yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

がんばれ!沖縄。

2015年01月15日 | 国際・政治
これまでもずっと負担を強いてきて、
これからもその負担をお願いしていこうとする立場の人たちが
そのお願いされるほうの相手が会いに来たってのに
まったく会おうとせず、

しかも、

その負担をかけるのはそのままにして、
その負担の見返りに提示したものも見直すなどと公言するなんて

いったいどういうつもりなんだろう。

今回の安倍内閣の言動について、

1.選挙の争点は「アベノミクスのみ」だったにもかかわらず
勝ったらとたんに
「自民党の公約はすべて承認された」とは、これいかに?


2.50%の投票率で、その中の30%ほどの得票率しかないのにもかかわらず
(つまり100人の有権者のうち支持した人は15人ほど)
「圧倒的なご支持をいただいた」とは、これいかに?

3.沖縄では自民党が支持した人ではない人が知事になったら、
「衆議院の選挙結果の国民の意思には従う」と言っておきながら
沖縄の選挙結果の意思には従わず、
沖縄県知事にまったく会おうとしないのは、これいかに?


ホントに勝手だよね、解釈の仕方が。

こんな調子だから、

沖縄の人たちが不信になるのも致し方ないと思う。

問題は「カネ」じゃないんだよ、自民党の先生方。

「いつも負担をかけて申し訳ない」っていう気持ちなんじゃないのかね?

その気持ちをそういういわゆる地域振興金で表現してるんだったらここまでもめないんじゃないかって思う。

選挙結果によってこういう態度の変え方をする人間は基本的に信用できないね。

大人げないってのはこういう人のことだと思うよ。

ホントに

こんな連中に負けるな沖縄県!

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フランス人の心意気。

2015年01月12日 | 国際・政治
とりあえず、犠牲者を出しながらも

風刺雑誌社に対する銃乱射テロから始まる事件は収束したけど、

そのあと起きた130万人以上にのぼるデモにびっくりさせられた。



デモっていうとどちらかというと起きた出来事に対する「不満の表明」というイメージだったけど

今回のは

命を懸けてテロリストたちと勇敢に戦った「警官たちへの称賛」と
「犠牲者への追悼」と
「テロには決して負けないという意思」を表明するデモだったからね。


さすが、民衆による市民革命で様々な権利を勝ち取った国だなあ、と感心した。

どんな内容でも、
さあどうぞ、とお膳立てされなくても
自分たちの意思表示をしていくことが物事を進展させるっていうのが身についてるんだよね。

ぜひとも、

日本人もこういう「意思表示の大切さ」を学んでほしいと思うよ。

選挙という意思表示をお膳立てされた状態でも投票率が54%ぐらいなんだもんね。

いくら、なぜいま総選挙しなくちゃいけないかという気持ちが強かったとしても、
いくら、争点がはっきりしなかったとしても、
いくら、投票する先が見いだせなかったとしても、

投票権を放棄するっていう事は
自分の意思表示を放棄するっていう事だからね。

どこでもいいんだよ。

自分の意見とぴったりくる人なんていやしないよ。

自分の意見に一番近いと思う人や政党に投票すればいいだけなんだよね。

それが「社会に対する責任を果たす」ということでもあるんだから。

第二次大戦の敗戦でせっかく手に入れた権利なんだから

「よくわかんない」なんて甘えてるんじゃありませんよ!

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また、悲しい出来事が・・・

2015年01月10日 | 国際・政治

フランスで風刺雑誌の会社に襲撃したアルカイダ系の戦闘員の兄弟。

彼らは、特にお兄ちゃんのほうのご家族は、
これからどう生きていくんだろう・・・。




ボクの知ってる限り、
基本的に人殺しを肯定する宗教なんてないはずだが、
一体それがどう解釈すると
「殺していい」ってことになるんだろう。

これは別に現代のイスラム教に限ったことじゃない。

昔から、どんな宗教でも、それは起きるというのは歴史が教えてくれている。

例えば、

今回は標的になってるキリスト教は
昔はエルサレム(聖地)奪回と称し、「十字軍」でイスラム圏に長いこと侵略行為を続けたし、

仲間内のプロテスタント系とカトリック系でも派手にやりあっている。

日本の神道でも、第二次大戦中は「国家神道」として戦争にぐんぐん足を踏み込んでたし、
「神風特攻隊」なんて、その最たるもんだよね。

仏教のことはよくわからないけど、

たしか、日蓮宗の宗祖「日蓮」は他の宗派への攻撃が結構すさまじかったらしいよ。

仏教のもとになったヒンドゥー教の神話も戦いに明け暮れたような話が多いし・・・。


まあ、

宗教の違いが人の争いごとの種の一つになっちゃうのは
しょうがないことでもあるんだよね。

結局は人が現実をどう受け止め、どう生きるかというのを教えてくれるのが宗教なわけだから、

その受け止め方が違えば「けんか」にもなるよ。(苦笑)




「キミのその意見には反対だけど、キミの意見を言う権利に関しては死を賭してでも守る。」


↑これは現代民主主義の根底にある「言論の自由」に関しての有名な言葉だけど、

この言葉の発祥地でこういう言論封殺みたいな行為が行われたことに
どうにもやるせなさを感じる。




どんなに偉い宗教家でも、
どんなに偉い政治家でも、
どんなに偉い将軍でも、
どんなに偉い民衆のヒーローでも、
どんなに偉い労働者階級の英雄でも、

人の上に立った時、
指導的な立場になったとき、

風刺的な扱われ方をされるのは致し方ないことなんだと思うよ。

今回の事件の原因が
イスラム教の指導者がそういう侮辱的な風刺を受けたことに対することらしいけど

いわゆる「権力者」になったとき、

全員がYESなんてなるわけじゃないんだから。

しかも、その行動を制御できるのは、その権力者本人か、そういう風刺しかないんだからさ。

言われたからといって殺しちゃイカンでしょ。

「風刺されるほどの権力者になっちゃったんだな・・・」と受け止めてほしい。

そして、その行動を律するようにしてほしい。




とにかく、

今回の犠牲者たちには本当にお悔やみ申し上げるし、

日本政府としても「何があってもしっかり言論の自由は守られるべき」というような首相声明を発表してほしい。

そういうの大好きでしょ?安倍さんは。

コメント (6)
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心に受ける傷。

2015年01月08日 | たわごと、ひとりごと
大概の人は言う。

「どんな理由があっても、暴力はいけないことだからやってはならない。」

だから、ちょっとしたことでも大騒ぎになったりすることがある。

確かにその通りだし、
みんながその気持ちを共有できれば
ずいぶん、安心感のある社会になるだろうと思う。

でも・・・、

じゃあ暴力さえ振るわなければそれでOKなのかな?

一部の人たちによるヘイトスピーチやら、

ネット上の「炎上」とやら、

こういうのって野放しにしててホントにいいの?




「暴力はいけないことだ」ということの本質は、他者を傷つけることにあると思う。

「傷つける」というのは、一般的には身体的な傷のことを連想させるが、

身体的な傷ならほかの人からもわかるし、まだいいほうだと思う。




身体的な傷以外にも「心に受ける傷」がある。

これは外から見えない分、相当に厄介だ。

外側の傷が癒えたとしても、

心に受けた傷は、見えない分、何もケアをされないままほっとかれ、

変な形に歪み、いびつな状態になっているにもかかわらず、

それは、当の本人すらも気づいていないこと多かったりするからね。





小さいところでは
「クソ!」
「死ね!」
「消えろ!」・・・etc

こういうちょっとした暴言も
実は心は深く傷ついている。

ちょっとしたウソなんかも
ウソをつかれたほうは深く傷つく。

だから、もう

「いじめ」とか論外なんだよね。

よく、

「暴力が伴ってない口げんかの範疇だから、良しとしましょう。」
なんて考える人がいるけど

そんな人は「心に傷を受けている」ということに早く気づくべきだと思うよ。

暴力と同じように扱うべきだ、と思う。





心に傷を受け、いびつな状態になってしまうと

もう完治させるのは不可能に近いと思われる。

さらに、その人の人格すらもゆがめられて

「反社会的な行動」をとってしまうようになり、
いわゆる「反社会性人格障害」と診断されるような人に育っていく・・・。


まあ、これらはすごくひどい症例なんだとは思われるけど、

それくらい「心に受ける傷」というのは

その人の人生に影響を与えるもんなんだっていう事を

社会全体で共有できるようになればいいのになあ・・・

と、考える今日この頃。

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切り絵の年賀状。

2015年01月05日 | 手作り作品
中二の息子が、今更ながら年賀状を制作している。

まあ、出してくれた人にしか出さない、などと受け身の姿勢でいるため
制作枚数はたった七枚だけなんであるが、

一人ひとり相手の好みに合わせて制作しているので
これ以上心のこもった年賀状はないんじゃないかって思うよ。

しかも、その一枚一枚がすべて切り絵で作ってるんだから恐れ入る。

やんなくちゃいけないことは後回しにするくせに
こういうことは真っ先に、
しかも集中力が切れることなく取り組めるんだよね。

この集中力をほかのことにも生かしていってほしいんだけど、

まあ、集中できる好きなものがあるっていうのも

楽しい人生を生きてくうえで必要なことでもあるからねえ・・・。(苦笑)

今は言うべきことは言いつつ、応援していこうと思っている今日この頃。
コメント (3)
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