食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

第3次緊急事態宣言

2021-04-26 22:59:32 | 予算の使い方

 ワクチンとコロナ感染の拡がり

 大阪や東京などで3回目の緊急事態宣言が25日から出された。この宣言を出して、次の大型連休時にさらに起こるこの4回目の感染拡大を最小限に抑えたいと言う。5月11日までが終了予定日とされている。現在のこの感染はイギリス株が60%程度という。

 長い期間待ったワクチン接種券が私にも送られてきた。医療従事者の次の、高齢者の番だと。やっと順が来たと「ほっと」する。さっそく病院へ予約する。しかしまだ接種日程が決まったのではなく、「この予約により、病院の準備ができたら連絡します」というもの。

 7月23日は、昨年から今年に延期された5輪の開会式予定日だ。すでに国内の5輪聖火リレーは始まっている。海外からの5輪客は受け入れないと決められてはいる。しかし、国内客は受け入れる予定という。ワクチンの接種状況次第だが、無観客もありそうなワクチン接種の進捗だ。

 さて、4月28日は地域の公会堂で農協の野菜に関する講習会が開かれる予定だった。しかし「感染の拡がりが身近にまで迫っているから」と、中止される事となった。ワクチンも間もなく接種できるだろうが、感染の拡がりも身近にまで迫っている。気を付けよう。

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優柔不断

2021-04-18 23:09:51 | 予算の使い方

 豊臣秀頼側近の優柔不断

 辞書で優柔不断を調べると「気が弱く決断力に乏しいこと」とある。他人をそうだと言う前に、自分だってそれだと思うことが多い。しかしここでは豊臣秀頼に御付きの側近が優柔不断なために負けてしまった「関ケ原の戦い」について記事を残したい。

 玉城というお城を西軍が造っていたと判明したことだ。このお城に秀頼が入り、西軍として東軍の徳川家康と対峙すれば西軍の勝利が見えていた。ところがまだ子供である秀頼お付きの側近が迷い、関ヶ原の戦いを秀頼家臣の、西軍と東軍との内戦にした。どちらが勝っても、秀頼は変わらぬ立場だと考えた。

 関ケ原には玉城に並んで、松尾山城と菩提山城とがあり、この3城が力を合わせて、玉城の秀頼と共に徳川家康軍と対峙する。この構図がとれなかったことが敗因だと、16日のNHK番組で赤色立体地図を使い松尾山や菩提山を探って推断した。松尾山城の関ケ原側に陣を張った小早川秀秋の東軍への寝返りにより、菩提山城の竹中重門も東軍へ。玉城へ秀頼が入り、豊臣軍と徳川軍との戦いであることが明確になれば福島正則や加藤清正も豊臣軍の仲間となったであろうと考える。

 秀頼の側近とは母(淀殿)も含められよう。歴史は変えられないが、秀頼側よりの視点では残念な結果となる。先を読む力があり、徳川家康をいち早く競争相手と断ずれば、この優柔不断の選択は考えられない。赤色立体地図を作る技術の開発が玉城を発見させた。そのことにより推論も拡がった。歴史を調べる面白さも広がった。

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入学式

2021-04-10 12:54:03 | 今日の出来事

 ウェビナー入学式

 第4波のコロナ波が始まっているのではないかと心配されている状況だ。そんな中、小学校の入学式が開催される。式場では、一入学生には一父兄の参列をと感染拡大の防止策が採られた。

 そのためテレワークではないが、学校発信の式映像をウェビナーと言う手法でZOOMを使って、「見て下さい」と、事前連絡があった。それなら、各家庭でも見る事が可能となる。さっそく準備にかかる。とは言えウェビナーとはウェブとセミナーとが合わさった造語とか。インストールなどして環境づくりからだ。「今入場行進中」と連絡が入る頃に、スマホを使って見ることができるようになった。

 入学式は進み約1時間で終了した。「校風」と言われているものがある。それは学校の特徴だろうと感ぜられるプログラムでのこと。校長、担任の言葉はそれぞれ生徒にとって意味ある内容だったが、PTA会長に相当する方は父兄に「父兄も協力して一つ一つイベントを進めて終了させて行きましょう」と発言。重責がありそうだ。また、6年生が時間の30%程度を使って、1年生を歓迎し指導をする。校歌を歌い、学校生活中に「分からない事などあれば、6年生に声をかけて聞いて下さい」とアドバイスした。

 コロナ禍が世間を替えたもの。確かに「マスク姿が普通になる」ことが一番だろう。二番と言えるものは、臨場しなくても各人が自分の机で会議に参加でき、セミナーに出席できることではなかろうか。テレワークも企業に受け入れられているとも耳にする。多くの良い変化「プレゼント」があることを期待したい。とは言え、新1年生の孫そして親にも校風に早く馴染んで、小学生生活を楽しんで欲しい。

 

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雪舟

2021-04-07 12:22:30 | 社会・平和

   益田市にて

 落ちた涙を使って、足でネズミの絵を描いたと、子供の頃に聞いた人「雪舟」。先日益田市で雪舟記念館を訪れた。雪舟の名前は益田市では庭園名と結びついてよく耳にする。また山口県でも常栄寺雪舟庭園などと多い。

 雪舟の生まれは岡山県という。しかし、山口県と益田市にゆかりの物が多いようだ。生まれは1420年、享年は86才とあった。丁度、応仁の乱があった頃だ。東軍と西軍に別れて戦った。西軍には山名氏、大内氏、益田氏などがいる。

 1467年遣明船で中国に渡っている。2年後に帰国。乱勃発から2年であり京都はすでに焼けているようだ。乱は11年間続いた。さて、庭園には須弥山がある。古代インドの宇宙観によると、須弥世界の中心にある高山を指すとある。ここに仏が住む。周りの枯山水庭園によりあの世とこの世がつながる。そんな意味があるようだ。

 また、文化に尽くした世界の10人を、1956年世界平和評議大会で選んだと紹介されている。その中に雪舟が入っている。ソビエトとルーマニアで記念切手が発行され、画家とあった。雪舟と親しくなれた感覚を持った。

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