自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

秋の神辺

2014-10-24 19:06:50 | Weblog
神辺町観光協会の史跡巡りが11月8日に開催される。
お弁当にバス賃を支払い、ガイド・お土産付きで2千円会費
高いか安いかは皆さんの判断だけれど私がガイドの一人だから
内容は大したことはなくもない。
余談話は差し置いて
秋になれば山からメジロがおりてきて
豊作の柿食えば嘴の先に証拠を残す。


食べたな

お主ワイはまだ食べていないぞ


畑ではチョウが2匹じっとしている。ここへ卵を産んではだめだぞ。


紋付を着て・・・・・


ここで電話があり、急遽出かけることに
神辺の古い町の中、国の史跡廉塾、多くの人が見学しに来る場所。
菅茶山の開いた塾、頼山陽もここで学び、ここの魚を食べたとか
今はどっこい、鯉は見えずドンガメが顔を出す。


養魚池

江戸時代亀はいたか?


廉塾から本陣目指して460m歩く。正面に見えるギンナンの木が目印。


ついに神辺では6軒が1軒になった造り酒屋
天宝一の前を通る


そして本陣
神辺には東本陣と西本陣があった。二つの本陣がある所は全国でも少ない。


西本陣、東本陣は今は跡のみ

本日は開門していないが
特別に間取りをお見せする


最後の紹介は菅茶山記館


ふるさと創生1億円の時代にそのお金でつくられた記念館


勤務されている学芸員や館長さんは良い人なのに地元の人には灯台もと暮らし、
価値が分からず人はまばら。なら、移転すると云う多分大騒ぎをする。
早くいえば宝の持ち腐れ。

ここでこつそりお宝紹介
備後の国府がこの地にあったとか。
国分寺と国分尼寺がある地だから国府はあッてあたり前、
でもこの地に国府があったという石碑はあるが遺跡はでてこない。


国府跡の石碑


石碑の裏側には


湯野方八町の文字がある


俄か歴史家ぶりをして説明すれば
当初この地に建設計画があった国府、建設中に土砂災害、または大水害が起こり
早々にこの地をあきらめて、広島県府中市に移転してしまった。

今思えば逃げた魚は大きかった。
パラパラの記念館ではなく押すな引くなの記念館になっていたはず!