防府市 楫取素彦屋敷跡
明治維新とは幕府政治から近代天皇制へと変わった革命のことだ。近代天皇制では、大日本帝国憲法、帝国議会そして教育勅語で家族的な国家観と忠君愛国主義が国家の道徳として示された。天皇が国家を統治する上で、国民の上に立つことの正当性は、天照大神の子孫であり、日本を統治した万世一系の統治者の家系であると。(HP「リベラルアーツガイド」を参考に)
吉田松陰とほぼ同世代の楫取素彦(かとりもとひこ)は長州藩の出身である。松陰と共に学んだが、ペリー来航による幕府対応に対する関わり方に違いがあった。松陰は囚われて死ぬことになる。が、素彦は反幕府の過激な動きには加わらず、藩の対応に沿ったものであった。
倒幕戦時には藩主の側役。廃藩置県により職を離れると長門に夫婦で移り住み、農業をする。数年で明治政府より呼ばれて群馬県知事となる。東京と富岡製糸場との間に蒸気機関を走らせることなどに貢献する。職を引き渡して後、山口県の防府に男爵として奥さんと住んでいた。この奥さんは吉田松陰の妹でもあった。
先日、防府に残る楫取素彦の住まい跡を訪ねた。そこには、案内板にその住まいの広さなどが書かれているだけだった。少し寂しく感じられたのだが、楫取素彦は江戸時代から明治初年の革命期間を通して駆け抜けた人物である。