもないし・・・・・・。
あ~あ、ショックは大きいよ。