貸しと借りとは
2025年は始まり、お正月はもう過ぎた。振り返ると2000年の始まりに2000年問題として、’99年から’00年へと時間が経過した際に、コンピュ―タが誤動作しないかと日本の隅々が、世界の隅々が心配した。その時から25年が過ぎて今年となった。時の経過の速さに驚いている。
さて、約10年前になるが、定年退職後共にボランティアを行っていた方から、研修を受けた帰り、共にいた2人にいちごのパックを「どうぞ」と頂いた。休憩所で買ったと説明付きだった。わざわざのことだったので、お礼をいって頂くことにした。
しかしそこにはいちごと共に「借り」意識が一緒に梱包されていた。この意識は私からレンコンという品物を「どうぞ利用して」と手渡すまで離れることがなかった。しかしこの行為によりその意識がゼロになっただけだ。「貸し」意識が芽生えたわけではない。対等に戻っただけ。
言葉を替えると「ありがとう」の証明書をどちらもが持っていないことだ。この証明書は持っていると都合は良いものではある。例えてみよう。相手と出会う際に手土産を持って行くことがある。営業職の人はよく持参して相手と出会う。「どうぞ」の言葉に、遠くから持ってきてくれたのだから受け取ることが「優しい」行為だと受ける。だが、ありがとうの証明書を手渡すことになる。さて、「その工事を私どもの会社に受注させて下さい。しっかり施工しますので」の言葉には「ありがとう」証明書が添えられる。他社と比較するとその証明書のオーラは力を発揮する。受注を勝ち取ることができる。
手土産による「ありがとう」証明書は、私は営業職ではないがそのオーラの力は知っておきたい。