今日は危なかった!
郵便局で用事を済ませ、自転車で歩行者用信号を渡ろうとした時の事。
手前の車は赤信号で並んで止まっていた。
そこで青で点滅もしてないこちら側を確認し、渡り始めた時の事。
奥の車線を1台の軽自動車が信号に近づくのが見えた。
が、妙に速度を落とさないので違和感を感じ、とっさに急ブレーキを掛けて横断歩道手前で自転車を停止。
軽自動車を運転してたのは、恐らく70代か80代の老いた男性。
信号なんざまるで見ておらず、赤信号を堂々と無視して横切って行った…(怒。
やばいよ、あと少し横断歩道に入るの早かったらはねられてたワ!!!
兄弟そろって轢き逃げで他界したら、産んでくれた母親に申し訳が立たん。
その後、軽自動車は先のスーパーの駐車場に入っていったが、信号すら見落とす輩に車を運転する資格は無いと思うぞ!
親戚も80歳前後が増え、首都高のランプ上で急停車させたりと危険運転を見てるだけに、「老害」となる運転は早急に対策が必要だと考える。
自分ももう若く無いだけに、引き際というか真面目に考える事案だと思ってしまうのです。
例えば、65歳になったら 教習所で通常のプログラム(講習・試験)を受け、ひいき無しに合格を得られなければ即免許停止とか。
その後も2~3年毎にそれを繰り返し、合格できなくなったら免許停止、又は取り消しみたいな措置は、一見酷なようだが人の命が掛かる事だけに、強引にやる必要がある気がしている。
確かに車が無いと生活できないという意見も多々あるのは事実だと思う。
だからといって、自身や他人を危険に晒していいという理屈にはならない。
現在は高齢者に認知症の兆候が無いかの検査があるようだが、道路を走る以上、教習所で習う事はできて当然なのだから、高齢者プログラムなんて生ぬるいモノでは今後も事故は減らないと考える。
最近は若い方の絶対数が減り続け、免許取得率も下がり、教習所の稼働率が下がったり、倒産するケースが多いと関係者から聞いた事がある。
なら、道路を運転する能力があるかを見定めるための高齢者も受け入れれば、教習所の稼働率も上がってバランスが取れるとも思うのです。
極端な考え方だが、若者と高齢者の何れを保護する必要が高いかと言う疑問に、私は前者だと断言する事にしている。
論点に 「弱いもの」 とあれば後者かもしれないが、時代、「未来を紡いでいく」 のは間違いなく「若者」なのだ。
「立つ鳥跡を濁さず」(字合ってるかな)ということわざがあるが、今まさにこの老人が若者を含めて害を重ねている事実がある。
厄介な事だ(天国には行けないね)。
平等に生きる権利があるとはいえ、引き際を間違えた高齢者によって若者が被害に遭うのは、やはりあってはならない。
その必要性を、久しぶりに思い知らされた。
昔、くだらない笑い話に 「赤信号、皆で渡れば怖く無い」 なんてコントがあったが、今回は一人で堂々と無視。
全く笑えない話なのである。