幸せとは
令和7年は始まり、今年もはや11日となった。新年初めには、近くの神社に詣でて、家内安全・無病息災を願い、社会が平和で地球の自然が人にとって生きられる環境が続きますように!!と柏手を打った。お正月はもう過ぎた。
1月20日には、もうすぐだが、昨年11月の選挙で当選した米新大統領のトランプ氏へと政権が替わる。4年前に選挙で敗れてもまた立候補した。気持ちが「もう一度」と充実していたのだろう。ホワイトハウスに自分の応援者を扇動したが、「それはフェイクニュース」と主張している恥知らずだが、当選したので罪は大統領権限で消せる。呆れる国である。
選挙で票を彼に入れた過半数の国民にも「どうしてなの?」と尋ねてみたい。ゆがんだ二大政党制となったことに起因しているようにも見えるのだが。とは言え、国民の票は政党にではなくトランプ氏個人に集まったものである。この票は、投票者が立候補者のどちらを選択することが自分の生活を楽にしてくれるかを考えて投じたもの。ニュースなどを見ていると、どちらが自分を幸せにしてくれそうかによる選択。その日暮らしの人たちは地球温暖化の心配より自分の幸せが大事なようだ。
しかし、選挙前の様子をニュースなどで見た印象では、その日暮らしほどではない人も「収入が増えそう」と彼に投票した。さて、幸せとはどんな状態を呼ぶのだろうか。古代ギリシャのアリストテレスの頃のセーレン・キェルケゴールは、今を生き、今を楽しむことで幸福が得られると説いているとか。この幸せとは違う「収入が増加しそうだ」との閃き勘が投票の理由のよう。
改めて幸せとは、「夫婦が子をつくり、その子を育て次世代へ繋いだ状態」をいう。これが行きつく幸せ状態のようだ。「収入が増加しそうだ」との勘も投票の選択理由として「いいね」と評価せざるを得ないと言えそうだ。米のトランプ氏への投票も異常な行動と断定できないようである。
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