yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

麻生大臣がなぜ問題発言を繰り返すか本気で考えてみた

2020年06月12日 | 国際・政治

麻生大臣がなぜ問題発言を繰り返すか本気で考えてみた

 


ねえ、麻生太郎さん。
あなたの暴言に慣れてしまったら
それだけ日本の民度が下がっていってるということになるんじゃないの?
差別や人権侵害の暴言がまかり通る国が民度高い国だと言えるの?
ねえ、教えてよ麻生太郎さん。

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我々も差別問題の当事者!黒人差別の抗議活動について【せやろがいおじさん】#BlackLivesMatter

2020年06月11日 | 国際・政治

我々も差別問題の当事者!黒人差別の抗議活動について【せやろがいおじさん】#BlackLivesMatter

そうそう、日本にも差別はたくさんあるし、

それらを一つ一つ改善してかなくちゃいけない問題でもあるんだよね。

でも、安倍自民党はその差別を助長してるし

ホント、こいつらは困った連中だよ。

んで、

最後はやっぱりこの言葉なんだよね。

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地上波が一切無視する本『女帝小池百合子』の作者が語る衝撃の事実

2020年06月07日 | 国際・政治

地上波が一切無視する本『女帝小池百合子』の作者が語る衝撃の事実

ウソのオンパレードの安倍晋三とほぼ同レベルの嘘つきなんじゃないかと思われる東京都知事の小池百合子氏。

TVや大メディアが触れることはほとんどないと思うのでこうやって拡散します。

この本を読んでない人は是非とも聞いてみてください。

小池百合子氏は「カイロ大卒業は本当か?」と聞かれ、

「この本を読んでないので何とも言えない」という言葉ではぐらかしたそうです。

卒業したかどうかなんてハイもしくはイイエで答えればいいだけなのに

なぜこういうはぐらかしをするんでしょうね?

とっても不思議。

普通に考えたら、本当は卒業してないからはぐらかすしかなかったんじゃないの?って思うよね。

そう、その直感を信じるべきです。

大概、その直感は当たってます。

彼女が都知事選に出馬した際に、

最終学歴をどう書くのか見ものです。

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吉川さおり【参議院の行政監視機能強化/EBPM/公文書管理/10兆円予備費】2020.06.05 参院本会議(テロップ付)

2020年06月07日 | 国際・政治

吉川さおり【参議院の行政監視機能強化/EBPM/公文書管理/10兆円予備費】2020.06.05 参院本会議(テロップ付)

 

「野党はだらしがない」なんて誰が言ってるんだ?

だらしがないのは安倍内閣の不正の数々に対し何も言えずに追随するだけの与党じゃん。

野党はその与えられた職務にホントに頑張ってると思うよ。

「国会議員が多すぎる」というのも「与党議員が無駄に多すぎる」と言った方がしっくりくるね。

特に、この動画の最後の2分間ほどの内容は

チャプリンの「独裁者」という映画のラストの演説を彷彿とさせる。

是非ともご覧になってみてください。

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間違いだらけの「自己責任論」

2020年06月04日 | 国際・政治

20世紀の終わりごろから21世紀にかけて日本国内に現れた「自己責任論」。

これまでの人間社会を全否定するこの考え方がなぜ日本でもてはやされるのか?

このことについて、つらつらと考えてみた。

 

*  *  *

 

人々がまだ狩猟生活で暮らしていた時代、

比較的小規模な集団で、貧富の差などはなく、

お互いに助け合って生活していた。

その当時は、獲物を追い求め移動生活をしていたので病気やけがで動けなくなった人は置き去りにならざるを得ない時代でもあった。

しかし、

そういう時代ですら人々の中で「自分のことは自分で何とかしろ」という自己責任の概念は無かった。

そもそも、自然界の中では弱者であった人間が「できる限りお互い助け合っていこう」という考えのもとに社会を発展させてきたのだから、

自己責任と言って切り捨てることは「人間社会を否定すること」になってしまうのである。

 

 

農耕の時代が訪れ、大きな集団になり格差社会が生まれても、

根本的な考え方は同じ。

自然災害は「神の怒り」と信じられていたこの時代では、

権力層(支配者層)は神の怒りを鎮める『祭りごと(政治)』が主な役割で

自然災害や疫病が起きると「権力者がきちんと仕事をしていない」と見なされ、大きな政変のきっかけにもなったりした。

だから、

この時代の権力層も「自己責任」と言って民衆を突き放すどころか、

逆に動機はどうであれ「人々が安心できる国」を目指していたのである。

中世や近世の武家社会でもこれは同じ。

社会がだんだん細分化され複雑化しても権力層は「人々が安心して暮らしていける社会」を目指し、

それができなくなったときその支配体系が崩壊していった。

 

 

ところが、

明治時代から始まる近代から日本の様相が変わった。

「国」が民衆よりも優先され始めたのである。

そう考えるように教育が施され、

そのためには死をも厭わないようにさせていった。

 

 

*  *  *

 

この「国」とは詰まるところ「権力層(支配層)」のこと。

国そのものは単なる概念であり、そこに実態などないし、

敢えて定義しようとすれば「国=国民」のはずなのだが、

現代まで続く日本の権力層は「国」といい続け「国民」とは決して言わない。

まさに、ここに「自己責任論」の土壌が育っていったのだ。

つまり、「自己責任論」とは「国民切り捨て」であり、

「安心できる社会の構築を放棄した考え方」と断言できる。

つまり、「人間社会」そのものを否定している考え方なのだ。

 

 

こんな考え方が蔓延する国が栄えるはずがない。

自己責任論に黙って従っていたら、

近い将来国は必ず崩壊するだろう。

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