文章の手習い 私のエッセイに子供が訂正を入れてくれた。
読みやすくなっている。自分へのメモとして掲示した。
私がまだ小さかった頃、風呂は五右衛門風呂だった。その湯を沸かす焚き木は裏山から集めていた。あれから60年の時が経ち、手入れ出来なかったその裏山は自然林と化してしまっている。そして現在、定年し時間に余裕のできた私はすっかり成長して大木と化してしまったその木々を倒し、裏山の手入れをと思い立った。
チェーンソーの特別講習を受けてみた。おかげさまで、恥ずかしながら自分の力の及ばないレベルを痛感し、結局、特に際立つ大木の倒木を業者に依頼した。プロの手際には目を見張るものがある。大木は見事に望む方向へ倒れていく。道具を使用すると傾斜と逆の上の方向へも倒すことが出来るのだと感心する。枝打ちには小さいチェーンソーが大活躍。倒した大木もまるで味噌汁に入れる豆腐のごとく、難なく細かく切断されていく。
山を守るには、木の成長を知ると同時に、その倒し方も知らなければならないのだ。 私の前に立ちはだかったあの大木は、今山盛りの木切れへとすっかり姿を変えたが、自然林と化した裏山の手入れはまだまだこれから。特別講習を修了した私のチェーンソーの腕の見せ所もこれからだ。
先は長い。獲らぬ狸の皮算用だと笑われるかもしれない。だが、私の瞼の裏にははっきりと子供の頃みたあの思い出の里山の風景がよみがえっている。