「言葉」の力
前大統領のオバマ氏。初当選時の言葉が、10月22日朝日新聞に紹介されていた。
「私を支持しなかった皆さんの票は頂けなかったが、皆さんの声に耳を傾けます。私は皆さんの大統領にもなるつもりです」。言葉の力を説明する記事である。
トランプ大統領が当選の際、競ったヒラリー・クリントン氏の退き方に見事さを感じた記憶がある。長い歴史を持つ、アメリカの大統領選。負けた人は相手を祝福して退くことで、アメリカは一つに纏まり進んで行けるのだ。そう理解できた。多数決社会(民主主義社会)の先進国だと。
この言葉を知り、改めてオバマ氏を思い出し、その穏やかさを懐かしんだ。そして期待する。武力を使わずに、北朝鮮のごとき「ガキ大将」を改心させる「言葉」があることを。さらにそれを上手く相手に理解させる「人」が出て来ることを。
朝日新聞
時おり、お年寄りと会話する。少し耳の不自由な方が「1対1で話すと何とか普通に会話できる。しかし、数人で会話する時は、聞き取れない」。また、「家の中でテレビを見る時などは、使わずにボリュームを上げている」と。
補聴器について会話すると、決まって「使い難い。使いたいものではない。使っても万能ではない」と。私はまだ耳を不自由と感じることはない。そのためか、補聴器のどこが使い難い原因なのか理解ができなかった。
そんなある日、朝日新聞に補聴器についての添付写真の記事を見付ける。それを見ているとおぼろげにだが、推測できる。1、エネルギー補充に電池の交換1回/14(15h)日、2、性能に集団での会話は聞き分けにくい・ささやき声や騒がしい所での会話の声が聞こえ難い。と。
記事には開発品による対策もある。電池の交換は毎約14日。聞こえ性能には易ボリューム変更と日本語会話の周波数帯に合わせたものとなると。
良い物の開発があると、さらにと不満な点が見つかることだろう。進歩は1歩1歩。またさらなる開発があることだろう。
私の補聴器への理解は少し深まる。
パイプハウス(ネット ビニールハウス妻面作り方よりコピー)
イチゴを育て、12月に収穫できるようにしたい。この考えをもとにパイプハウスを建てる。イチゴ作りの教科書は「現代農業」の記事だ。
パイプハウスを建てて3年が経過している。ビニールは劣化して、光が透り難くまた少し縮んできている。固くなり、破れやすい。そこでビニールを新しい物に替えることにする。
構造においては、すき間風を減少。1、土と接する部2、出入口部。次に、温度調節のし易さ改善。1、スカート部が2、屋根部裾がそれぞれ開閉容易に。3、妻部にも開閉部を作る。
以上のことを考慮して、工夫をしながらビニール替えを実施する。台風21号が明日日本に上陸しそうだ。ビニール替えは雨風に影響されるため、様子を見て作業を実施する。
台風被害がないことを願いながら---。
「ぱたから」
高齢者の死因について話題になることがある。「嚥下体操」の大切さを実感して間もない頃。先日のことだが、地域の高齢者と食事するサロンが催された。
その際、「身体を動かしましょう」と包括センターから指導員が来られる。「ぱたから」体操は嚥下体操の1つだが、わかりやすくしかもその意義と共に覚えやすく指導がある。身近で取組みやすいものだった。
1、先ず首の運動2、次に舌の運動 上下左右に舌を出す3、そして「ぱたから」を1語ずつ10回大きな口で声に出す4、最後に早口で「ぱたから」を10回声に出す。これが、私が理解した内容だ。1日1回この体操をすれば誤嚥性肺炎になる確率は低下すると。
先日出席した葬儀で、耳にした病名は「誤嚥性肺炎」だった。若い私でも誤嚥を起こすことがある。この体操により、今日「から」、「ぱた」と誤嚥はしなくなったといえる変化はないだろうが、長い期間続けて、その効果を期待したい。
2050年に平均寿命86才
「人生100年時代が来る」と、ある本(LIFE SHIFT)が書いているという。2007年生まれの半数は107年まで生きられると。
この本に動かされてか、今年9月に「第1回 人生100年時代構想会議」が開かれたという。一方国立社会保障・問題研究所の2012年推計によると、2050年86、2100年93.9才。また、最長寿命者は1997年122才、この年以降20年以上延びはないという。
この前半データは2006年生まれの半数は94才まで生きられるとの内容だ。本の予測より数十年時間がかかりそうだ。
政府は国民へ「何らかの依頼」がしたいため、準備をしたのだろう。また、最長寿命との関連への配慮は不十分だ。2030年の平均寿命は84才程度となる。元気に生きられるのであれば、100才は歓迎したい。
薪
子供の時、お風呂当番をした。葉の付いた小枝や薪を使って風呂を沸かす。小枝に点火して大きくし薪へ拡げる。マッチの火が最初だから、この操作は案外難しい。
さて、里山の木から作る薪は、木を倒し、枝打ちし、幹や大きい枝から作られる。長さを40cm前後に切断し、釜の口に合う大きさまで割る。枝は小枝として使えるように、1m程度にし、紐で縛って持ち帰る。
私は定年退職して故郷に戻った。しばらくして、裏山の木が大きくなり、落ち葉が屋根に飛んで来ていることに気付く。裏山は我が家の里山。この大木を倒すことに。安全のため、山林組合に、倒木・枝打ち・幹は持ち運びできる長さまで切断、を依頼。その後は自分で薪を作る。
昨年11月に倒木作業をし、薪作りまでできたのは今年の10月となった。慣れていない作業、小枝は里山で燃焼処分、そして安全を優先して、燃焼火は小さくしたためでもあるが、長い時間が必要だった。
当番で使った同じ薪が、「こんなにも、気を遣って作られていたのか」と作業の大変さを知った。薪が毎日の生活に無くてはならない物だった時代があった。想像するに、日の出と共に起き、暗くなるまで外で作業していた。そんな時代でもあった。
父は田畑を耕し、サラリーマンをし、さらに乳牛を飼っていた。母と二人協力して。「さぞや、気の抜けない毎日だったろう」と、この経験をして気付く。父母が他界して30年を超え、今では思いをはせる事しかできないのだが。
国家と国民(個人)
「世界中で国家と国民の関係が変化しています」と朝日新聞社会欄に歴史学者の加藤陽子さんの投稿があった。
私は、自民党改憲草案の憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」が、「人として」となっていることに、疑問を持っていた。この点に照準を合わせたに似た投稿だ。
先ず、違いを言葉に。「人」に修正すると、「良心の自由が守られるか」という点で大きく違うと。次に注意が必要なことは、これは「国家」が「私的領域」を侵す姿勢の表れの一つと。
2006年の改正教育基本法には、前文の「真理と平和を希求」が「真理と正義を希求」に修正された。この「正義」の内容は価値観によって違うため、国家が定義すべきものではないが、と。
間もなく行われる衆院選挙ではこんな点も念頭に置きましょうとあった。前記のことは多数決政治である民主政治制度下で起こっている。確かに、為政者へ任せきりにするのでなく、国民(我々一人ひとり)の投票による監視が必要だ。
20171003写す
私は農家に生まれた。小さい頃から、学問をして良い企業に入って欲しい、と育った。企業に就職し、そして定年を迎え故郷に戻った。
少しだが、荒れてしまった農地が有り、「少しでも、小さい頃の記憶にある姿に戻したい」と自由な時間を利用して耕している。作物づくりの勉強もしながらだが、機会に恵まれて山口県立の「農業大学(2年間)」を見学することができた。3.5時間だが、メモを残しておこうと思う。
先ず校内の見学。牛の畜産・放牧場、果樹園、ガラス温室・パイプハウス、およびそこでの作業の様子。食事後、「農業機械の基本的な使い方」刈払機と歩行型トラクタ・乗用型トラクタ。ここでは安全への配慮点、メンテ要領そして使い方。実際に使用。最後に、1年間予定の就農支援塾生(入塾後約6か月経過)5名との懇談。
5名の方は早期に退職された方、山口県に縁が合って40才程度で来られた方など。印象的だったことは、半年の時間経過と短いが、将来の目標に対して、「実現できそうだ」と聞く側に感じさせること。よく聞いていると、毎日責任エリアに長い時間いる。育てる物に手をかける。病気が出れば聴いて対処する。しっかり手をかけることで上手くゆく。そこに自信ができる。
解りやすい、しかも成程さもあらんと感じさせる。私自身も経験したいと感じる場所だった。
ダリア園
行楽の秋、瑞々しいダリアの花を見たいと出かける。高速道路を走って約2時間、ダリア園に到着した。
ご覧下さい。花の瑞々しさ。最も美しい顔を見せている。写真を掲示。その花びらの1枚1枚が元気に息づいている。さて、その花の植付け数量は面積にして1町はありそうだ。
1.5時間程度、花を見て回る。写真に写しながらだが、こんな時間では足りないことがよく分かった。体力を含め、持続力がない。飛び飛びに見ている。
さて、2度目の訪問だが、花は以前とは異なる場所にあった。ダリアはキク科。日本では春に球根を植え、夏から秋に花を楽しむという。
畑の場所が以前と変えられており、連作栽培を避けることを、改めて知った。