政権の放埓な人事は
中国新聞に題記の識者評論が掲載されている。識者はサンデーモーニングにもレギュラー出演の青木理氏。文章がすばらしいと思える。痛烈な内容だが、理由などをさほど力まずに表現して「なるほど」と思わせる。
さて先ず、黒川氏を直接知る者は検察OBや関係者で、悪く言う者はほとんどいないと紹介する。任官同期のOBは”人たらし”と評したが、とても社交的で人付き合いが良く、検察官らしからぬ”調整能力”や”根回し力”を持った有能な人物、という見方でほぼ一致する。と人物像だ。
だから政権には便利な存在---。---政治との窓口役となる法務省の官房長や事務次官を7年以上も務め、政権が重視した共謀罪法などの準備や成立に当たっては---。政権や与党議員が絡む事件捜査を---が、「政権の守護神」と呼ばれるのもあながち的外れではない。一方法務検察にとっても、黒川氏は「守護神」だったろう。大阪地検特捜部で証拠改ざんという大不祥事が発覚したのは2010年。当時の民主党政権は「検察の在り方検討会議」を立ち上げ、---改善に乗り出した。この際に法務省は黒川氏をこの会議の事務局に投入した。そして取り調べの可視化は一部導入されたものの、司法取引の新設や通信傍受法強化といった検察側に有利な結論を導き出すのに貢献した。つまり、黒川氏は政権にも検察にも使い勝手のいい「能吏」だった。
ただし、それが---検察トップにふさわしいかといえば、---政治からの独立が求められる検察に対し、---それだけで疑念を呼び起こす。また、社交的で人付き合いが良いと言う人物像は今回、緊急事態宣言の最中に新聞記者と賭けマージャンに興じるという、最悪の醜聞として噴き出した。突き詰めれば、現政権の「人を見る目のなさ」に問題は行き着く。本当の意味での適材適所ではなく、政権にとって都合よく、使い勝手のいい人物を要職に据えてきた現政権。---歴代政権が自制した放埓人事を繰り返し、霞が関には忖度病がまん延し、公文書改ざんなどの不祥事が続発した。
ついには検察トップ人事にまで介入を図った末に起きた醜聞と辞任劇の最大の責任も、やはり政権にある。世論の猛反発を受けて今国会での成立を「断念」した検察庁法改定案などと併せ、明確な謝罪と事実関係の説明が求められる。
と同時に今回、大手メディアの姿勢にも---焦点の人物とマージャン卓を囲み、肝心の情報を発信しない新聞記者。---いったい誰のための取材であり、メディアなのか。
情報環境が激変した現在、---かつて通信社記者だった私の自戒も込め、報道や取材のありようを根本から見つめ直さねば、世のメディア不信は底無しに広がる。と結ばれている。
内容を把握して主張のポイントをつかもうとしても、言葉を選び、与える印象を柔らかくするためにポイントを数あるごとくにしている。それでいてきっちりと締まった文章と感じさせる。たくさんな情報を持って、厳選してこの主張にまとめられているのだろう。