三年間に「高齢者虐待疑い」のある施設が二割弱(千五百十)あったことが新聞(四月十一日朝日)に掲載されている。
私は六十四歳の時、老々介護がこれからは必要だと感じて施設で介護者として働いた。短期間勉強をさせてもらった内容だが、そこで被介護者の弱い立場が理解できた。説明が不十分だが、被介護者は一人前でない人とされている。それは介護を必要とする性質からくるものだ。「家に帰りたい」「息子とすぐに話しがしたい」など希望の通りにならない。
多くが八十五歳を超えた人生経験豊かな人。二十五歳くらい年下の子供さん達を育てあげた人だ。
一方介護者は多くが三十歳くらい。接遇マナーを学んだ介護者が施設で働いている。敬語で接しよう、目線の高さを合わせて話ししようなどが叫ばれる。しかし少人数で介護する。一人に手が掛かる。すると他の介護は不十分になる。新聞のニュース内容も理解できる。
しかしそんな「猫の手でも借りたい状態」でも介護者が相手への心遣いをする心の支えとなるもの。また被介護者の保護者がその存在のために介護者を信頼できるもの。そんなものは---。
看護師に「ナイチンゲール誓詞」と呼ばれるものがあると聞く。テレビでもかつてロウソクを持った卒業式風景が放映されていた。現在の扱いは知らないが、介護者にも「介護者用の誓詞」が心の支えになるだろう。
弱い立場の被介護者を大切にする「介護者用の誓詞」があり、それを暗記もし大切にする心を育てた介護者であれば、看護師のように皆が安心できまた被介護者になれる。そんな信頼感が生まれると思うのだが。そのようになるために後押ししたい、押す背中はないものか。
イラストは無料介護イラストより
とうに忘れてしまった人が多いように思います。
私たちは看護あるいは介護してあげているわけでは無いのに。
仕事をさせて頂いているのに、なぜか勘違いして偉くなって行く人が多いですよね。
優しい人が欲しいですね。