食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

世界ふしぎ発見 「発酵茶探し」に

2015-01-25 07:55:01 | 料理

 ミステリーハンターは保育園の管理栄養士である三十二歳女性。タイを旅する。
 タイは発酵食品の先進国。食材としてお茶が使われている地域があるからとミステリーハンターになる。店先には日本とは違って、色取りの良い野菜たちが多い。興味津々でおばちゃんに聴きながら紹介して行く。たまには口に入れる。とうとう見た目にもすごそうなつけものが現われた。すぐに目をそらせたくなる色や見栄えだ。
しかし彼女は材料や漬け方などを聴いて判断できるのだろう気にせず口に入れる。感想が「漬け方が日本では短期間だが、これは長期間なためよく漬かり酸っぱさが多く出ている。が深みもあり美味しい」と。栄養士さんとはこんな人たちなのかと別世界の住人に感じる。
 お茶を材料にした漬物はガムのように「噛んで出す」ものだった。歯磨きいらずとか。「お茶」は茶葉の水に溶け出す成分のみを利用しているが、食べれば多くの健康成分も利用できる。彼女は番組で茶葉を食材として利用した自分流の料理を作り紹介している。
 数日後「ミリン」の良さを紹介した番組があった。どちらも人が造ったもの。食べ方や食の深さを新世界発見の興奮で聞く。

写真はベトナムの庶民料理(美味しいものでした)

 

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車イスの辛い経験

2015-01-19 12:57:49 | 社会・平和

      

  私は昨年長いサラリーマン生活を卒業した。そしてこれからを計る時「老々介護は見過ごせない」と考えた。
  シルバー人材センターの教育を知り約一週間の座学と実習を受けた。終了後幸運にもある介護施設に縁ができお世話になることになった。その後約二か月(週二日出勤)が経過する。実際に不自由な方と接することは初経験である。ベッドと車イス間の移乗、食事の見守り、飲み物のとろみ付け、トイレ介助、オムツ交換など。少ないが経験し要領も通常の状態であれば時間は掛けてできると思えるようになった。
  そんなある日辛い経験をした。九時より十三時三十分までの時間を、一人がお風呂介助へ残る私が一人で担当することになった。口腔ケア、パットやオムツ交換、トイレ介助、移乗。十時のおやつ、昼食。被介護者はその日八名だった。そして昼食は看護婦さんの応援や食事介助があってひと段落。私はホールにて見守りながらエプロン付着の食物除去やフキンの漂白剤処理をしていたように思う。ある方が車イスからすべり落ちた。時間は十二時半過ぎ。「うめき声」らしき声を聞いた。驚いて急ぎ近づき話しかけ、そしてイスに戻すため応援を隣室へ呼びに行く。二人でイスに戻す。約三分程度の時間経過と私は思う。怪我などは無く幸いだった。
イスに戻す際「痛い肩が」と叫ばれた。私が抱えた側の肩だ。「落ちて戻すのだから少しは痛いよ。がまんして」と間髪を入れず経験者。私の被介護者への配慮不足だった。
  反省しなければならないことは多い。先ず私の未熟さ。さらにこのような事が起こらない介護グループづくり、個人の技量充実。これらは管理の考えへの疑問。次に「がまんして」とすぐに言う被介護者への応対への疑問。最後にこの状況を数名の方がそばで眺められていた、「好印象ではなかった」、信頼回復の改善点を洗い出して順次実行すること。
  辛い経験だったが反省することでこのことが生きれば、結果はすばらしくなる。私自身は「老々介護」に生かして行こうと思っている。

 図は「介護たすけあいホームページ あったかタウン」内の挿絵

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幸せ

2015-01-12 20:09:04 | 社会・平和

 競争社会の一員として生まれた子供は「負けるな、頑張れ」と励まされて大きくなる。そんな大人の私達が「幸せと感じる」にはどんな時や状態になる事だろうか。
 私は昨年サラリーマンを卒業した。そこで約四十年が経過している。充実感やここまで来た誇らしさなどがある。しかし平均寿命には十五年が僅かに残るだけとなっている。サラリーマンとして競争社会の中にいると担当する仕事もサラリーの多寡も競争。そのため自分の何を営業するか意識して過ごすことを強いられる。またどこかで相手を意識する。
   この働き盛りの時代に「幸せ」を感じるのは「思い通りに競争の結果が、結婚が、生活が、子供が、美味しい食事が得られたとき」だったように思う。パソコンの検索サイトでも調べてみた。学校の先生が「『辛』に一を追記すると『幸』、プラス一をいかに探せるかが鍵」と生徒に話してくれたと紹介されていた。
  一方定年後の現在はどうだろう。確かに上のプラス一を探せるときにも感じている。「定年まできた」ことがその一例。しかしそれだけではなく「近隣の人と上手に生きることが負担なくて幸せ」と感じる。片方は他の二倍入った、二つのお金袋から選んで、選び直しせずに「その選択で良かったと思える人」が「幸せ」を感じられる。とこれもパソコンに。人の持つ「欲」を制御できることを大切としているようだ。人は関わって互いの存在を認め合うことで人として存在できると仏教に言う。そこでは人は「おかげさまで」と相手に感謝して過ごす。そんな「幸せ」の感じ方だ。「幸せ」であることの必要な要素の一つは楽天的であること。自分の心に余裕ができると他人に優しくなれる。ともあった。
  年代によって、感じるものである「幸せ」に差があるようだ。とは言え残り少なくなった自分の人生を「幸せ」を多く感じて過ごしたい。近隣の人と摩擦なく楽天的に考え心に余裕をつくる努力をしながら。
ふと気づく。仏教で言う「極楽」はこの「『幸せ』と感じる生活圏」のこと!

 

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お餅つき

2015-01-05 09:11:15 | 社会・平和

 昭和四十年私が十歳前後に杵を使ってお餅つきをしていた。父が杵を母が臼横で餅を中央に集める。柔らかくなるとのし板の上で円くもむ。あんこを餅に入れる。のし板で手伝いをしながら私は時間の隙間に食べる。
 今年は我が家で杵を使ってお餅つきをした。道具は歴史ある石臼、技術は十歳前後の経験と記憶が頼り。窯は数年前に購入のバーベキュー薪コンロ。セイロはコンロに合わせて調達。臼台は日曜大工し。のし板はテーブル、くっつき防止にポリプロピレンシートを利用。
私と長男とで杵と臼横を担当。セイロでもち米を蒸すこと、もち用の餡の調達そしてのし板上で円くもむ役を家内と嫁と孫。もちろん私たちももむ役にも。
 朝六時に起床、身づくろい後コンロに薪を入れて火を焚いてセイロ最下段の鍋にお湯をつくる。七時過ぎに大量のお湯(沸騰水)ができた。一部を小分けて鍋には水を足す。分けたお湯は臼を温め用に。もち米は一升五合セイロを二段重ねして蒸す。八時前には下段が蒸しあがる。温められた臼に蒸し米を入れる。
「さあ餅つきだ」米粒が飛散らなくなるまで杵で捏ねてねばりを出す。その後二人で息を合わせて「ぺたぺた」。家内は臼が欠けないように「力を入れずに打て」「欠けた石が餅に入らないように臼底は混ぜないように」などと邪魔をする。ソフトに扱われたため米粒が消えるに時間がかかる。餅の温度は下がってくる。「もうこの程度で」とのし板に運び皆でもむ。粒は多いようで気になる、また大きさも揃わない。しかし石は欠けないこと、少しくらい温度が下がっても円くもめること、餡を入れて食べると美味しく食べられることが判った。孫は早くから餡餅を口に入れている。少し間をおいて二臼目。息も合って、臼に付着もせず上手にできた。のし板に運び、この臼から飾り餅も作った。
 私たちも子も一段落すると餡餅をほおばってにこやかにお餅つき談義に花が咲く。もちろん朝「おばあちゃん今日は何食べるの」と言って起きてくる孫もそばで口の周りを白くしてご満悦だ。

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水ごころ

2015-01-04 09:22:52 | 社会・平和

 「魚心あれば水心」 好意をもって接すれば、相手も好意に応じる。先方の気持ち次第で、こちらの態度も決まる。パソコンで調べるとこのようにあった。
 元気な高齢者のことだ。その日もバイクに乗り「少し具合が良くない」と医者の診察を受けた。「これは」と大きい病院を紹介されて精密検査を受けることになった。
 紹介の病院では肺が病と診断されて機械による呼吸となった。途中一週間程度機械から解放された時期があったがまたもとに戻り入院から約一月間で他界した。
保護者は家族。入院後二週目頃に子供さんから「寝たきりの看病が長くなると母が心配だから、そのような状態になれば延命措置は望まない」との意思表明があった。治療途中に「肺に水がたまったためそれを抜く処置をしたが誤って傷をつけた」と。しかし家族からはクレームは無かったと記憶している。
 勧誘時には「緊張した部位の揉みほぐしは介護者がある程度しますよ」と説明があり、「初期はそうであったが先日からまったく無くなった」と嘆願のように話す被介護者。ある日、介護者業務には含まれない手のかかる行為であったため相談して時期をさだめ「しないことにする」と取り決めた。被介護者は困りその介護施設をあとにした。不自由を抱えているためさぞストレスがあっただろう。
 「医者と一般介護者」はそれぞれの相手である「家族とリーダー介護者」により態度が変化する。それは普通のことだが、当事者でありながらその影響に抗す力のない「患者と被介護者」はその変化によるストレスをどのように癒せば良いか。
 水ごころを持つ立場となる「医者も一般介護者」も人である。相手の出方次第で変わるとは言え、自分の良心に従って接して欲しい。「お世話になっております」と挨拶している日本人の謙虚さや共存している気持ちで。

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