毎年行われる神辺町観光協会主催の史跡めぐり。
今年は若干のモデルチェンジをして実行した。
訪ねる先が衆議院選挙区まではいかず1増1減
そして案内パンフのモデルチェンジで見易くなった。
100名近くが団体行動するバス旅行、9時に始まり15時に終わる。
弁当、記念品がついての会費制である。
参加者はバスのガイドがど素人以外はプロ級の人たちの案内だから損はない。
観光協会は赤字のイベントである。
会長のあいさつで始まり、バス4台で移動する。
挨拶と注意事項
4台のバスにそれぞれガイドがつく
神辺本陣の説明
行燈の話や関札の話を
ボランティヤガイドが行う
約30分で次の廉塾へ
方円の手水鉢のある濡れ縁
雨の勢いが強くなる。
雨男がいる。11日のイベントの時も雨だった。
私のために多くの人が迷惑をしたのかな!
葛原邸
夕日・赤とんぼの作詞家しげる
2弦琴の演奏者勾当
国分寺跡をバスの中で説明し、菅茶山記念館へ
此処で12時となり、雨でなければ堂々公園で昼食となるはずが
商工会講堂まで帰り昼食。
昼食が終わって現地ではなく屋内で堂々川砂留の説明を行う。
この人の話は面白い。
20分で面白くなかったら手を上げてX印をしてと頼んで講演をはじめた。
前の方の女性はよく笑う。それでも寝た人が3人いる。
あれから40年を出すべきかと考えながら話していたら眠りの人が眼明けて聞きだした。
ある人が囁いた。落語の特別講演みたいだったと。
無事話を終えて、次の大坊古墳へバスは進んだが山の中腹の為
道のぬかるみや転倒の恐れがあるためバスの窓から眺めてみるだけのかわった。
江戸時代の福山藩は土地の開墾などを行った結果、阿部の時代の農地は15万石まで増えた。
増えた5万石分を幕府は没収した。
その地域が天領となり地域の分割が行われた境にできたのが番所でそのあとが石柱で残っている。
番所跡を示す小さな石碑
5世紀の古墳。
この地は弥生時代に環濠住宅地のようだと説明があった。
史跡めぐりの終わりになると雨はほぼ止んだ。
備後富士
来訪された100人弱、怪我なく見学が終わり喜んでもらえたようだ。
中でも堂々川の講演は雨の中の公園で無い場所で話したので
濡れない、寒くない、話がおもしろかったのだろう雨玉をくれたひとがいた。
昔の美人はありがとうといいながら飴玉をくれた。
来年もあるのかと聞かれたので開催しますと答えておいた。
今年は若干のモデルチェンジをして実行した。
訪ねる先が衆議院選挙区まではいかず1増1減
そして案内パンフのモデルチェンジで見易くなった。
100名近くが団体行動するバス旅行、9時に始まり15時に終わる。
弁当、記念品がついての会費制である。
参加者はバスのガイドがど素人以外はプロ級の人たちの案内だから損はない。
観光協会は赤字のイベントである。
会長のあいさつで始まり、バス4台で移動する。
挨拶と注意事項
4台のバスにそれぞれガイドがつく
神辺本陣の説明
行燈の話や関札の話を
ボランティヤガイドが行う
約30分で次の廉塾へ
方円の手水鉢のある濡れ縁
雨の勢いが強くなる。
雨男がいる。11日のイベントの時も雨だった。
私のために多くの人が迷惑をしたのかな!
葛原邸
夕日・赤とんぼの作詞家しげる
2弦琴の演奏者勾当
国分寺跡をバスの中で説明し、菅茶山記念館へ
此処で12時となり、雨でなければ堂々公園で昼食となるはずが
商工会講堂まで帰り昼食。
昼食が終わって現地ではなく屋内で堂々川砂留の説明を行う。
この人の話は面白い。
20分で面白くなかったら手を上げてX印をしてと頼んで講演をはじめた。
前の方の女性はよく笑う。それでも寝た人が3人いる。
あれから40年を出すべきかと考えながら話していたら眠りの人が眼明けて聞きだした。
ある人が囁いた。落語の特別講演みたいだったと。
無事話を終えて、次の大坊古墳へバスは進んだが山の中腹の為
道のぬかるみや転倒の恐れがあるためバスの窓から眺めてみるだけのかわった。
江戸時代の福山藩は土地の開墾などを行った結果、阿部の時代の農地は15万石まで増えた。
増えた5万石分を幕府は没収した。
その地域が天領となり地域の分割が行われた境にできたのが番所でそのあとが石柱で残っている。
番所跡を示す小さな石碑
5世紀の古墳。
この地は弥生時代に環濠住宅地のようだと説明があった。
史跡めぐりの終わりになると雨はほぼ止んだ。
備後富士
来訪された100人弱、怪我なく見学が終わり喜んでもらえたようだ。
中でも堂々川の講演は雨の中の公園で無い場所で話したので
濡れない、寒くない、話がおもしろかったのだろう雨玉をくれたひとがいた。
昔の美人はありがとうといいながら飴玉をくれた。
来年もあるのかと聞かれたので開催しますと答えておいた。