食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

茨が原

2020-05-31 14:51:45 | 予算の使い方

 いばらの道

 およそ面積2反の畑がある。畑とは呼ばれるが、幾年も草刈のみで野菜などを作ることはなかった。近年はどんぐりが芽をだし、大きいもので150㎜径になり、大小合計すると20本程度となっている。畑は3つの高低段からなり、最高位の畑は周りにそれ以上高い土地はない。またそこは表土が20㎝程度であり、下は赤土でできている。

 その理由のためか、3つの段共通に畑は保水力が小さく、茨が多く育っている。この畑は「茨が原」と呼ばれている。

 どんぐりの木が生育できているから、栗の木も育つだろうと2019年6月、10本の苗を植樹した。いつまでも草刈だけをし続けるには畑も労力も無駄遣いに思えたためだ。種類は「岸根」日本でも有名で、大粒な実が採れるという。苗木の間隔は8m。成木の枝間には距離が必要で、この程度の間隔は必要と。どんぐりは冬時期におよそ半分は切り倒した。

 栗の実は植樹3年後に取れるようになるとのこと。楽しみではある。成木は肥料も要れば剪定も要る。枝全体に光が降り注ぐようにすることは大切という。もちろん病害虫にも注意が要る。どんぐりには良くても、栗には適すのか、さらに保水力不足ではと心配でもある。

 おまけに、植樹した管理者の年齢は70才。幾年管理の体力が継続できるかも不透明。しかし今日現在は意識も体力も元気。前向き姿勢がとれている。とは言え、茨の多い場所に育つ栗の木、栗畑の草刈をして紐で束ねようと作業すると、とげが手袋や手覆いを貫いてブスと刺さる。「いた」と手は都度とびあがる。栗の木にとっても、この環境は「いばらの道」を進むことでもありそうだ。

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朝の「連続テレビ小説 エール」の波紋

2020-05-23 09:54:25 | 社会・平和

 

 朝の連続テレビ小説「エール」を楽しんでいる。大正生まれの作曲家の成長を描いている。丁度今日22日に、早稲田大学応援歌「紺碧の空」が出来上がり、直後の野球早慶戦に早稲田大学が勝ったところだった。

 この作曲家にとって、就職して1年あまり自作曲がレコード化されず自信を失いかけていた。社会に出た初めての曲がこの応援歌。歌をきくと、確かに応援歌だが、受ける印象はそれだけではなく、深さがあるように感じる。

 さて、21日の新聞声欄にこの作曲家の「高原列車は行く」を、父が投稿者に「歌うと楽しい気持ちになるからと覚えさせた」との記事があった。子供にそのように指導することは、こどもの人生に「きっと役立つ」と考えていたからだろう。投稿者は今でも歌えるという。

 汽車の窓から ハンケチ振れば

牧場(まきば)の乙女が 花束なげる

明るい青空 白樺林(しらかばばやし)

山越え 谷越え はるばると

ララララ ララ ララララララ

高原列車は ラララララ 行くよ

 

 確かに、この曲は心を明るくさせてくれる。明るい事柄の少ない昨今、私の子供たちにもこの曲の明るい輪を紹介したい。

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緊急事態宣言の縮小

2020-05-16 22:40:42 | 社会・平和

 コロナ感染は日本社会をどう変えた?

 新型コロナウィルスに対する緊急事態宣言が昨日縮小された。感染リスクは残っているけれど、ここふた月間程度の急感染は収束してきている。

この急感染期間に亡くなった方には、芸能人の志村けんや岡江久美子がいた。日本全体でこの宣言を合図に各人が外出自粛に取組み、ここまでたどり着けたものだ。経済活動は犠牲にせざるを得ないものともなった。

 ようやく明るさが新聞にも見え始めている。なかには、この自粛経験が何か新しく社会を変えていることもあるのではないかとも言う。ことばだけだが、それを拾ってみたい。 

 「自宅で仕事をする、テレワーク」「増加したオンライン会議」「混雑を避けて出勤する、時差出勤の採用」「病院に行かずに診察を受ける、オンライン診療」「誰もが情報を発信する、スマホの活用」「多くのオンライン授業」「オンライン購入・販売」「個人の位置情報を利用して、ステイホーム達成状況を把握する」「この位置情報は個人の自由を奪うツールにもなる」「グローバル社会は短時間で病原菌も運ぶ・経済も冷え込ませる」「個人の動きが止まれば、大会社も数か月で経営破綻する」「人と人の接触を、人とAIロボットの接触に置き換える」など。

 年末の紅白歌合戦に美空ひばりが出演した。姿も声もよく似ている。こんなAI技術を使えば、多くの真実に似たフェイクニュースをつくることができる。便利技術には共有の使用ルールが大切だ。

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自宅で最期を迎えること

2020-05-10 10:36:15 | 社会・平和

  病院死と在宅死

 私の両親は病院死だった。病院から自宅に連れ帰り、通夜・葬儀後焼却場へと出棺した。

 新聞に病院死か在宅死か、あなたはどちらを望みますか。こんな内容の記事があった。在宅死を望む夫の思いを尊重し、自宅でみとった妻がいた。入院死が約8割を占める現在の日本では、本人が望んでも「最後は、病院が当たり前で在宅死は想定外」と思う人が多い。一方、夫が在宅死を望んでいることを知りつつ「家から死人を出したくない」と入院を求めた妻もいた。また、「アパートで死なれては困る」と訴える家主もいる。頼まれた高校からの講演に「あなたはどこで死にたいですか」というタイトルを示すと、「高校生には刺激が強い」と学校から変更を求められたとも。

 日本社会では、死を忌むべきもの(不吉なもの)とし、日常から遠ざけようとする風潮は根強い、と結ぶ。調べると、死を穢れと言い、穢れを「禊ぎ」して落とすと言う。葬儀などの出席後には帰宅後お塩で清めてもいた。

 私の父は30才の時(戦後5年目)、祖父の在宅死を経験した。母は農業をしながら、お世話をした。まだ地域にテレビ受信機がない時期だ。玄関には葬儀後、忌中や喪中が掲示された。

 さて、高齢化社会と言われる現在、高齢者は介護体操などに取組み、自宅でより高齢まで過ごして欲しいと指導される。私も、住み慣れた我家にできるだけ住みたいと願う。しかし、戦後間もない頃と暮らし環境が違っているので、老夫婦の長い自宅暮らしは困難だ。社会や親の責任だと思うのだが、現在は子供夫婦が親元に同居しておらず、また家を継いで残そうと子供夫婦が考えないためだ。

 

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今年の松ぼっくり

2020-05-01 10:47:18 | 日本・世界・地球

   松ぼっくり

 庭木に松がある。赤松と黒松の2種。長い年月に、赤松は2本枯れてしまった。剪定が強かったのか松くい虫の被害だったのか理由ははっきりしない。しかしその付近から芽吹き現在は3本の松である。

 その松に松ぼっくりの子供ができた。とても可愛い姿だ。毎年できるのではないが、周期ははっきりしない。写真を近くで撮った。

 松の剪定は手間がかかる。樹形を気にするとなおさらだ。できるだけ短時間で行いたいため、春の4月に「今年、枝を出したい」と木が願い、成長する枝芽を3~5割長まで切る。効果は大きい。

 この理由で写真に写る可愛い松ぼっくりは、ほとんどが成長できない。

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