自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

歴史・井笠鉄道

2009-12-23 21:58:21 | Weblog
今年も1週間余り
ホタルや黒豆と遊んでいるうちに今年も暮れそう。
少し仕事に空きが出来たので堂々川の歴史を探索することにした。
昭和の30年代。
歌謡曲は港とカモメとマドロスさんの単語があれば歌になる時代
美男美女は誰が何と言おうと長谷川一夫と山本富士子。
古い奴だとお思いでしょうがそれより古い歴史をこれから調べていく。





堂々川の歴史を調べていたら、
堂々川には昭和の初め川の土手を築くために三角石を6万個必要とした。
その費用は35000円。
昭和2年頃、軽便鉄道が笠岡から神辺まで開通しこの鉄道を使い
瀬戸内海の北木島から16000個の石を運んだと言う。


井笠線の井原ー神辺間は昭和42年に廃止になった
線路跡

コンクリートで出来た堂々川の鉄橋架台跡

堂々川鉄橋跡地から上流を見る


石を運んだ鉄道がどのようなものか調査のために井笠鉄道記念館を訪ねた。


井笠線旧新山駅が記念館になっている


鉄道フアンならよだれが出そうな蒸気機関車や客車、貨車


1913年ドイツ製コッペル1号機関車

ホワフ1号貨物車


多分この蒸気機関車と貨車が石を運んだのだろう。
この石は笠岡駅から北川駅を経由して
両備国分寺駅の直ぐ西の堤防に下ろされて築かれたものである。



付録だがレールの比較と踏切の表示柱


見えにくいが新幹線(60キロN)に比べると小さい軽いレール(16キロN)だ


今日は歴史を語るのだからひさしぶりに緊張した。