食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

楫取素彦の明治維新

2020-12-24 19:42:32 | 社会・平和

 防府市 楫取素彦屋敷跡

 明治維新とは幕府政治から近代天皇制へと変わった革命のことだ。近代天皇制では、大日本帝国憲法、帝国議会そして教育勅語で家族的な国家観と忠君愛国主義が国家の道徳として示された。天皇が国家を統治する上で、国民の上に立つことの正当性は、天照大神の子孫であり、日本を統治した万世一系の統治者の家系であると。(HP「リベラルアーツガイド」を参考に)

 吉田松陰とほぼ同世代の楫取素彦(かとりもとひこ)は長州藩の出身である。松陰と共に学んだが、ペリー来航による幕府対応に対する関わり方に違いがあった。松陰は囚われて死ぬことになる。が、素彦は反幕府の過激な動きには加わらず、藩の対応に沿ったものであった。

 倒幕戦時には藩主の側役。廃藩置県により職を離れると長門に夫婦で移り住み、農業をする。数年で明治政府より呼ばれて群馬県知事となる。東京と富岡製糸場との間に蒸気機関を走らせることなどに貢献する。職を引き渡して後、山口県の防府に男爵として奥さんと住んでいた。この奥さんは吉田松陰の妹でもあった。

 先日、防府に残る楫取素彦の住まい跡を訪ねた。そこには、案内板にその住まいの広さなどが書かれているだけだった。少し寂しく感じられたのだが、楫取素彦は江戸時代から明治初年の革命期間を通して駆け抜けた人物である。

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神仏分離令に

2020-12-19 16:26:13 | 社会・平和

  吒枳尼眞天(だきにしんてん)

 「神仏分離令」は明治元年に発令されました。そして明治五年に停止されます。これは奈良時代から続いた神仏習合の習慣が禁止されて、神道と仏教とを区別させたことを言います。分離して神道の国教化が図られました。

 11月初めに長門市の大寧寺を訪れました。このお寺で、16世紀に守護大名だった大内氏最後の当主が滅ぼされました。このことで私はこのお寺を知っていました。さて、このお寺の脇に稲荷神社があります。豊川稲荷の縁だという。お参りする道に幟があり、「吒枳尼眞天(だきにしんてん)」と書かれていました。

 神社で掃除をされている方にこの眞天について尋ねると、「スマホなどで調べて下さい」と優しさがない。縁者がこれでは神社の将来は危うそうだと感じながら離れる。気にはなっており調べると、豊川稲荷のページに曹洞宗の寺院であり、この寺院の禅師の頭上に吒枳尼眞天が現れた。そしてその霊神は稲束を荷ない、手に宝珠を捧げ、白狐に跨って声高らかに真言を唱えていたと。豊川稲荷には心霊である吒枳尼眞天が祀られているとあった。

 豊川稲荷の門前に白狐が飾られている謂れを理解できた。大寧寺と豊川稲荷御分霊が同居することは神仏分離に原因があることも理解できる。明治元年に出された神仏分離令を聴いて、お寺はさぞかし驚いたことだろう。私はこの機に、豊川稲荷と白狐そして吒枳尼眞天との繋がりを知ることができた。

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年賀状

2020-12-10 22:25:14 | 今日の出来事

 比較

 年賀状2020年と来年とを比較しようとしている。高齢化が自分の身にも進み、世間との繋がりが「日本社会の一員」から「日本国に生活している一人」へと変化していると感じている。

 72才の菅首相や78才のバイデン次期大統領は、「これからだ」と年齢を忘れて使命感で活動される。年金受給者の私は若いが違う。しかし、繋がりが「社会の一員」側に近いことを「まだ近いよ」と年賀状に記したいと私も思っているよう。

 そのことが並べて比較するとわかり易いだろう。さあ行動してみよう。 

令和2年1月、令和3年1月

 

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香月美術館(長門市)

2020-12-07 23:12:58 | 今日の出来事

  この建物はご子息設計とか

 香月泰男は戦後にシベリアに抑留されていた画家という。1911年(明治45年)に生まれ、享年は62才。

 27才で結婚。32才で招集され満洲へ、終戦時の年齢は34才、その後2年シベリアで強制労働を強いられていた。満洲での2年間には2日に1通程度の頻度で絵葉書を家族に送っている。

 シベリアから帰って後は学校の美術の先生をする。また1956年(45才)には約半年間のヨーロッパ旅行をしています。1960年には先生はやめて、画業に専念。黒色を多く使った、シベリアシリーズは代表作だ。

 彼の作品は長門でつくられた。彼は家族のいる長門市三隅で生涯のほとんどを過ごしたという。美術館にあるビデオに、100才を超えている奥様は、ご主人について「作品を作り乍ら、私をアトリエに呼ぶんです。私が近くにいることが大切なようでした」と紹介されていた。

 ストレスは人の性格に影響を与えるという。シベリアは香月泰男に強い影響を与えているようだ。

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